河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十回 「子供(とは) その一」

私の(養魚場の)魚の売り先に、フランス料理店(ソバ粉のガレットの店−サラザン)が一つ加わった。それほど料金が高くない、のと「よくぞ、私の店の魚に目をつけた」という点で、私も「少しは応援できれば」と思って、私の所の魚を配達している。さらに日本語ができる(しゃべれる)若夫婦のダンナ(奥さんは日本人)には、「この先日本に居ても、どうせ、じゃま者扱いの私の様なナマケモノの老人が、フランス、へ行ったら何かおもしろい事があるのでは」と期待して、あれこれフランスの事をたずねている。彼(オリビエ君)は「ワタシはフランスの代表ではアリマセン」と言いたげだが、私の「アンタは働き者のフランス人(私はフランス人の男は私の様なナマケ者が多いと思っていた)」といつも、ほめ(?)ているせいか、私の質問には何でも答えてくれる。
その彼に先日「日本へ来て一番驚いた事は何か」と質問したら、彼はしばらく考えて「日本の保育所(幼稚園)があまりに静かなのでビックリしました」と、「フランスでは、保育所(幼稚園)のそばを通ったら、子供の声がやかましく、みんな早足で通り過ぎます」と、私「どうして、日本とフランスではそんなに違うと思う」、彼「国民性の違いではないですか」、私「フランス人のDNAと日本人のDNAとはそれほど違っているとは思わない。国民性というのは子供の頃の教育方針の違いではないか、日本では個人(子供)が将来の事(安定)のために、いかにして自分が周囲に溶け込める(順応)か、大人と一体になって努力する。一方フランス(私はよく知らないが)ではいかにして周囲(子供達)の中でいかにして自分の存在をアピールするかの違いではないか。その事(子供の頃の体験が今の社会−大人社会)での物事に対する考え方、行動の違いの原因の一つではないか、日本には“三つ子の魂、百までも”という、ことわざ、がある」と、私の話しを聞いていた彼は少しは納得した様子だったが、「でも私は静かな方がいい、とにかくフランスの子供はうるさすぎる」と。
(続く)
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第五十回特別編 詩「今」