異文化コミュニケーション*
―ドイツ・ドイツ人・ドイツ文化を理解するためのキーワード
異文化コミュニケーションという言葉は20世紀後半に生まれた新しい言葉ですが,異文化コミュニケーションは太古の昔からありました。人類の歴史のかなりの部分は異文化コミュニケーションの歴史でもありました。現代においてこの言葉が生まれた背景には,国際的な移動・交流がかつて無いくらいに盛んになった結果,文化が異なるとコミュニケーションが阻害されるというようなことがしばしば一般に意識されるようになったという事情があります。つまり,この打開策・解決策に大きな関心が寄せられるようになったのです。そもそもコミュニケーションという人間の社会文化的行動は,その重要な手段である「言語」と同じように,人類共通で普遍的な部分もありますが,それぞれの文化に依存していて異なる部分も多いのです。異文化圏の人々と交流するためには,この観点からある程度の異文化コミュニケーション能力を身に着けるというのが現代国際人のマナーとなりつつあります。このためには交流する人々の文化や言葉を理解する必要がありますが,言葉や文化を理解するためにはまたコミュニケーションが必要というわけで,元来試行錯誤的にならざるをえない面があります。こうした一般論につきましてはこの大学でも受講できる『異文化コミュニケーション論』などの講義やゼミナールで学んでいただきたいと思います。異文化とのふれあいはいつも新鮮で刺激的,人間的成長の糧ともなります。若い皆さんには特にこの意味で外国語や異文化に触れられることをお勧めいたします。
「遠くて近い国」
本日は少し具体的に,特に比較的熱心に関わり,つきあってきたドイツ・ドイツ人・ドイツ文化について,その特徴などを紹介したいと思います。ちょうど今年は「日本におけるドイツ年」ということで,日本全国でドイツの産業・文化を紹介するイベントが展開されていますが,元来ドイツは日本にとっては「遠くて近い国」でした。日本はすでに断片的・部分的に,江戸時代からドイツ文化の影響(例えば長崎出島のオランダ商館勤務のドイツ人医師たちから,蘭学という名のもとに「ドイツ学」を学びました)を受けていました。そして西欧化・近代化を進めた明治時代以後は,医学ばかりでなく多くの政治・社会・文化の領域でその影響を受けました。そのきっかけとなったのが岩倉具視(1825−1883)率いる総勢100名を越える使節団(岩倉遺米欧使節団,1871[明4].11−1873.9)の欧米視察でありました。一行は1873年ベルリンに滞在し当時のドイツ(プロシア・プロイセン)の学芸がヨーロッパ最高の水準にあることを見聞,以後日本の近代化のためにさまざまな形でドイツを手本といたしました。今日はしかしこのような日独交流の歴史についてはこれ以上お話しません。このテーマについてはいろいろ文献もありますので関心がある方はご覧いただくとよろしいと思います。
日本におけるドイツ・ドイツ人・ドイツ文化のイメージ
ところで「ドイツ・ドイツ人」というと現代の皆さんは何を思い浮かべられるでしょうか。おそらくまずベンツ( Carl Friedrich Benz, 1844-1929 [車はドイツではメルツェーデスといいます。最初の自動車は1886年誕生]),アウディ(4つのリングは合併した4企業の象徴),BMW,そしてスポーツカーのポルシェ(Ferdinand Porsche1875-1951)などの車を思い浮かべる方が多いでしょう。ポルシェはビートル,カブトムシでおなじみのVW(1931)も設計しました。関連でドイツのアウトバーンと,今でもその主要部分では速度制限のないことも知られているでしょう。続いて皆さんは,ドイツはサッカー(ドイツ語ではFußball)の大国ということ,そこで活躍している日本人選手もいるということ,そして来年はドイツでワールドカップWeltmeisterschaftが開催されるということを思い起こされるでしょう。これに次いでグルメの方でなくてもソーセージ,ビール(本当はワインも上品で美味なものがある),ドイツ通の方はこれにザウアークラウトSauerkraut(これは酸味のある塩漬キャベツ,煮て食べます),アイスバインEisbeinという豚肉料理など思い起こされるでしょう。そして音楽家のベートーベンとわが国のいたるところで年末に演奏される第九交響曲,それに多分バッハやモーツアルト(特にアマデウスという映画がありました,本当はオーストリア出身,ただし彼を教育した父レオポルトはドイツ人でした)を思い出すかもしれません。一方医学や社会科学,登山・スキーを思い出される方は今日ではもうかなりの年配の方でしょう。ゲーテとその代表作品の『ファウスト』,ニーチェやワーグナー,ヘルマン・ヘッセ,カフカ,そしてカントやショーペンハウアーなどの哲学者の名を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。経済学に関しては,資本主義を批判し,世界の社会主義運動に貢献したマルクスKarl Marx(1818-1883)そしてエンゲルスFriedrich Engels(1820-1895)の名は,日本ではかつては危険な名として為政者からは恐れられましたが,戦後は長く多くの信奉者を集めました。ソヴィエト連邦崩壊後は急速にその威信を失いました。因みにマルクス,エンゲルスはドイツ生まれですが主にロンドンで活動したようです。まぎらわしい名のドイツ人,エンゲルErnst Engel(1821-1896)は統計学者でしたが「エンゲル係数」とともに記憶されることになりました。こうしてかつては「ドイツ語」は学術語・文化言語として日本のエリートを志す人々の必須外国語でもありました。
もう少し補いますと,検診の際におなじみのレントゲンも元来ドイツの実験物理学者Wilhelm Konrad Röntgen(1845-1823)の名前です。彼は1895年X線を発見しました。その功績で1901年設けられた第一回ノーベル物理学賞を受賞しています。テレビでお馴染みのブラウン管はドイツの物理学者 Karl Ferdinand Braun(1850-1918) の発明で,彼も1909年ノーベル賞を受賞しています。物理学者といえば「相対性理論」のアインシュタイン Albert Einstein (1879-1955)の名も有名です。彼もまた1921年ノーベル賞を受賞していますが,その生家は今はウルム駅前の広場になってしまい,質素な記念碑だけが建っています。ユダヤ系でしたから戦時中にアメリカに亡命を余儀なくされました。
さて国は違いますがX線発見と同じ1895年に,ドイツ語の国オーストリアで,フロイトという精神科医師が「精神分析」の手法で人間の心理を透視しようと試みその研究成果(Studien über Hysterie)を公刊しました。彼は当時はタブーであった人間の性欲に関する分野の研究を志し,新しい学術分野を切り開いたのです。フロイトの説はその後,世界の精神科学に大きな影響を及ぼしました。日本でも影響を受けた医師や文化人は多いと思います。
最後に,おそらくほとんどの方は1933年政権獲得,1940・41年から世界中を混乱に陥れたヒトラーAdolf Hitler(1889-1945)とナチスドイツ,そして1945年の敗戦・東西ドイツの分裂と1989年の劇的なベルリンの壁の崩壊と翌年10月3日の再統一を思い起こされるでしょう。第一次大戦(1914−1918,日本は戦勝国・連合国側でした)や1940(昭和15)年の日独伊三国同盟をリアルに思い起こされる方はもう少ないと思います。ナチス台頭とかつてのドイツの政治的センスの未熟さについては最後で触れるつもりです。なお政治の関連では現代においては環境保護に特別の関心を示す「緑の党」(Grüne,1980年結成)の台頭はきわめてドイツ的な動きとして注目されるでしょう。
日本語のなかのドイツ文化の足跡
ところで「遠くて近い国」ドイツの影響は日本の言葉のなかにも残されています。例えば「ゼミナール」はドイツ語です。日本の大学制度は明治時代,かなりドイツの制度の影響を受けました。現代ドイツは環境問題にも熱心な国として知られていますが,これに関連する「エネルギー」という大事な言葉はドイツ語なのです。これはもちろん環境問題が話題になる以前から使われていました。大正時代初期(1915)ごろから学術分野で使用され始めたと思われますが,一般人が知るようになったのは戦後でしょう。「省エネ」などという言葉はもちろん環境問題に関わりますが,多分忌まわしい「原子爆弾」あたりから話題になり始めたのではないかと察せられます。「勢力的」という意味の「エネルギッシュ」という言葉を知っている日本人も結構多いはずです。何食わぬ顔で頻繁に使われている「テーマ」もドイツ語から取り入れられました。因みにこれらの語は元来はいずれもギリシア語でした。皆さんおなじみの「アルバイト」がドイツ語ということはご存知でしょう。「ノイローゼ」や「アレルギー」を一般の人が知るようになったのは割合最近のことですが,元は医療分野で用いていたドイツ語でした。時に間違えて使っているドイツ語もあります。代表格は「ボンベ」でプロパンガスが入っている容器を「ガスボンベ」といいますが,ドイツ語では「毒ガス爆弾」の意味です。あまり害がない例では,冬使われる「アイスバーン」があります。これはドイツでは「スケートリンク」みたいなもので,危ない路面の凍結は「グラットアイス」といいます。いくらかのドイツ語の外来語をあげてみましょう。カプセル,カルテ,ワクチン,ビールス(ウイルス);イデオロギー,デマ(ゴーク),コンツェルン,カルテル,ゲマインシャフト,ゲゼルシャフト;ヒュッテ,コッヘル,ザイル,アイゼン,ゲレンデ,シュプール;ダックスフント,クアハウス,メルヘン,固有名詞ではツァイス,ゾーリンゲンなどお分かりでしょうか。商品名などにドイツ語が使われていることがあります。車の名では最近プラッツ,ラウム(いずれもトヨタ)というのがありました。ハルン「尿」は医療関係者で使われていた語ですが最近薬品名と思しきものに使われています(ハルンケア)。マツダのローマ字つづりのMazdaはドイツ語の影響でしょう。北陸地方で春先おなじみのフェーン現象もドイツのアルプス越えの南風になぞらえて名づけられた気象用語です。
因みに日本語のいわゆるカタカナ語の大半は英語に由来するか,英語にならって生まれたものですが,それ以外の外国語からも1割ぐらいは取り入れられています。ドイツ語もその1割の一部です。ですから語数という点でとても英語にはかないません。ドイツ語のなかにも現代ではかなりの英語が入っています。そしてドイツ人も学校ではほとんど例外なく英語を学んでいますので,英語も割合通じます。しかし,ドイツ語を学び,これを身に着けた外国人は特に歓迎されます。実際のドイツ人が話す言葉は方言の相違がかなり大きいのですが,標準語は広く理解されますし,外国人にはできるだけ標準語に近いドイツ語を使ってくれます。ところで現代の多くの国の標準語は首都圏の言葉に近いものが用いられていることが多いのですが,ドイツではあまりにも方言間の相違が大きかったので,宗教改革(1517)で有名なルターMartin Luther(1483-1548)の聖書翻訳のドイツ語がモデルになったといわれています。そして標準発音は19世紀末ごろ,劇場で用いられていた発音をモデルにして決められました(1898)。これは,他国では例がないパタンといわれています。現代はこれをもとに放送などで用いられるようになった発音を標準としていますが,一般ドイツ人の発音は,かなりの地方的な訛りがあり聞き取りにくいことが多いようです。これは恐らくドイツ国内の地理的・歴史的・社会的な相違と関係があります。政治的にも6(旧東独)+10州 Land のそれぞれが,現代でもかなりの権限を保持していて,地方分権的色彩の強い制度が存在しています。国土はわが国と大体同じ面積(356,910km2)ですが,地方分権という点ではかなり保守的(あるいは先進的?)ともいえましょう。地方分権といいながら官庁主導で市町村合併を促進し,結果的に中央集権化を進めているわが国とは大分状況は異なります。因みに今はベルリンが首都ですが,最高裁は南西ドイツのカールスルーエという都市にありますし,金融の中心地はフランクフルトといったように連邦レベルの機関も分散しています。これがいいかどうかは評価が分かれます。効率・能率という点ではあるいは不都合な面もあるかもしれません。
意外なドイツの文化的影響
この辺で意外なドイツ文化の影響について少し紹介しますと,まず横断歩道のお馴染みのシマウマ模様 Zebrastreifen はドイツが原産国です。また世界のスポーツマンに広く愛用されている「アディダス」 Adidasはドイツのブランドです。 アディ・ダスラー Adi Dassler(1978没)
という創立者(1920年最初の試作品,1948年ブランド誕生,3本線が商標デザインとして登録)の名前から生まれました。ドイツばかりでなく世界中の子供をひきつけている,かわいい熊のぬいぐるみの「テディベア」Teddy bear, Teddybärという愛称はドイツ起源ではありませんが,ぬいぐるみ自体はドイツのシュタイフSteiff 社で1902年に生まれたものです。翌年アメリカに輸出され有名になり時の大統領の名から,この愛称が生まれたようです。手足にジョイントが入っているところが受けたようですが,いかにもドイツらしい。ドイツのおもちゃは,できるだけリアルで正確でないといけないところがあります。ところでジーンズもアメリカに渡ったドイツ人の創案であるということを知っている方は,かなりのジーンズフリークでしょう。リーヴァイ(ブランド名ではリーバイス Levi’s)は元来ドイツ式の Löb から英語化されたものでした。すなわちLeviStrauss(1829-1902)の創案でしたが,彼はミュンヘン北方のドイツ・フランケン地方の出身でした。もう一人のアメリカでの成功者は世界的に有名なコンサートピアノ「シュタインウェイ」の創設者(Henry Steinway/Heinrich
Steinweg,1797-1871)です。これは,あるピアニストに「ときにはビアノの方がピアニストより良い演奏をする」といわせた,すばらしいピアノですが,こちらの方は音楽通ならドイツ系ということは常識です。この楽器は日本にも多数輸入され日本の音楽ファンの耳を楽しませています。
意外なドイツのついでに2004年度にはドイツは世界一の輸出国になったというニュースを紹介しておきます。細かいデータ(七千三百十億ユーロ,日本円では九十兆ぐらいでしょうか)は省略させていただきますが,注目すべきことかと思います。かつての科学技術大国も最近は目立ちませんが,アメリカ資本は盛んに投資しているというデータもあります。おそらくこのことは,アメリカや日本の影で目立たなくなっていたドイツですが,やはり「侮れない国」という印象を強くいたします。
ドイツ人の特徴を知るキーワード―節約・健康・秩序・哲学
ここで,このようなドイツ文化を生み出してきたドイツ人の性格というか特徴について少しご紹介したいと思います。それをある程度知っておくことは,具体的な対人コミュニケーションにとっては大変役に立ちます。もちろんドイツ人にもいろいろな人がいますので,これは多数の,あるいはより多くのドイツ人の価値観と重なるという意味で理解していただきたいと思います。
5年ほど前に親日家のあるドイツ婦人が日本人(多分女性)の無駄の多い生活ぶりを見て『浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ』(光文社)という本を出版し話題になったようですが,この「節約」とかケチというのは世界的に定評のあるドイツ人の目立つ特徴です。「勤勉でつましい」とか「金に細かい」という風にもとらえられます。ドイツ人と付き合えば大抵これは身をもって体験することができます。「節約」はドイツ人を知るための第一のキーワードでしょう。日本には惜しみなく使うたとえに「湯水のごとく」という表現がありますが,これはドイツでは全く通じません。水道の水を流しながら顔を洗ったり,食器を洗ったりはしません。洗剤がちゃんと落ちているか心配なくらいです。照明は不必要に明るくはしませんし,こまめに消灯を心がけています。トイレ・階段などの照明はずいぶん前から,数分後には自然に消えるようなシステムが普及していました。食事の際に食べ物は残しませんし,調理などで残った食材は捨てたりしないで有効に利用するように心がけます。日本の食品を飾るだけで食べられない,あるいは食べない習慣のツマの類をドイツ人は不思議がります。日本にもケチあるいは質素な節約家はいますし,以前はそういう人が多かったと思います。日本も昔は模範的なところがあったと思います。日本語には,つい最近ある国際会議で紹介された「もったいない」というユニークな言葉さへありますが,最近は使い捨ての消費文化が支配的になっていますので,ドイツ人には無駄使いの文化と見えるに違いありません。
ドイツでは今も大多数の人が「節約」をモットーとしています。無駄なつきあいや義理のための支出はしませんし,意味のない施しは絶対にしません。意味のないプレゼントは受け入れられません。レストランやホテルなどの請求書・勘定は細かくチェックします。 曖昧などんぶり勘定というのは好みません。何かの事情で食品の値段が急上昇した場合など,とたんに示し合わせたように買わないのです。徹底したケチなのです。どうしてそうなのかについては簡単には説明できない面もありますが,やはり限りある金銭をできるだけ有効に生かすという合理的な考え方にあると思います。必要なものまでも切り詰めてというのは現代の彼らには馴染みません。どうもより快適に過ごすために,「ゆとり」のある生活を送るためにそのように振舞っていると思われます。
金銭支出がケチで合理的なばかりでなく,その他のムダにも敏感です。ムダな包装は以前から嫌われましたが資源や環境保護が問題となってからは,いっそうこれが意識されるようになりました。この点で日本は恐らく世界一の包装過剰天国です。レジ袋の有料化を考える前に,二重,三重の包装や額縁,上げ底でしられる見せ掛けの包装過剰文化を是正するべきでしょう。 ペットボトルもドイツではビール瓶並みに再利用されます。空のボトルと引き換えに50円ぐらい帰ってきますから,ケチなドイツ人はボトルを捨てたりしません。日本のように資源として利用するというのではありません。資源リサイクルという点では再生紙は望ましいのですが,再生紙製造の過程では必ずしも環境に良いことばかりでもないことも知られています。要はまず紙を無駄遣いしない姿勢が必要です。一事が万事,ドイツ人はこうした点でも実に合理的というか,感心させられます。なお過剰包装への反対には資源愛護という観点もありますが,不要なものの代金までも支払いたくないという合理主義的な「ケチ」の意識も強いのです。確かに私たちは包装の代価もコミで支払っています。
この「節約」「ケチ」は,しかし歴史的には,恐らくドイツ人が貧しかったということにまず原因があったと思います。質素でつましい生活を強いられた結果ではないかと思います。節約しなくては暮らせなかったからでしょう。元来ゲルマン時代からドイツの国土は寒く不毛の地でもありました。ゲルマン民族移動も快適な土地を求めての移動でありました。これは全体的には失敗に帰すわけですが,久しく必ずしも理想的な社会構造ではなく,一般市民・農民の暮らし向きは豊かではなかったようです。こうした社会的・歴史的事情を背景に,恐らく,現世での禁欲的な敬虔な生活を勧めたキリスト教,特にプロテスタントの影響などが複合して形成されてきた経験的知恵かもしれません。しかし現代においては,節約精神の根底には,節約によってムダを省き,少ない資本を有効に生かして,満足できる幸福な生活,つまり豊かな生活を送りたいという強い願望があると思います。「幸福な充実した人生を送るために」節約しているような面が最も強いように思います。簡単にいえば「より意義あるもの」のために支出するということでしょう。それが何であるかは個人差があるでしょうが,例えば「休暇保養」の充実のためというのは比較的共通したひとつの考え方です。このことから,節約生活はまた極めて強い「健康」志向と関わっているといえましょう。われわれの幸福の9割は健康に依存していると多くのドイツ人は考えているかのようです。
因みにすでに先にも触れましたが,物をムダにしないこの「節約」精神と関わる「環境保護問題」も,実はまたこの健康志向と深く関わっています。すなわち環境問題は特に「健康に暮らせる環境」を求めての運動に他なりません。空気も水もきれいでなければ安心しては暮らせません。森林もそのために保護されなくてはなりません。高圧送電線の電磁波の害についても敏感です。原子力発電所からの撤退プランもこうした流れで決断されました。さらにオゾンホールなどで分かりますように,現代では世界的・地球規模で環境保護問題は検討されなければならなくなりました。この「健康志向」もまたドイツ人を知るためのキーワードですが,これは現代の人類の共通した志向かもしれません。ただ,それが異常に強いのではないかとは思います。そういう意味で特に熱心な環境保護問題との関連で「健康」をドイツ人を知るための第二のキーワードとしてあげておきます。
ところで,この節約を勧める本の帯の宣伝文にはさらに注目すべき第三のキーワードが登場します。
Ordnung ist das halbe
Leben.ドイツの諺<整理整頓は人生の半分>。「ムダ遣いが止められないのは,あなたに哲学がないからだ!」
とあります。
ここで引用されている Ordnung という言葉もドイツ人を知る節約に次ぐ,あるいはそれと並ぶ代表的なキーワードであり,当然ドイツ人の愛用語でもあります。ここではとりあえず「整理整頓」と訳されていますが,もっと高度な「秩序」という意味もあり,規則ずくめといいますか,規則好きといいますか,ドイツ人は確かに何事も「キチント」していないと気がすまない,というところがありますが,この性格と関係するキーワードです。さらに節度とかバランス感覚も秩序の一部であろうと思います。
秩序という概念は,政治・社会的には順法精神につながるでしょう。ドイツではこの傾向が強く感じられます。しかし裏をかえせば「規則にないことは何をしてもいい」のだという屁理屈を述べ立てるという側面もありますし,また規則の如何に拘わらず従っていれば良き市民であるということにもなりかねません。また緻密で高度なゆるぎない官僚機構の構築にも手を貸している可能性もありますから疑問の余地もないわけではありません。
規則といえば,住居など借りるとき最近は日本でもかなり細かく,大抵家主に都合のいいように規則が決められているようになりましたが,ドイツでは以前からそれは当たり前のことで,今はほとんど必要ありませんが,絨毯をたたく場所や時間まで細かく決められていたり,昼食時間帯では騒音をたててはいけないとか,人目につくところに洗濯物を干さないことなど,実に細かいのです。日本文化ではこのあたりは一般的常識に委ねられるわけでしょう。
交通マナーも規則を遵守する傾向が強く,道路交通法という立派な法律があっても,日本ではなお相互の注意義務ないし「お互い様」精神で処理される部分が多いのですが,ドイツでは例えば交差点での進入優先権は特に重要です。あらゆる交差点でどちらの車両や通行者が進入・通行の優先権をもつか判断しなくてはいけません。それは標識で示されていることが多いので,それにしたがって行動すれば良いわけですが,何も無いところでは大体右側の車両が優先権をもちます。右側通行だからです。もちろんこのような交差点ではまず歩行者が優先されることが原則です。ドイツ人もたまに譲ってくれることもありますが,その場合ははっきりと目立つように意思表示しなくてはなりません。例外はありますが,「阿吽の呼吸」というのは原則として通じません。そうかといってうっかり無視したら衝突されるかというと,そんなことは稀ですが,クラクションなどで大げさにけん制ないし非難されることは間違いありません。普段は上品なドイツ人も権利をおかされたとみるや,かなりの罵声をあげるので驚くことがあります。自己の権利をおかされたくない,また他人の権利を尊重するという意識は強いといえます。もっともこの点では欧米人は日本人よりドイツ人に似ています。しかしフランスやイタリアへ入るといくらか雑然としたところはありますが,もう少し穏やかなように思います。因みに今日,日本の道路も,そして恐らく世界中の主要道路には白線が引かれ,車線が区別され,さまざまな標識や記号が常識となりましたが,ヨーロッパで判断する限りドイツがこの点で最も先進国であったように思います。なお,日本人も最近は交通事故に関連して法意識が強くなったといわれていますので,いずれドイツ式に近づく可能性はないとはいえません。
さらにOrdnung という概念に関連して,ドイツの町並みStadtbildの整然とした清潔な美しさが思い起こされます。恐らく世界一でしょう。実に気持ちがいいのです。派手な広告類もなく,あのマクドナルドでさえドイツではあたりの町並みに溶け込んでいます。したがって見つけにくいという不便さはあります。
これが一般家庭に入ると整理整頓と清掃になってあらわれます。主婦は家のなかをきちんと,整理し清潔に保っておかなくてはならないのです。住宅・部屋のなかはどこでも清潔で整然としているようです。押入れや納戸に押し込めて,表向き客室だけはきれいにするということは,きちんとした主婦のやることではありません。家具・調度なども調和的に配置され,すべては整然と収納され,必要なものはいつでもすぐ分かるように整理されています。家具調度や道具類もきちんと掃除され手入れが行き届いていると感じさせます。特に外から見える部分は大切です。窓ガラスはきれいですし,花など飾るのも,町並みにうるおいを与えたいという気持ちの現れでしょう。人目につくところに洗濯物を干さないというのもこの気持ちからとみていいでしょう。これは人の目が気になるということもありますが,現代では,何より居心地の良い町並みにしたいという気持ちが強いようです。町並みの秩序のために個人も協力しなくてはならないのです。
さてこの整理整頓・秩序の信条は,先にも述べましたが,恐らくドイツ人が信奉している合理主義,完全主義,完璧主義のようなものが基本にあるといえます。それはどこからきたのか。なぜこのような信念をもっているのか。これにはいろいろな歴史的・社会的影響が考えられますが,まず整理整頓は第一のキーワードの「節約」にも通ずる面があります。節約,つまり物を大切にするためには,整理しておかなくてはならないでしょうし,きれいに手入れしておかなくては道具類も長持ちしません。それはそれとして,こうした要因に加えて,歴史的にはさらに,さきほども触れましたキリスト教の影響も強く作用していると思われます。キリスト教は原則的に,贅沢な消費生活や快楽的で無秩序な生活態度を否定的に教える禁欲的な宗教に属するでしょう。ドイツ人のペシミスティックな,すなわち悲観論的な傾向は恐らくこれとも無縁ではありません。物事を大真面目に考え込む人たちが多いのです。今日のドイツ人がどれほど宗教的かは分かりませんが,信仰の程度のいかんに関わらず,きちんとした秩序ある生活に対する強い志向がドイツ人にあるのではないかと思います。
しかし,ある特定の言葉が愛用されるという場合には,それが特別の関心事であり,それが必要という状況がありえます。意地悪く捉えると,秩序の維持に努めなければ,混乱,つまり彼らのいう「カオス」Chaosに陥りやすいという可能性も否定できません。確かに家のなか,部屋のなかも整理整頓に心がけなければ,たちまちのうちに雑然としてきますし,掃除を怠れば埃だらけになることは私たちも経験します。それをかなり我慢するか,気にしない人も確かに日本では多いかもしれません。ドイツではそれに我慢できない人が多いということかもしれません。さらに大きく国際的に見た場合,ドイツは現代でも周りを9カ国にとりまかれ,ヨーロッパの中央に位置し,交通の要所という一見有利な地理的・政治的環境に見えますが,まかり間違えば逆にもカオスを引き起こしかねないという現実もあります。 このことは二度の世界大戦を思い起こすだけで十分でしょう。
最近の例を補いますと,国際的なトラックの著しい増加による混乱があります。秩序が乱される状態になったわけです。遂に無料が原則であったアウトバーンの有料化という手段の導入を決断させることになりました。これで秩序を取り戻そうというわけです。ひとつの例に過ぎませんが,示唆に富んでいます。またドイツはアメリカの規模のような多民族国家ではありませんが,わが日本の十倍の約10%の外国人も居住しています。秩序がどのように保たれるか,いろいろ困難な状況もあるのです。
ところで,先にも触れました「規則にないことは何をしてもいい」という屁理屈も確かにあるのです。因みに「理屈っぽい」というのもドイツ人の性格です。物事も秩序立てて,日常的な文脈でも,先ず第一に,第二に,第三にという風にたたみかけるように論を展開するのも秩序好みというか,理屈っぽいという印象を強くします。論理的思考というのでしょう。学術分野ではこれはむしろ当然で,日本語はもちろん,明治以後このような思考法・文章法を西欧から学んだわけです。しかし日常的な文脈では日本人は,現代でもほとんど情緒的で「論理的」とはとてもいえません。しかしドイツ人は論理的なのです。日本人の本当の理由をぼかしながら,暗示的に,玉虫色にメッセージを送るといった感じのコミュニケーションは通用しません。これはしかし欧米全体に対しての日本文化の違いでもあろうかと思います。
論理的というと聞こえはいいのですが,私たち日本人には感心ばかりできない面もありうるのです。いわゆる弁解もこの観点で行われます。わけもなく,いいか悪いかは別として「私が悪かったのです」といさぎよく謝るようなことは,まずありえません。こういえば自分で責任を認めたことになります。日本ではその辺が曖昧なことが多いのです。ドイツ人は「自分の責任ではない」ということを論証するのが普通です。こうした状況をみれば,細かく規則を定めて秩序を保つ必要もあることが痛切に感じられます。わが国の法律も次第に細かく煩雑化して行く傾向にありますが,ドイツは恐らくこの点で先進国であることは間違いないと思います。 例えば日本でも東京の一部の区で路上喫煙を禁止する条例が制定されたようですが,こうまでしなければいけない社会はやはり問題でしょう。秩序を求めるあまり,本来,快適な生活を予想していたわけですが,すべてが堅苦しいぎこちない不快な社会にもなりかねません。ある範囲は常識的なマナーといわれるような倫理感にゆだねる方が快適なことが多いのです。そういう意味でこのキーワードは批判的に捉える必要もあります。
次に先の宣伝文の「哲学」という言葉に触れたいと思います。これは,ここでは分かりやすくいえば,「経験からつくりあげられた人生観,また全体を貫く基本的な考え方」,つまり生活の「信念・信条」といったところでしょう。ともかくも「哲学」というといささか大げさですが,ドイツ人の愛用語のひとつであることは間違いありません。これもドイツ人を知るためのキーワードのひとつでしょう。この節約・整理整頓の信条には,繰り返しになりますが,ドイツ人が広く共有している,「節約」「秩序」を高く評価する価値観,さらに一種の合理主義的な考え方が基礎にあると思われます。しかし,これを信条といわないで「哲学」というところがドイツ人らしいのです。最近は日本人でも言う人がいますが,少ない。ところで,こうした通俗的な用法を超えた「人生・世界,事物の根源のあり方・原理を理性によって求めようとする学問」である哲学 Philosophieもまたドイツ人にふさわしい学問のひとつであります。哲学はヨーロッパではギリシア以来の伝統があり,ドイツ起源でもありませんし,ドイツ人の専用でもありませんが,ドイツ人の内面的,内向的,内省的な性向は正しく哲学には適した素質と思われます。一日の労働が終わり,あまり明るくない照明のもとで,ゆっくり静かに思索のひと時をすごすというのは大変ドイツ的でもあります。それはしばしば反省であり,自己批判にもなりえます。ドイツ人はあまり明るい照明を好まないのは,ひとつには節約精神や心地よさGemütlichkeit を求める気持ちもありますが,恐らくこうした思索にもふさわしいからでしょう。確かに「ほの暗さ」は思索・瞑想を促しやすいでしょう。この思索好きの性格は,さらに何か問題があればその原因や問題点をどこまでも大真面目に追求しようという傾向,簡単に言えば先にも触れました「議論好き,理屈っぽい,詮索好き」といった形にもなりますが,あれこれ思い起こしながら夕べを過ごすというのは,ともかくゆとりある「ドイツ人」を強く感じさせます。これには「秩序」に対する感覚が関わっていることはいうまでもありません。
ところでこうした内面性はどこからもたらされたのか。まずドイツの地理的気象的な環境の影響が考えられます。10月にもなるとドイツの多くの地方では霧 Nebel が立ち込め,ときに1メートル前も見えないという気象状況になりますが,この朦朧とした世界は,外面的で視覚的・造形的な感覚が育成されるには明らかに不利でしょう。必然的にこれとは逆の内面的で,聴覚的・音楽的な感覚を研ぎ澄ますことになります。実際にドイツ音楽は18世紀以後世界をリードする芸術となりました。
他方イタリアなどの南国と日光への憧れもこうした環境から生み出されることになります。古来ドイツ人はオーストリア・インスブルックの南方にあるブレンナー峠を越えて南国イタリアへ旅することにあこがれましたが,有名なドイツの詩人・作家のゲーテのイタリア旅行は文化史的にも興味深い体験でした。今日でもドイツ人の大多数は北ヨーロッパではなく,南欧で3−4週間以上にわたる休暇を過ごすことを楽しみにしています。ここには先にも触れました健康志向が深く関わっています。
そしてこの地理的条件が多分に影響していると思われる人々の内面的性向は,キリスト教,神秘思想,そして特にこの内面性の最もすばらしい果実でもある「宗教改革」を実行したルターの影響,敬虔主義 Pietisumus,感傷主義 Empfindsamkeit, Sentimentalismusと称されている内面的な思潮,その他の社会的・精神的影響を受けながら,さらに洗練され,やがて,無限なるものに憧れ,科学的・合理主義の対極にある非合理的な世界とも関わることになります。これは良かれ悪しかれ,最もドイツ的な思潮であるロマン主義 Romantikというキーワードに収斂されることになります。ロマン主義はイギリスやフランスにもありましたが,恐らくドイツで最も豊かに開花しました。
ドイツ人の内面性・ドイツ・ロマン主義と近代ドイツの運命
ここでドイツ人の「内面的,内向的,内省的」な傾向の発露でもあるロマン主義と運命的に関わったドイツの近い過去について少しお話したいと思います。
ドイツの最大の謎は,あれほど世界に対しすばらしい文化的貢献をもたらし,優れた学術・技術,魅力的な音楽や文学などを贈った同じ民族が,何度も世界の厄介者となったという矛盾した歴史でしょう。どうしてあのユダヤ人撲滅の思想が生まれたのでしょう。こうした矛盾は多かれ少なかれどの民族にもありえますが,ドイツほど極端な例はありません。(日本文化もかつて「菊と刀」で象徴される矛盾が謎とされました。)この謎はドイツ人のこの内面性と無関係ではなさそうです。
トーマス・マンThomas Mann(1875−1955) というノーベル賞も受賞(1929)した北ドイツ生まれの作家がいました。彼はユダヤ系ではありませんが戦時中ナチスに国籍を剥奪されスイスを経てアメリカに亡命します。そして1945年4月30日ヒトラーが力尽き自害した後の5月末,彼はアメリカで(英語で)『ドイツとドイツ人』 Deutschlandund und die
Deutschenという講演を行いましたが,マンはこの講演で,この謎を解こうと試みています。これは説得力のあるものと思います。確かに60年前のドイツ人は今のドイツ人ではありませんが,その本質的な部分には今もその特色は残っていると思われます。われわれ日本人の中にも,戦後60年たったにもかかわらず,戦前のあるいは,江戸時代にまでさかのぼる文化の一部と思しきものが生きつづけていることがあります。その意味で,この講演はドイツとドイツ人を理解するために今も新鮮さを失ってはいません。ドイツの謎を解く鍵はマンの言葉をかりますと「あの最も美しいドイツ人の特性,ドイツ人の内面性の発露」であるドイツ・ロマン主義の中にあるというのです。ロマン主義は現実世界よりも非現実的世界,現在より過去(過去志向という点ではいわゆる歴史主義とも関わります),昼より夜,生より死,知性より感情にひかれます。「憧憬にみちた夢想的なもの,幻想的で妖気をただよわせるもの,深遠で風変わりなもの,高度な芸術的洗練」もロマン主義に結びつく概念です。しかしここにはさらに「非合理で悪霊的な生命力」ドイツ語でデモーニッシュdämonisch といいますが,というような原始的・古代的な魂にもひかれるのです。そこに普通は感じられない人間の根源的な生命力のようなものを感じ取ろうというわけです。さきほど触れたフロイトなどの人間の病的な世界,無意識の世界に踏み込む学問もまたロマン主義に触発された面があるのです。ロマン主義にはこのように非現実的でゲーテに「病的」といわしめたような,不健康な面もあるのです。簡単にいえばこのようないわば暗いロマン主義の部分が悪いドイツを生み出したというわけです。
これに関連してドイツの一般市民・知識層は近代的な自由主義・民主主義の政治体制に対するセンスをみがく機会を与えられなかった,たびたびの革命も挫折に終わったという状況があります。先に述べた宗教的な影響に加えて,この挫折感もまたドイツ人のペシミスティックな,つまり悲観論者的な傾向を強くした可能性があります。他方,その結果,政治的なものを軽視してきたというような事情も加わります。戦後60年もたった現代のドイツ人の政治的センスは国際的になったと思いますが,久しくドイツの教養の中には「政治」は入っていなかったといわれています。(過去あるいは最近の日本にも似たような状況があるかもしれません。)こうしてドイツの教養人・知識人は学問や芸術により関心をもちました。この状況は科学技術や学芸を発展させるためには有利であったと見ることも可能です。ところで,この政治的未成年の源泉は実はルターにあったようです。彼は宗教改革でキリスト教の堕落を救い,それを民主化することによって,自由民主主義革命への刺激も与えました。しかしルターは宗教的な自由を唱えながら,世俗的・政治的には,封建的社会構造を支持したのでした。民主化を求めたいわゆる農民一揆のような運動が起こりますが,これは明らかに宗教改革の理念に触発されたのです。しかしよりにもよって,彼はこれを弾圧する側に加勢したのでした。この現代から見ればはなはだ矛盾した彼の態度が,以後のドイツの運命を左右することになったところが大きいのです。マンも述べていますが,キリスト教の改革そのものも良い面ばかりでなく,新旧教徒の対立はやがて30年戦争(1618-1648)の悲劇(人口は1500万⇒1000万)をもたらしました。先にも触れましたが,彼のその他の聖書翻訳や賛美歌導入(ドイツ人を音楽好きな国民にした)などの功績は見逃せませんが,政治的観点からはまさに否定的な影響をもたらしたのです。因みに音楽も元来ロマン主義的芸術なので,病的なロマン主義の部分も持ち込むことに手を貸した可能性もあります。ともかくも市民の自由主義・民主主義に関わる政治的センスの育成・熟成という点ではマイナス符号を伴う影響を及ぼしたのです。こうしてドイツは近代的民主主義国家に移行する機会を失い,ロマン主義的な国粋的国家の形成という誤った道に踏み込むことになりました。元来,ドイツ人は国際性に憧れながらも,何かそれに内気で臆病なところがある,つまり国際人気質と田舎者気質が共存しているといわれていますが,それは自惚れと生来の田舎者の劣等感の両方に基づくものであろうとマンは分析しています。いわれてみると確かにそういうところがあります。田舎者だからこそ都会的なもの,世界的なもの,国際的なものに憧れたのではないかと思われます。こうして「国際的」なものへの憧れはロマン主義というレンズを通して「国粋的」なものに屈折したのです。1871年にはビスマルク Otto von
Bismarck(1815-1895)による「ドイツ帝国」,そし二十世紀前半にはヒトラーによる「第三帝国」が生まれたわけです。かつての,明らかに理念的でしかなかった「神聖ローマ帝国」の栄光を夢想し,過去志向のロマン主義的運命をたどることになったのです。そこでは優れたドイツ民族が意識され,ヨーロッパ・世界制覇を思い描いたのでした。そして,詳細は省略しますが,あのホロコーストの悲劇も起こったのです。こうして近い過去のドイツの運命は,実はこのロマン主義と深く関わっていたのでした。そしてあの素材的には過去志向のワーグナーのロマン主義音楽(音楽技法的には新しい面がありますが)が,しばしば第三帝国の祭典気分を高めたのでした。
マンは「知性の高慢さが心情の古代的偏狭さと合体するとき,そこに悪魔が生まれる」といっていますが,要約すれば,これこそ十九世紀後半から1945年までドイツがたどってきた道だったのではないかと思います。そして現代でもなおロマン主義はドイツ人の魂の奥底に脈々と流れているのではないかと思われます。例えば環境保護運動とネオナチ登場はこれと無縁ではないでしょう。前者は良きロマン主義,後者は暗いロマン主義に他なりません。ネオナチについては,このような論点に対して,恐らくドイツ人は得意な理屈で反対するとは思いますが,完全に否定はできないでしょう。
なお,世界文化遺産などの精神にも過去志向のロマン主義が基調にはあるかもしれません。確かにロマン主義はドイツだけのものではありませんし,時代的にもいつも存在するものでした。ただロマン主義があのような精神運動に高揚したのは,まさにドイツ的であったのです。
まだ申し上げたいことは多々ありますがこの辺で話を終わりたいと思います。(具体的なドイツ人のコミュニケーション手段などについては(例えばジェスチュアとか目立つマナーの相違などですが)ワークショップやゼミナールなどの方がふさわしいと思い,触れませんでしたが,ご質問などあれば,分かる範囲内でお答えしたいと思います。)
参考文献
トーマス・マン(青木訳)『ドイツとドイツ人他五編』岩波文庫 1990年
『世界比較文化辞典』マクミラン・ランゲージハウス 1999年
サンドラ・ヘフェリン『浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ』光文社 2000年
熊谷徹『住まなきゃわからないドイツ』新潮文庫 2001年
浜本・高橋『現代ドイツを知るための55章』明石書店 2002年
* 本稿は2005年6月某私立大で開催の講演会の原稿である
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