河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第五十六回 「アナログ放送の最期(U)」

テレビの映像が砂嵐に変った瞬間、砂嵐の中に現われたモナリザ風の笑顔の美女の画面がだんだん遠ざかり、やがて砂嵐の彼方へ消えて行った。これくらいの演出もできないとは、今時(イマドキ)のテレビ局はセンスのカケラもない。日頃「このテレビ(NHK)は皆様の受信料のおかげで成り立っています。」と殊勝な事を言っている割に、いざと言う時(?)は横柄な態度である。

翌日「今日からテレビのない生活が始まるぞ」と新たな気持ちで仕事場に着く。私の仕事の一日は(これまでは)、まず早起きして家族の朝食をつくる(つくらされた)せいで疲れもあるので、仕事場に着くと、まずコーヒーを飲み、タバコを一本吸い、テレビをつけ(なんとなく見る)、三〇分ほど休んでから、仕事を始めるのが日課である。 いつもの様に、まずコーヒーを飲み、タバコに火を付けようと思ったが、実はこの日(アナログ放送終了)を境に三つの誓いを立てた。一つはテレビを見ない(見れない)。タバコをやめる(今まで何度もあった決心)。そして間食をしない(私はお菓子が大好きである)。仕方がないのでタバコはやめて、テレビのリモコンを押す。砂嵐である。試しにリモコンの全部のボタンを押してみたが変化なし。「そうだ、この日のため我が家の娘がCDを用意してくれた」のに気付き、さっそくCDを聞く事にする。娘が「父さんの好きそうなのを選んだ」という中島みゆき、小田和正、洋曲の中から、小田和正をボリュームいっぱい(ここは一軒家なので)で聞き始める。曲名「サヨナラ」。「♪もう終りだね・・・」、パチンコ屋の軍艦マーチとは言わないが、これでは「仕事を始めるぞ」(私はいつも仕事を始める時「さあ始めるか」と自分に言い聞かせてからやる。まあ空元気)という気分になれない。そこですぐ中島みゆきに変える。彼女の曲は好きだけど、やはり「仕事を始めるぞ」という気分になれない。それでも「仕方ないから仕事を始めるか」と仕事に就く(我ながら面倒な性格だと思う)。

昼近くになって、友人の庭師(丸銭さん)が私の分の弁当持参でやってきた。アナログ人間の彼、訳のわからぬ(デジタルの意味を私同様理解していない)のに彼の所のテレビがデジタルに替わっていると思われず、「お前の所のテレビ、砂嵐か」と聞くと、案の定「どこをタタイテもテレビ映らん」と、「わしもリモコン押しまくったが映らん」と。やる事(テレビを叩く、リモコン押しまくる)がお互いアナログ人間である。「こちらのせいでなく、テレビ局が砂嵐に見舞われているらしい。3日も過てば砂嵐もおさまり又このテレビで見えるようになるかも」「東北ではまだアナログ放送が見られるからあそこ(東北)からテレビのアンテナコードを引いて来ようか」「又政権が変わってマニフェストでデジタルからアナログに変えようとなるかも」「デタラメな事を平気で言う(原発事故で)有名な科学者が『デジタルテレビから放射能が出ている、直ちには害はないが』と言ってくれないかな」と散々バカな事を言ってくやしさ(テレビが映らない)をまき散らしても肝心のこのテレビは映らないままだ。仕方がないので二人でコーヒーを飲み、彼はタバコに火をつける。私もつられてタバコに火をつける(今回の禁煙タイム十一時間弱、私の決心などこんなもの)。 昼食にする(いつもならタモリの「笑っていいとも」を見ながら昼食をとる)。「タモリもこの頃堕落したな。金貸しのコマーシャルに出たり、原発の話はいっさいしないし」と番組を見れないのをタモリのせいにしながら昼食を終える。彼(丸銭さん)はめずらしく仕事があるからと帰り、私はいつもより早く仕事に就く。

二時間ほど働いた所で斉藤さん(元大学教官)が遊びに来る。仕事を切り上げ(私は仕事より遊びの訪問者を優先する)、斉藤さんに会うや否や、私「ここのテレビ見れなくなった。どうかならんかな」(斉藤さんは元生物の先生だったが機械にくわしく、原発の構造の危険性を早くから指摘し、反原発原告団の一員としてこの種の裁判(金沢地裁の一審)で唯一「原発の安全性には問題アリ」との判決を引き出した私には頼もしい人である)。さらに私「原発から見ればテレビの構造なんて簡単なもの。デジタルの欠点を見つけてアナログテレビでも見れるようにならんか」、彼「そんな事、わからん」と、そっけない一言で終ってしまった。それでも彼(斉藤さん)が持って来てくれたお菓子を二人で食べ(間食禁止時間十五時間弱、私の決心などどうせこんなもの)、原発事故に関する講義を夕方までたっぷりしてもらった(仕事そっちのけで)。私は最初(原発事故)からマスコミの情報はほとんど信じないで、この人(斉藤さん)からの情報をたよりにしてきた。夕方斉藤さんも帰られ、結局テレビは映らないままだった。 弱い者の味方(?)と唯一頼りにしていた彼(斉藤さん)にも見捨てられ(少々オーバーかな)、夕方私がやらなければならない最低限の仕事を終え、帰る(家へ)までの小休止を取る。

いつもだったら休むと同時に何気なくつけるテレビもつけず(見れず)、ほとんど車の通る事もなく、時折ひぐらしの鳴き声だけの静寂の室に寝転び、フト、自分にとって「テレビとは何なのだろう」と考えてしまった(どうせそのうち、テレビのない生活も慣れるだろうと思いつつも)。今でも「テレビなんて」と思っている。ただそのテレビがなかった、たった今日一日だが、音と映像に満ちあふれ、パターン化された現代の日常生活の中で私の「ある時間」をしっかり占めているのは、まぎれもない事実である事を知らされた。それはいい事なんだろうか(こんな余計な事を考えず、素直にテレビを見て楽しめるのなら、それでいいのかも知れない)。静寂の中に身を置き、ぼんやりと移り行く季節をながめながら、あれこれ思い(?)を巡らす。それが自然に出来る今日一日だったはずなのに。 現在の日本は(私の話は突然小さな事(自分)から大きな事(日本)に変わるのが特徴である)社会の指導者によって作り出された窮屈な生活パターンの中にしっかりと繰り込まれ、そこから少しでもはずれる事におびえながらの生活である。それは人間が本来持っている(長い間の進化の過程―幾多の困難を乗り越えてきた過程で獲得した)個人の多様な「能力」とは異なるだろう(能力の一部でしかない)その能力とは、今とはもっと違う社会を造るぐらい可能なものだと思う。この国は(私も含めて)外圧(戦後のアメリカ統治による天皇制廃止、財閥解体、農地改革等)でしか変われないのだろうか。今大震災で「日本は変わらなければ」と言っているが、指導者のやっている事は戦争中のあの大本営発表(指導者に都合のいい事しか言わない―本当の事は言わない。そして「勝つまでは、欲しがりません」と国民全体に節電を強いている、この震災で「日本は一つになって震災に会った人の心に寄り添って新しい日本を」と叫ばれている、だが口先だけの指導者、電力会社に「電力不足であなた方のパターン化した生活の一部が壊される、と脅され、アタフタしている多くの国民、テレビが一日見れないでアタフタしている私、その一方でまだ多くの物が不足している被災者達、もう何ヶ月も経って、直接関係のない人達は、あの恐怖は半ば忘れかけている。人間とはそうゆうものだろう(だから生きていける)「人間とはもっとダイナミックなもので、いくらでも変わり得る能力を秘めている」といつも口癖の様に言っている私の能天気さとこの「何も変わらない現実」のギャップは、いったい何だろう、あれ(変わり得る)もこれ(変わらない)も含めて人間(私)というものだろうか(私が「人間とは」という時は、自分にとって都合の悪い時に「私」と言わず「人間」と言っている様な気がする)。

もし今回の大震災で「変わる」という予感が少しでもあるとすれば、それは大きなダムもどこか一ヶ所の「ほころび」からやがて全体が崩れていく様に、その「ほころび」が今回の震災であり原発事故であろうか。私は外圧(戦争等)では日本が変わるのは厭である(私の様な人間(?)がすぐ犠牲になるだろうから)、外圧でなければ時間がかかり、おそらく新しい価値観でこの社会が変わるとしたら私達の次の世代であろう(こんな事を言う様では私もトシをとった)。もし私達が次の世代に期待するなら、絶対やってはいけない(残してはいけない)事がある。次の世代は、私達の世代が何も残さないで ゼロからの出発でいいだろう。だが、マイナスから出直す様な事をさせてはいけない。多額の借金や、人が住めなくなる様な土地を残す原発だけは彼らに残してはいけないだろう。そうでなければ「あれも人間、これも人間」と言った多様な人間の悪い所(戦争を起こす)が台頭し、「いやな歴史」が繰り返される事になるだろう。 今日は私にとっては散々な一日だった。自分のアホさ(テレビが一日見られないだけでアタフタした)を知らされ、禁煙、禁菓子もどこかへ行ってしまったし、仕事場に残って書いたこの文章も、たぶん龜鳴屋の勝井(店主)に「何を大げさな事(テレビが見えない)を言っている。テレビが見たい(ほしい)なら、見たい(ほしい)と素直に言えばいいじゃん、「ヒネクレ者」、もっとしっかり働いてテレビを買えば済む事でしょうが」と言われてしまうのがオチであろう。なお、養殖日誌には「今日は有意義な一日だった」と書いておこう。
   第五十五回へ
第五十回特別編 詩「今」