河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十三回 「余計な事?」

この季節(初夏)には、私の仕事場近くは中・高生(団体)の遠足コースになっている様だ。そろいのジャージ(なぜかみんな紺色)で年齢がそろって(若者)でなければ少し離れた所の刑務所の受刑者達の様であり又遠くから見れば男か女かもわからない。私がここで(仕事場)、この光景を見ていて、もう、三十年にもなるが、やはりどこか違和感を感じてしまう。今年も「団体行動の大切さ」を修得するためか、男か女かわからない一団が私の仕事場の前を通り過ぎる。それを私がながめていたら、急にその中の一人(男だろう)が列から離れて森の中へ入って行こうとした。すると「ピピー」とするどい笛が鳴り、すぐハンドで「余計な事(道からはずれる)をするな」と、どなる声がして、その生徒はあわてて列にもどっていった。

私の昔(中・高生)の頃を思いおこすと、思い出すのは「余計な事」ばかりであった様な気がする。制服で思い出すのは暗くて重い、あの制服を着て、毎日いやいや学校へ通っていた時、年度始めにくばられた英語の教科書の表紙の男女が仲よく並んで私服で登校(?)する写真を見た。それを見て、授業中、手を上げた事のなかった私が手を上げ、アメリカ(イギリスかも)に留学経験のある女性教師に「アメリカ(イギリス)ではこんなスタイル(私服で男女が仲よく)で通学しているのですか」と質問した。女性教師「余計な事を聞くな、授業に関係ないでしょう」と、又、初めてもらったラブレターを母親に見つかり「今は(中三)、そんな余計な事をしている時間(受験)でないでしょう」と言われ、結局何の進展もなく終ってしまった。大学生になってからも、「大学改革」という余計な事(?)に巻き込まれた。家族、教官から「お前(君)の将来のためを思って言うが、余計な事をするな」と言われていた。さらに、社会人になっても、余計な事をせず、仕事に精を出せ、と言われ続けてきた。私の周囲にはそんな余計な事をして(言って)、未だに安定した生活が送れていない人間が多くいる。ただしその余計な事をしていなかったら、私は彼等の存在に気を止める事はなかっただろうし、彼らも同じだっただろう。人間と他の動物の違いを強いて言うなら、人間は他の動物より余計な事を多くする生き物ではないだろうか。それでも私(個人)の余計な事などたいした事ではない。それが国が行なう余計な事(日本が戦争を始め、アジアに進出した)となると、日本人、アジア人に多くの犠牲を出し、一方では個人の余計な事を禁止(言論弾圧)するとなりロクな事にならない。「現代社会(その時代)の社会的秩序(?)を乱す」それが「余計な事」なのだろう。私の恩師の奥野良之助さんは「個人のなせる余計な事、それこそが、本人のやりたい事なのだろう」と、人間の一生は、個人(本人)の持っている余計な事(やりたい事)と、それを押さえる社会の秩序のバランスの上に成り立っている。それを自分(私)にあてはめて考えると、自分(私)は結構、余計な事を多くしてきた様に思う。それでも、未だに(この年になっても)すぐ余計な事を考えてしまうのは、これまでの人生でまだ自分を押さえて(余計な事を押さえて)きたせいだろうか(家族が聞いたら怒るだろう)。まあこれから先も、この龜鳴屋のホームページに「余計な事」を書いていくしかない様だ。
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第五十回特別編 詩「今」