河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第五十三回 「アナログ放送の最期」

 「この放送(アナログ放送)はあと○日で終了します。このままではテレビ放送が見れなくなります。」ここ数年間、ずっとこんな脅迫まがいの字幕が画面に出続けていた。そしていよいよ最後の時が近づいてきた。いったい最後はどんな形で終わるのだろうか、今から楽しみである(ヒネクレ者)。
四十年ほど前のテレビドラマにあった「スパイ大作戦」の様に「このテープ(映像)は自動的に消滅します」といって煙と共に映像が消えていくのか、それとも、お堅いだけが取り得の国営放送(NHK)で、女性アナウンサーが身にまとった最後の一枚がひらりと落ちた瞬間、「長い間、ありがとうございました」と終わるのだろうか(そんな事、あるわけないだろう。何を考えているのだろうか、このオヤジは)。

 私もこれまでデジタルに切り替えなければ、と少々気にはなっていたが、デジタルにしたからといって今まで見えなかったもの(?)が見える訳でもないし、同じ様な番組が増えるだけ、より「鮮明に」と言うが、今までもアップに耐えられない様な出演者の顔がハッキリ見えたからと言って、どうと言う事もない。3Dとかいう技法で「立体的に」と言うが、想像力の乏しくなった現代人にはそれがいい事なのかどうかわからない。だからデジタル化したからといって何の期待もしていなかった。さらに、こんな理不尽な事(まだ使用可能な電気製品を勝手に使用できなくする)に、どこかの奇特な弁護士あたりが、「何人(ナニビト)も個人の選択の自由を侵す事はできない(そんな法律あったかな)」と、裁判でもしてくれるかな(裁判すればきっと勝てると思っていたが)と少々期待していたが、弁護士は金持ちが多いから「少々の金で済む」くらいのことには興味がなかった様だ。

 まあ、世の中「長いものには巻かれろ」「強い者には陰で悪口を言え」の例え(?)で、あきらめて、ここ(仕事場)のテレビが見れなくなってから、ゆっくり考えよう、それからでも遅くはあるまい。現代は「早い者勝ちの時代」である。朝から晩までテレビで「そんなにのんびりしてて、あなたの子供の将来は大丈夫? あなたの就職は? あなたの健康は? あなたの老後は? あなたのお墓は?」と脅されている。いつも「先」への不安をあおって「乗り遅れるな」「躊躇するな、立ち止まるな」と周囲は叫び続けている。実際、躊躇した(立ち止まった)私はこの有様である(この齢になっても先の展望がない)。

 私の周囲でもほとんどがデジタル化を終えていて、私に「まだやっていないの。早くしないとテレビ見れなくなるよ」とありがたい忠告をしてくれる。一ヶ月やそこらテレビを見ないから(見れないから)と言って、どうこういう事もあるまい(一生、テレビが見れなくなる訳でもあるまいし)。もし期限まで(あと二ヶ月)に国民の半数以上がデジタル化していなかったら、マスコミ(テレビ業界)もうろたえて、テレビの「存在」意義を少しは考えるいい機会になっていただろうに。

 今回の津波、地震、原発事故、これらは私にとっては日本の一つの終わり(区切り)である様に思う。「すぐ立ち上がれ、日本は一つになって復興だ」、又諸外国の指導者から「日本人は困難な時にも冷静さを失わない秩序あるすばらしい国民だ(どこの国の指導者も事があった時その指導者に従順な日本国民がうらやましい)」と以前の日本に早く戻したい様だ。だが災害を受けた人々の中には、老人もいる。障害者もいる。心に大きな傷を受けた人もいる。もともと経済的にめぐまれていなかった人も、各人各様である。「復興に乗り遅れるな」とやれる人はやればいい。だが立ち止まってゆっくり考える人がいてもいいと思う。又エラソウな事を言うけれど、現代の人間社会は好むと好まざるとにかかわらず、「先の不安」は一生ついてまわる。金持ちは金持ちなりに(私も一度はそうなってみたい)不安はあるだろうし、社会的地位のある人(私はなってみたくない)も、又金も、地位もない人達もしかりである。いずれの人々も勝手に「そうありたい(不安のない生活)」と願っているだけである(幻想である)金持ちや社会的地位のある人の「先の不安」など私の知った事ではない。「金もない(貯えもない)、社会的地位もない。先の不安だらけ」、だけど「何とか工夫してやっている」これが人間として、いや、地球上で生きとし生ける物(生物)の共通点(すばらしい点)であろうと思う。だから私と同じ様な境遇で多くの不安をかかえながら生きている人と助け合っていかなければならないという気持ちが私の心のどこかにもある様だ。ただし「なんとか工夫して」もどうにもならない原発事故、だから絶対、原発はやめるべきである。

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第五十回特別編 詩「今」