河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第五十一回 「『がんばれ』とは言わないでください」

津波で助かったおじいさんが
「これまで築き上げたすべてを失ってしまった。まあ自分の命が助かったから良しとするか」と吐き捨てるように言った。
津波で助かったおばあさんが、
「私だけ助かった。他の人はみんな津波で流されていった。私の命があった事をうれしいとは思われない」と涙ながらに言った。
衣食住、すべてに足りていない。それに肉親を失った大勢の被災者がいる。
衣食住に不自由する事なく、肉親とも平穏無事に過ごしている大勢の人もいる。
その平穏無事の彼らが、被害を受けた人々に「がんばってください」と言わないでください、と私は言う。彼らは(被害を受けた人)、もう十分過ぎるほど「がんばって」いるのだから。壊れそうになっている体力と気力で必死に生きているのだから。
いかなる生き物も(人間も)傷つき、倒れそうになった時は、静かに身を横たえ傷を癒し、体力をつけ、やがて自分で立ち上がろうとするだろう。その時に周囲が「がんばれ」と言ってあげればいい。今はその時ではない。
いかなる生き物も(人間も)、長い間自然の脅威からいかにして逃げ延びる(進化)の歴史だった。ただ人間だけは近代になって「何でも思い通りにできる」と思う様になった。でも今回の地震津波を目にした誰もが、「自然の脅威」を思い知らされた。又、何でもできる、と造った原発で、どうしていいのかわからず、その「脅威」にうろたえている。「このままでいいのか」今考え直す時である。
ようやく助けられた一人のおばあさんが、
電気もガスもない、すべてが破壊された場所の焚き火の前で、一枚の毛布にくるまって、その日初めて配られた白米だけのおにぎり一個に、満面の笑みを浮かべて「おいしい」と、そして一言。「人間お腹がすくと、イライラして、ロクな事にならない」と。
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第五十回特別編 詩「今」