
| 2006年1月1日 順教寺住職 細川公威 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を迎えるにあたって 平素より順教寺護持興隆に対してご尽力をいただいておりますこと、心から御礼申し上げます。さて、ご承知のとおり来る2011(平成23)年に、宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌をおむかえいたします。つきましては当寺としての取り組みを申し述べさせていただきます。 @順教寺御遠忌テーマを発表します。 『私にとって宗祖親鸞聖人とは 〜あなたは何に依(よ)って生きていきますか?〜』 ※昨年(2005年)当寺でおこなわれた宮城先生(九州大谷短期大学名誉教授)のご法話をお聞きして、あらためて「わたしは何を依り処として生きているのか」という、私の生き方・姿勢が問題になりました。自分自身を振り返ってみても、まことに行き当たりばったりで、目の前のことに精一杯で、まったく余裕のない毎日をおくっている、というのが正直なところです。あなたの依り処は何ですか?お金・健康・家族・仕事・自分自身・・いろいろあると思います。もちろんどれも大事なものではありますが、もうひとつはっきりしません。 一方で私たち真宗門徒は「親鸞聖人」を「宗祖」とおよびしているわけですが、私にとって親鸞聖人をなぜ「宗祖」とよばなければいけないのかという、その点がとても曖昧になっていることに気づかされました。私にとって親鸞聖人とはどのような存在なのか。うちは代々浄土真宗で、親鸞はその開祖だから、ということだけではあまりにもさびしい気がします。親鸞聖人を遠い過去の人という位置付けでは、いまを生きている私たちと親鸞聖人の接点は何もうまれてきません。そして時代・社会のさまざまな問題に真宗はどうこたえ、どういうメッセージを発していくのかという大事な問題もあります。宗祖親鸞聖人・私・社会、どれもきりはなすことはできません。現代社会を生きる私たちにとって親鸞聖人はどのようなお方か、この機会にじっくり考えることができればと思います。そういう意味でもこのたびの御遠忌はとても大切になってまいります。 親鸞聖人はひとりの凡夫として、いまを生きる私たちの苦悩・悲しみを、時代こそ違いますが、同じように背負われ、逃げることなく大地に足をしっかりつけ歩まれたに違いありません。今後ともこの順教寺御遠忌テーマをみなさんとともに考え歩んでいきたいと願っております。なにとぞよろしくお願い申しあげます。 A順教寺 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要を執行しました。 2005年5月29日、作家・五木寛之氏をお迎えしまして『慈のこころ、悲のこころ』と題してご講演いただきました。 B「順教寺 公開仏教講座〜宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を迎えるにあたって〜」を毎年一度開催します。 2005年より順教寺 公開仏教講座のテーマを「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を迎えるにあたって」として、その第1回目として、九州大谷短期大学名誉教授・宮城先生をお迎えしまして『私にとって宗祖親鸞聖人とは』と題してご講演いただきました。 本講座をこれから2011年まで毎年一度おこなう予定です。 C御遠忌の記念に法話集を出版します。 順教寺 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌記念T 松本梶丸師 法話集 『知恩報徳』(2009年6月4日発行) D「宗祖親鸞聖人のご生涯に学ぶ会」を月一度開催します。 2006年4月より順教寺において、『宗祖親鸞聖人』(東本願寺)をテキストとし学んでいきます。 E宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌 お待ち受け総上山を実施します。(期日は未定) この「御遠忌 お待ち受け総上山」は、住職、門徒をはじめ真宗の教えにご縁をいただいた方々が真宗本廟に集い、帰敬式受式と聞法学習、御修復の現場視察等をとおして、宗祖親鸞聖人にお遇いしていただくことを願いとしております。 F順教寺において「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」を執行します。(期日は未定) 子どもから年配の方々まで、どなたでも気軽に法要に参加できるよう、法要のあり方を工夫し考えていきたいと存じます。 G毎月の定例の同朋会、こども会のよりいっそうの充実をはかります。 何よりも毎月の同朋会・こども会を私の学びの場として、足を運んでくださった方がたお一人おひとりとの出遇いを大切にし、ともに仏法をいただいていきたいと存じます。 H自分は本当に仏法を聞く気があるのか。 寺に身をおくものとして一番見失われがちな、何のためにこの「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」をつとめるのか、仏法をいただく姿勢があるのか、そのことをつねにわが身にきいて課題としていかねばなりません。 以上、大雑把ではありますが、これからの御遠忌にむけての方針を9つ述べさせていただきました。いずれにしましても皆さま方お一人おひとりのお力添えがなくてはなにひとつできません。なにとぞ深いご理解を賜りますようよろしくお願い申しあげます。 合掌 |