河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第五十八回 「ムダな知識(自分の人生に役に立たない知識)」

私の恩師、奥野良之助氏(故人)は、これぞ大学教官と思われる豊富な知識の持ち主だった。ある時、学生達が奥野さんの室で、戦争中(太平洋戦争)の日本軍の軍艦の話になり、彼ら(学生)が大和、武蔵、加賀・・・に関する知識をそれぞれ披露し自慢していた。それまで自分(奥野さん)の机に一人向かっていた彼が振り向き、自分の当時の軍艦の知識(トン数、速さ、砲の数、性能・・・)を披露した。その知識にみんな(学生)圧倒され、すごすごと室を出て行った。そして彼はまた机に向かい仕事を始めた。だがしばらくして、一人室に残っていた私に向かって、「俺は中学生時代、クラスの誰れよりも早く正確に『教育勅語』を言えたし、自分は軍人になるつもりだったので(当時の男性はみなそう思っていた)、誰れにも負けないそのための知識を頭に詰め込んだ。そしてその知識は今もはっきり残っている」と、そんな話をしていたが急に「それはムダな知識だった」と言って黙り込み、そこで話は終った。ただその時の彼(奥野さん)のさみしそうな表情を今でも覚えている。
今の社会では知識が豊富な人ほど優秀(?)な人と言われている(それが本人の生き方にどう関わっているかに限らず)。出世や金もうけのために、無理やりに頭の中に詰め込んだために、肝心の知識が抜け落ちてはいないだろうか(それとも知識不足の人間(私)の負け惜しみだろうか)。

三月十一日のあの大震災に伴う原発事故、その第一報を聞いた(視た)時、私は自分の耳を疑う(目を疑う)ほどおどろいた。「……直ちに放射能による被害はありません。余計な心配しない様に」と、突然の事(事故)なので、まったく無知な放送局(NHK−たまたま私が見ていた)の独断で放送してしまったのかな、と思ったら、すぐ後、内閣枝野官房長官、さらに専門家(東京大学)も同じく「……直ちに」と宣うた。その直後、私の思った事は「この人達(マスコミ、政治家、学者)は、なんと無知な人達なんだ。そうでなかったら国民に嘘を言っているかのどちらかだ。いずれにしてもひどい話だ」と。

「日本は世界で唯一の被爆国で、放射能のおそろしさは他のどの国よりも認識している。そして今も(戦後六十数年後)、多くの人々がその時の被爆による放射能の影響(ガン等)に苦しんでいる」これは、毎年広島で行われる原爆記念日に言われる決まり文句の様なものである。私も確か高校の修学旅行で現地(広島)へ行き、そこで放射能で今も多くの人々が苦しんでいる現実を知らされた。この事(修学旅行等)は日本人なら多くの国民が体験しているだろう。放射能による被爆の恐怖とは、これから先何年後、いや何十年後がこわい(特に子供達)というのは、世界で唯一の被爆国日本の常識だろう。それなので「……直ちに害はない。余計な心配するな」などという言い方をする彼ら(マスコミ、学者、政治家)の知識(たぶん高学歴だろう)、この放射能の「こわさ」を知っている(知らされている)国民の前で堂々と「……直ちに…」などという"まちがえ"を言う彼らの知識には、肝心の知識(放射能というもののこわさ)が抜け落ちているのではないか。さらにもう一つ、事実を伝えなければならない(報道)、国民に嘘を言ってはいけない(信用されなければいけない)(政治家)、権力に迎合してはいけない(学者)と、これらの人たちに必要な知識も抜け落ちている。

なぜそうなったのか、それは現在の縮図(今に限った事ではないが)、自分達に都合のよい(保身のためか金銭欲出世欲権力欲の上に成り立っている)知識しか持ち合わせていなかったからであろう。世の中の事は「のど元過ぎれば熱さ忘れる」でこれまで日本はやってきたが、今回の原発事故はそうはいかないだろう(何年も何十年も続く)。

現在の原発建設から原発事故と、開戦から戦後までとその経緯が非常に似ていると思う。両方とも国策(官、民、学)が一体となり、国民のわからない所で事が進み、国民にはいい事しか言わない(原発はエコ、原子力発電はコストが安い…)。そして「安全神話」と「不敗神話」。さらにそれに異論を唱える者(「原発反対」「戦争反対」は徹底的に排除する。その結果として(原発事故も戦争も)バカを見るのは(長くにわたって苦しむのは)国民である。

奥野さんは、よく彼の室に来る学生に「自分の苦い体験」から「俺は戦争中、指導者の言う事をすなおに聞く青年(少年)だった。だから戦争に負けてからは指導者(エライ人)の言う事には、まず疑ってかかる。君達もエライ人達の言う事は何でも頭に詰め込む様な事はするな。まず疑ってかかれ」と。

ただし、彼(奥野さん)は、この私には、直接その話はしなかったと思う。なぜかと考えたら、たぶん「お前(私)の場合は、疑ってかかるのはいいし、むだな知識を頭に詰め込まない、というのもいいが、いかんせん肝心の商売(金もうけの知識)が極端に欠けている」と思っていたのではないだろうか。

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第五十回特別編 詩「今」