河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第五十九回 「なぜ怒り(正当な)を共有しないのか」

東京電力、福島第一原子力発電所事故により、その周辺で農業を営んでいた老人が自殺した。
長年、自分でコツコツと研究改良して、ようやく自分で納得のいくキャベツが作れる様になって、その出荷直前に事故が起きた。そしてそれ(放射能)によって全部廃棄処分となった。彼は(老人は)もう、ここでは作物が作れないのではないか、という先の不安、やがて絶望にかわり、自らの命を絶った。最初、放射能の影響を知った時、それが信じられず、やがて現実だと知らされると、「自分は何も悪くないのになんで」と悩む様になり、その次に「この原因を造った東京電力に対する怒りが涌いてくる」そして東京電力へ抗議するが何ら自分達(農家)に対する不安の解消になる様な答えが返ってこない。
やがて怒りが絶望へと変わっていく。たぶん真面目(几帳面)な農民だったのだろう。死後見つかった日記にその経過が記されていた。
又、ある老人は「わたしの様な者が避難する場所はどこにもありません。お墓の中に避難します」と、この人も自ら命を絶った。やはりこの人も、真面目に働いてきた(生きてきた)人だったのだろう。
原発事故からもう半年になる。予想通り(?)半年過ぎても何も事態は変わらないし、ましてや農作物への放射能の危惧は高まっている。「農家の人たちには何の落ち度もない。(当然)農家の人達は国の基準を守り、ガンバッテいる。消費者も、風評被害(?)にまどわされる事なく、みんなで積極的に被災地の農産物を買って助け合っていきましょう」と、連日この様な報道が流されている。
この事故以後、私はこの様なマスコミ報道に、はっきり言って「だまされまい」と警戒している。まず農家の人々には「何の落ち度もない」、そこまではいい。ただ、この後に入る言葉があるだろう。「農家は、わるくはない。悪いのは国と東電である」となるべきである。なぜ農家の人々の怒り(正当)を入れないのか、それは国や東電がこわいからであろう。さらに「国の基準でしっかり」と報道されてはいるが、言葉だけで問題は沢山ある。私も養殖業を三〇年以上もやっているが、未だに「この仕事はあってもなくてもいい仕事」ぐらいにしか思わずやっているが、唯一「これだけは」と思ってやっているのは、ずっと問題になっている「魚の病気に関する薬をまったく使用しない」という事である。それは長くこの仕事(養殖)をやっていて、「薬に対する安全基準」とその公共の検査体制の「危うさ」を身を持って体験してきたからである。農薬だってそうだろう。できれば使用しない方がいいに決まっている。「基準値内なら問題なし」と言うなら、「無農薬、低農薬」を目指し苦労している農家の人々のやっている事は何なんだろうか。又、少しでも農薬使用の少ない食品を苦労して捜して料理をやっている消費者のやっている事は何なんだろう。同じ値段、同じ品質なら無農薬、低農薬のものを選ぶだろう。放射能でも同じで放射能なし、と放射能あり(基準値内)とだったら、やはり放射能なし、を選ぶのは当たり前で、正しい消費者である。私も生産者である。もし私の養殖している魚が放射能の影響があれば(基準値内でも)消費者に売らず全部電力会社に持って行き、買い取らせ、もし、そうしてくれなければ電力会社の敷地にバラまいて怒りをぶちまけてくるだろう(それくらいは当然だろう(正当な怒り)。私は何も悪くないのだから)
今(半年経って)、国(政府)、民間(マスコミ、学者、芸能人)達がこぞって「被害に会った人達にこの事態に負けず、ガンバッテ彼らの心によりそっていっしょに生きていきましょう」と戦争中のキャンペーンを思い出させる様で、もはや国や東電への怒り、など言わない、たぶん自分達の先を考えたら、こわくていえないのだろう。戦前、国や大企業のやり方に対して怒りをぶちまけた小林多喜二の『蟹工船』、そのため彼は獄中で憲兵に惨殺された。その彼を文化人(作家等)が見殺しにした(国、大企業がこわくて)。そして戦後の彼らの自分達が「文化人でございます」という態度に若き日の私(私にも若い頃はあった)は「文化人の正体を見たり」と怒ったものだ。今も彼らは、イザという時はたよりにならない。幼い頃に広島で被爆し、その事を知られたら困る(差別される)と、その事(被爆)をずっとかくして高齢になった現在、ようやくその事を明らかにした女性の事を知った。その女性の心境など私の計り知れない苦しみがあった事だろう。子供の頃から現在まで、ずっと放射能の害におびえ(結婚相手に被爆者である事を告白するが悩み、さらに手紙を産むときにも悩み、自分の体調の悪い時はすぐ放射能によるガンを心配した。)もし、私の子供がそんな人生を歩まなければならないとしたら(現に福島には数十万人の人が一生(死ぬまで)定期的に検査を受けなければならない)東電や国に対する“怒り”は尋常でなかっただろう。
今、国中で「被害にあった人の心に寄りそって共にガンバッテ、生きましょう」などと言っているが、「善人の薄なさけ」みたいな事はするな(言うな)と私は言いたい。この原発事故の放射能もれだけを止めるのに最低三十年かかると言われている。そんな環境に住む人達に三十年、いや一生「寄りそって共に」など、できない事を軽々しく言わない方がいい。それよりも、今の日本人(私も含め)の「長い物にはまかれろ、強い者には文句は言わない」という体質を改め(すぐには変わると思わないが)、被害にあった人達と共に、国、東電に怒り(正当な)をぶっつけていく(声を出していく)事の方が有意義であり、又自然な態度だと思う(国、東電から彼ら(被害者)が生きていくのに必要なもの(金、仕事…)を多く引き出す。
人間とは(いつもの私の口ぐせ)喜怒哀楽の感情を持った生き物である。いや人間以外の動物も、少なくとも怒りの感情は持ち合わせている。我家の二匹の犬も、怒りの感情ははっきり私に伝達するし、私の飼育している魚だって、ナワバリを犯された時は、はっきり怒りを現わす。私の店を訪れた作家の中島らも氏が、店の動物雑誌(朝日ラルース)を読んで、「やっぱり馬は笑う(?)」と納得していたが、私が子供の頃、怒っている馬の後ろに立って蹴られそうになった経験がある。
人間は、この四つの感情(喜怒哀楽)に好むと好まざるとにかかわらず、エライ人(?)も私も、それに支配されて生きていると思う。今、世界中で起きているデモも、これも怒りの表現である一方、目を転じて今の日本を見れば人間の四つの怒りを除いた部分で被害者達を国中が援助しようとしている。他の国から「日本はこの混乱時に秩序ある行動をとるすばらしい(?)国民」と評価されている。私の言う「人間とは喜怒哀楽に支配された生き物」という定義は見まちがえなのか。なぜ日本人は“怒り”をかくして(私にはそう見える(思える))生きていけるのか。(これは日本の子供の頃の教育の成果(?)― いずれ詳しく書きたい)それなら(怒りなしに幸せに生きていけるなら)先進国で異例なほど多い年間三万人(九・一一テロの十倍、今回の東北大震災の一・五倍の自殺者の数が十年以上も続くのか。)
私の様に作家になる気もなく(なれない)のになぜこんな文章など書いているのだろう、と自問する時、基本は、自殺する勇気のない小心者で怒りっぽい性格(日本人には多い)で、今の社会には生きにくい人間だろう。でも人間としてのやはり喜怒哀楽があり、私自身も日本独特の「怒りを押えて」の教育を受け育ってきた。ただ幸い(?)にも、この齢になっても失うもの(金、地位…)がほとんどないという境遇の中で誰れにも気兼ねなしに社会に対する不満(怒り)を文章で吐き出す事で、誰れかと怒りを共有できるのではないか、という思いで精神のバランスを取って、かろうじて生きている様だ。

追伸
毒舌家の立川談志が死んだ(ダンシガシンダ)。彼が死の直前言っていた「俺は生意気な年寄りだ」という開き直りの言葉が私は好きだ。
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第五十回特別編 詩「今」