河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十一回 「子供(とは) その二」

私が大学生の頃、この私が理事という家族経営の幼稚園をやっていた。理事といっても、実態は雑用係で近郊から園児を朝夕自家用車で送り迎えするのも私(理事)の仕事だった(それが主)。そのため確か、年に一度幼稚園、保育園を対象とした警察主催の交通安全の講習会があり、私がそこへ行かされた。講習会はどこかの警察署の敷地内で行なわれ、まず到着すると同時に「今日は子供の目線で通行する車を見てもらう」という主旨で、大人はかがんだ姿勢のままでいろんな行動をさせられた。私には「なるほど、子供が見ている世界(交通)がこんな風に見えるのか」と感心させられた。そして、その講習が終りに近づいた頃、そこ(講習会)に来ていた一般の母さん方から、教官となっていた婦人警官に対する質疑応答があった。その中である母さん(私の所の幼稚園へ通っていて、私がいつも自動車で送り迎えをしている子供の親)が「○○ちゃんはいつも迎えの自動車(私の自動車)が来るまで、しっかりと親から離れず、車が来たら、さっさと乗り込み、よく親の言う事を聞く、できた子だ。それにひきかえ、うちの子は、ちょっと目を離すと道路に飛び出そうとするし、親の言った事はすぐ忘れて勝手な事をする。どうしたらいいでしょうか」と、私もすぐに「あの、いつも私の車の前でもかまわず走り回って私の手をやかすガキの事だ」と気付いた。尋ねられた婦人警官がどんな答え方をするのか、興味を持って聞いていたら「別にあなたの子供に問題はありません。本来、この年頃の子供とはそういう行動をするものです。子供にとっては毎日毎日が新しい事との出会いの日々で周囲のあらゆる事に興味を持つのは子供として当然の事です。その前提で子供を事故から守る様努力してください。大人と同じ様な事ができる子供がいたら、その方が将来心配です」と、その話しを聞いた私は「なるほど」と思い、私が送り迎えする子供に対する考え方が変わった様だ。それでも、それ(婦人警官の話)を聞いた私の周りに居た母親達はあちこちで「でもね」と納得していない様子だった。それでもその婦人警官は「意に介さず」という態度だった。あの当時(大学生)の私には、警察官と言えばデモの時のこわい機動隊のイメージしかなかったが「こういう物わかりのいい人(婦人警官)がデモの整理にあたればデモも楽しいのに」とバカな事を思った。後日、いつもの様に子供達を送り迎えをしていて、「遊んでいないで、さっさと車に乗りなさい」と親に言われず車に乗り込んで来た例の「できた子」を見て、私は「この子は何が楽しいのだろうか」と思ってしまった。

追伸
もうかなり以前の話しだが、ある人の葬儀に行った。その葬儀場で私が小学生の時(一年生か二年生)の担任の女性(もう高齢−もう八十才過ぎていた)にバッタリ目が合った。彼女は私を知ると、つかつかと私の目の前に来て「あなたのせいで私の寿命がちぢまった」とそれだけ言って、さっさと向うの方へ行ってしまった。とっさの事で彼女のその一言が冗談なのか、本気なのかわからず「先生、もう十分生きたでしょうが」と私は冗談を言いたかったがやめた。そして、その時当時(一年生or二年生)の時のかすかな記憶を必死に思い起こした。その当時の私は彼女(先生)の言う事を聞かず、勝手な行動をして、ずい分迷惑をかけた事を思い出した。「今さら、もう時効だろうが」と思ったが、私の場所からずっと離れた所に居た彼女(先生)に向って、心の中で「大変迷惑をかけました」と言って頭を下げた。(続く)
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第五十回特別編 詩「今」