霊鐘
 加賀藩第12代藩主前田斉広公は文政6年(1823年)に竹沢御殿の時鐘を鋳造した。その鐘が枕辺に現れて「天徳院に行くを望む」と言った。斉広公は不思議に思われ「この梵鐘の響きを聞くものはすべてその苦悩を免れると聞く。冥福荘厳の天徳院へ行くことを欲するも道理あること。梵鐘情をもって、我らを教化する仏縁不可思議である。速やかに天徳に送るべし。」とのご下命により天徳院に移された。
 見返阿弥陀立像
 
この阿弥陀像は、その昔永観律師が行道念仏(仏の周りを念仏を唱えながら回る)を行じた折、律師が眠気のため立ち遅れたので先導していた如来が「永観おそいよ」と後ろを見返られたという説に基づき作られた像とされ、有名であるが全国でも数少ない像である。
 また360度周りの人々すべてを救いたいという誓願を表している像である。
 第十一 羅怙羅尊者
 
山門上にまつられている十六大羅漢のうちの一体で、黄檗山万福寺の像と同じく中国仏師范道生の作風をうかがわせるものである。
 釈尊の出家前の実子であり、父を慕って出家し、修行によって得た真実の悟りの姿(仏性)を見るようにと腹を自らの手で開いた姿をした珍しく、数少ない羅漢像である。

寺宝