【薔薇ノ木ニ初恋ノ花咲ク】 十二    ・・・ 2006.8.5


あれから数日が過ぎた。
は気だるげに溜息をつくと、読んでいた本を閉じた。
あの日、目が覚めた時には、隣で繁がぐっすりと眠っていた。
起こさぬように足を忍ばせ部屋まで戻った。
それから一度も繁には会っていない。月村の授業時も出ていない。
小使いの青年−−−要のことも避けている。

「ただいま」

「あ、・・・おかえり」

「ほれ」

白い封筒が差し出される。

「なんだ、これは」

「月村がお前に渡せと」

「・・・そうか」

一応、中を確認する。
しかし、中身は取り出さず、封筒の中を覗き込むように確認する。
やはりあの時の写真である。

・・・すまない」

実はあれ以来、と面と向かって話すことが出来なかったのだ。
は、できるだけ普通に話をふってきたり、いつもどおり接してくれてはいたのだが。
要と月村との会話を聞いた限り、もそれなりに酷い目に遭わされたはずである。
それについても、今の今まで互いに触れてこなかったのだ。

「そんなことで、謝るな。この問題はもう決着がついたんだからな」

決着・・・。そう、解決ではなく、決着なのだ。
は一瞬、悔しそうに唇を噛んだが、今は「そんなことで」と言ったような。
では、何か他のことについて謝れという意味なのか。

「その件に関しては・・・確かにお前の言う通り決着はついた。だが・・・」

だが、が酷い仕打ちに遭ったことには変わりがない。
今から思えば、教室の入り口で倉田と言い争った時に、要にあのような言い方をしてしまったのが、
事の始まりだったような気が、はしていた。
これで結構頭の回転の速いのことだ、おそらく最初からではないにしろ、
が気付いた時点では、もう既にわかっていたかも知れない。
となると、それを黙っていてに協力し、事件に巻き込まれたということになる。
ただ目撃しただけでは、あのようなことにはならなかったはずである。

「あのなぁ、それに関しては、俺はもうどうでもいいんだよ。それだって返ってきたんだ。
 俺が言ってるのは、その後遺症の話で、謝って欲しいことは別にあるってことだ」

に手渡した封筒を指差しつつが、意味深に言う。

「なんだ、その後遺症とやらは・・・」

「・・・わからないのか?」

真面目なことを話す時の、真剣な眼と、低い声。

「だから、何がだ」

、お前・・・あいつのことが好きなんだろう?」

が目を丸くする。つきんと胸に何かが刺さる。
しかし、それを認めることは出来ない。認めてはいけないのだ。
それにしても、何故が今、そのようなことを言い出したのかが気になる。
あの日の昼間のことも、その晩の狂気の宴のことも、何一つ話していない。
したがってあの男に関する情報で、が知りえるのは、初対面の時の話だけのはずである。
それとも、今日月村と会って、何かを吹き込まれたのか。
いや、月村はとてつもなく謎な男だが、そのようなことをいちいち吹聴する男だとは思えない。
では・・・何故?
長い沈黙の後、が平静を装って口を開く。

「あいつ? 好き? こほん。・・・これはいつものことだが、その、お前の言うことはいちいちよくわからない」

「とぼけるなよ。薔薇の木の下で出逢った着物の外人だ」

鋭く抉るようにが答える。やはり、は繁のことを言っているのだ。
しかし、が繁との初対面の話をした時も、外見まで事細かに説明した覚えはない。
だとするならば、考えられる理由は一つである。

「・・・会ったのか? 彼に・・・」

「ああ」

予想通りの返事に、の鼓動は早くなる。身体が勝手にあの晩のことを思い出す。
繋がれて、限界以上に高められ、達することも許されず、それから・・・この世のものとは思えない官能。
思わず、ぎゅっと目を閉じ、その情景を脳内から追い出すように、頭をふるふると振った。
漆黒の髪が揺れる。

「つい今さっき、月村のとこから戻ってくる時、薔薇の木の下のところで、な」

ずきんと胸が痛む。それを悟られまいと、はわざと興味のない反応をする。

「そうか」

「なんとなくピンときたから話しかけてみたら、案の定だった。お前のこと心配してた」

「・・・そうか」

今更心配だと? 月村に命令されてあれだけ好き勝手したくせに。
人の気も知らずに・・・がぎりっと歯軋りする。

「いい加減素直になれよ。、お前はあいつのことが好きなんだろう?」

「どうしてそのような話になるのか理解できない。お前が言うとおり、あの件は決着がついた。
 あの男とも、もう関わることはない」

わざと冷たく言ってはみたが、途中、どうしても声が震えた。

「・・・月村教授とあの男は、昔この学校の学生で今の俺達のように、寮で同室の仲だったらしい」

寮で同室。だとすると、彼らが互いを下の名前で呼び合うには、別段不自然ではないだろう。

「誰に聞いた」

「あの男がそう言った」

しかしいくら過去に寮が同室だったからといって、あのような狂った計画に手を貸すとは、どうかしている。
もっとそれ以上の、何か・・・。が思考を巡らせる。
それに答えるように、が言った。静かに。気を遣うように。

「初恋の相手だったらしい」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・」

・・・、お前は何でも知っているな」

呆れた溜息。そう、薄々・・・いや、ほぼ確信に近いところで、予想は付いていた。
ただが認めたくなかっただけである。

「・・・お前に関することだけだ・・・」

「え?」

不意に聞こえてきた、辛い響きを持ったの声。
は顔を上げ、の瞳を覗き込んだ。

「女ならまだしも、他の男に取られるくらいなら・・・と、この数週間悶々と悩んだ」

自嘲気味に話すその姿は、今まで見たことがないくらい痛々しげなもので。
ここまで精神的に参っているの顔を、は初めて見た気がした。
見ていられずに、目を伏せ、今しがたの言った台詞を反芻してみた。
・・・他の男に取られるくらいなら?

「ちょっと待て。お前、何を言っているんだ?」

「気付かなかったのか? だとしたら鈍感にもほどがあるな」

少し馬鹿にしたように言われて、がむっとした表情を作る。
しかし、それもほんの一瞬のこと。
自棄を起こしているのか、拗ねているのか、どちらにしても初めて見るの表情に、は戸惑う。

「俺は、お前が好きだったんだよ。ガキのころから、ずーっとな」

「・・・・・・な?」

そのようなこと、今までに一度だって言われたことがあっただろうか。
そぶりすらなかったような気さえする。
この間の件にしても、あれは単に媚薬を盛られた自分を助けるための処置だったはずである。
は首を捻る。

「でなきゃ、どうして俺が、こうして他の男とお前の仲を取り持つようなことするんだ」

「仲を取り持つ? お前が俺のことを・・・その、恋愛対象として見ているのなら、むしろ逆だろう?」

は、わけがわからないというように首を傾げた。
普通自分が好意を寄せている相手に、想い人が出来たとしたら・・・自分だったら邪魔をするだろうと思ったのだ。

「っかー!!! これだから、自分が誰のことで頭がいっぱいなのかもわかってない鈍感なやつは嫌なんだっ」

「なっ!!」

「好きなんだろうがっ!!」

「・・・・・・っ!」

否定する言葉を探したが、出てこなかった。
声にならない悔しそうな吐息だけが、の口から漏れる。

「お前のことなんか、全部お見通しなんだ。ったく、さっさと行けよ。薔薇の木で待ってるとさ」

不貞腐れたように頭の上で手を組んで、自分の寝台に身を投げ出す

「・・・・」

無言で近づく

「なんだ、まだいたのか。さっさと行かないと俺が襲っちま・・・んっ!?」

触れるか触れないかの口付け。
結わえていなかったの漆黒の髪がの上にかかり、暗幕のように視界を闇で奪った。
思わず手を伸ばし、腰を抱き、引き寄せる。
もう一度、今度はのほうから口付けた。噛み付くような熱く深い口付け。
深く、深く、深く求める。は甘んじてそれを受け止めた。

「・・・・・・・」

ようやくを解放し、は愛しい友の名を口にする。

「すまない。今まで何も気付かなかった・・・その、本当にすまない」

差し込む夕日。隙間から薄く覗く、美しい青の宝石。
幼い頃から胸の内だけでずっと憧れてきた、憂いと自尊心の織り成す完璧な造形が、そこにあった。
いつもより数段赤味を増した、どこか寂しそうな、それでいて芯の強い唇を、はもう一度名残惜しげに見た。
そして、再び首をもたげそうになる煩悩を振り払うように、きつく目を閉じて言う。

「・・・・ったく、それだよ。俺が聞きたかったのは」

本当はそんな台詞、どうでもよかった。は胸の内だけで言う。
ただ、あの男に譲るにしても自分の気持ちだけは、最後に伝えておきたかったのだ。
例え自分には、ほんの少しの可能性すらなかったとしても。
これで、また友人として共に歩んでいくことが出来る、そう自分に言い聞かせる。

・・・」

「行けよ、あいつのところへ」

目を閉じたまま、が言う。その口元は優しく笑みを作っている。

「・・・・・・・・」

「行けって。これ以上、俺にみっともない姿を晒させるつもりか?」

みっともないのは俺のほうだ、と、は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
が自分に対して、そのような気持ちを抱いていたとは知らずに、随分と好き勝手やってきた。
そして今、そのを置いて別の人の元へ行こうとしているのだ。薄情にもほどがある。
しかし、ここで行かなければ、自分はずっと後悔するかも知れない。
何故だかこの機を逃せば、もう二度とあの人に会えない気がする。
そうなれば、背を押してくれたにも申し訳が立たない。
よく考えた挙句、は自分なりの結論を出した。その瞳はもう迷ってはない。

「有難う」

小さく言うと、は静かに部屋を出た。
扉が閉まり、少し早歩きのの足音が完全に聞こえなくなって、ようやくは目を開けた。

「・・・世話のやけるやつだよ、お前は本当に・・」



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