河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十四回 「猛暑(三十五度)の一日…」

今年の夏は暑かった(今も暑い)。外(屋外)でちょっと仕事をしただけであまりにも暑く頭がクラクラしてきた。脳ミソが溶ける溶けると叫びながら部屋にもどる。留守電のサインが出ている。「このクソ暑いのに、もし仕事の電話だったら見なかった事にしよう」と思いつつも「再生」のボタンを押す。「オーイ、お前、生きとるか」それだけ。聞きなれた、しかし生気のまったく感じられないMさん(庭師)の声。「死んでいたら受話器をとれないだろうが」と独り言を言って消去ボタンを押す。「それにしても、アイツの声、元気ないな。大丈夫か」「帰りにアイツの家に寄って見るか」。真夏の昼、還暦を過ぎた男同士の生死をかけた(?)ぶきみなやりとりである。昼食を終え、午後は残りの仕事(塩焼)をやらなければならない。私の若い頃には「こんなこわい人(自称内灘のヤクザ)とは友達になりたくない」と思っていたMさんの元気のない声を聞いて「アイツに比べればまだやれるぞ」と自分に言い聞かせて、火の前に立つ(塩焼の注文)。とにかく熱い。水を飲み続ける。中学生時代野球少年であった私は、暑くとも練習中は水を飲むなと指導者から言われ続けていた。それでもガマンできない時は「トイレに行く」とウソをつき「この水は飲めません」というトイレ用の水をがぶ飲みしていた。おかげで夏休み中、ずっとゲリをしていた。今思えば、「水を飲むな。肩は冷やすな」と当時の指導者達はイイ加減な事を言っていたもんだ。今頃は逆に「何が何でも暑い時は年寄は水分を取れ」という。「お前らドリンク業界のまわし者や」。そのせいか、未だにエライ人の言う事をすなおに聞けない。「もう限界だ。今日できる事は明日に、明日できる事はあさってに。今月できる事は来月に…」「少し昼寝でもしよう」と決める。だが部屋の扇風機が送り出す風は熱風である。おまけに老人と知ってか知らずか、死肉にむらがるハイエナの様に、やたらとアブ、オロロ(吸血昆虫)が回りをうろつき、ゆっくり寝ていられない。ボーとした頭のまま寝転がっていると、つい、なさけない事を考えてしまう。「もし、龜鳴屋(店主勝井)が、ガッポリもうかって『みんな、まとめて面倒みるから、軽井沢でも避暑に行きましょう』とならないかな」なんて、有りもしないバカな事を考えてしまう。「そうだ、こんな暑い日はさっさと仕事を終えて夜釣りに行って少しは涼しい夜風にあたろう」と起き上がったら、そんな時に限って「配達お願いします」と、しかも2件も。おもわず「不幸の電話」と口走る。向こう(相手)に聞こえたかも。一件目(古くからの付き合いのカレー店)に着くと、いきなり店主のK君「あなた夏バテしないの。仕事ガンバってるみたいね」と、私「夏バテなんていうのは日頃一生懸命働いている人の言うセリフ、とっくの昔に仕事に対する意欲をなくし、単に”カラ元気”でやってるだけだ」と訳のわからぬ捨てゼリフを残してサッサと店を出る。2件目は夫がフランス人の若夫婦の店である。彼(夫)とはなんとなく気が合いそうと思っている(私の勝手な思い込みか)。以前(十数年前)一度だけだが話をした外国人(フランス人?)は「私達は夏休み、冬休みが楽しみで仕事をしています。夏休みを取らない日本人の気持ちがワカリマセン」と、私の考えとまったく同じなのに感激したのを覚えている。私もごく最近(数年前)まであの学生時代の夏休みの楽しさがずっと忘れられず、夏が来る度、ワクワクしていたものだ。学生時代は学校の事、宿題等、すべて忘れて遊びほうけた夏休みだった。「僕は父さんとは違う?」と言ってはばからない我家の長男だが、確か五、六年生の夏休み明けの最初の登校日に朝、少し早起きして家の物置の方でゴソゴソと音がした。と思っていたら、すぐ出てきて大声で「これで夏休みの工作(宿題)、完璧」と言っていた。たった細い板三枚を打ちつけた「飛行機」だった。当時私としては喜んでいいのか、そうでないのか複雑な気持ちだった。その私が思い込んでいた外国人(フランス人)像(仕事はほどほどにして遊びに熱中)が、彼の場合は少しちがっていた様だ。今日も、もう閉店ちかく(夕方)なのに、店内は客でいっぱいで夫婦はいそがしそうに働いている。しばらくして(閉店になって)彼(夫)に「よう働くな」、彼「本当にイソガシイデス」、私「働き過ぎや、お前本当にフランス人か」、本人が返答に困っているのを見て、横にいた奥さん「あなた(私)はフランス人をどう思ってたのよ」としかられた。しばらくして彼「今(現在)はフランスでも夏にゆっくり休みがとれるのはお金持ちや大企業で働く人達だけで、フランスもカワリマシタ」と。二人に「今の世の中(世界中)どこへ行っても生活していくのは大変ですよ」と諭されて二件の配達を終える。早々に家で夕食を終え、家族に「ちょっと釣ってくる」と家を出る。その後ろ姿に「本当にちょっと(たぶん二、三時間)、本当に釣ってくるの(たぶん釣れないと思っている)」の声、でももう動揺する事はない(いつも言われている)。さっさと車に乗り込んで海岸をめざす。それにしても今日の暑さは異常だ。夜になっても治まらない。車から下りて近くの釣り場(立入禁止の看板がある場所)へ向かうがやはり熱風だ。どんなに街中では風のない日でも、海岸には少しはすずしい風が少しは吹く。その夜風にあたって一人ぼんやり、それでいて、どこか期待する(釣れる)の雰囲気が何ともいえないのだ。おそらくこの雰囲気が私の人生(生き方)を支配しているのだろう。何の保障もない(釣れるかわからない)、でも毎日(毎回)「今日(今回)は釣れるぞ」と期待する(妄想)。そしてごくまれにいい思い(釣れる事)もある。釣れなければ次回こそと思う。このサイクルの中で私は生きてきた様だ。だが今日はちがう。熱風が体にまきつき、夜になっても元気がもどらない。それにいつもの様に「今日は釣れるぞ」という期待(妄想)も沸いてこない。私の生きがい、「カラ元気、妄想」にも陰りがみえてきた様だ。私に取っての老化の始まりだろうか。
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第五十回特別編 詩「今」