河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十六回 「+−(プラスマイナス)=0(原点)の人生」

私の実母が去年亡くなった(享年九十四)。毎年、暮の三十一日に一人住いの母の家に私が行くと、きまって「今年も生きていた。長生きすればいい事ばかりでもない」とグチを言っていた。私「又、面倒臭い事を言っている」と思いつつも「こればかりはどうする事もできない。まあ生きている内はせいぜい楽しい事を見つけ、来年も、がんばりましょう」と月並みの事を言って一年をしめくくっていた。それが去年のある日(五月)、私と会った(その時は、いつもと変わらず元気だった)二日後に、心臓マヒで急死した。生前「死ぬ時はコロッといきたいね」と言っていたので本人の思い通りになった様だ。

今になって思いおこせば、戦前(子供時代)、戦中(青春時代)を過し、戦後の物のない時代に稼ぎの少なく、子育てに熱心でない父親(私はその血を受けついだ)にかわり、自ら働きに出て、四人の子供達を育てた苦労は私などには計り知る事はできない。二〇才過ぎた頃からの私の一度きりの人生、食う事ぐらいなんとでもなる、自分の生きたい様に生きる(現実の自分はそうでもないが)という考え方とは死ぬまで一致する事はなかった様だ。その母が自分が六〇代の時にオヤジが亡くなった。今、思えばそれからが母の人生だった様に思う(私が勝手にそう思うのだが−女性は強い)。

だが母の人生には(母と同世代の人に共通している)最後まで「戦争」というものの「カゲ」がついてまわった人生の様だった。父が亡くなり、一人身になって、少々の「蓄え」と溜めた年金で、本人曰く「オバアチャンは世界中、行っていない所はない」と自慢していた。だがある時、自分(母)がいちばんかわいがっていた孫娘がアメリカで生活し、現地で外国人と結婚式をあげる事になり、母に招待状がとどいた。その時私が母に相談を受けたのは「私は世界中でまだ行った事のない国がある。それはアメリカである。アメリカだけはどうしても行きたくなかった。もし行くとしたら、戦争でアメリカに殺された知り合い達に何と言って説明する」であった。物事を決めるのに、たよりない私などに相談などした事のない母だったから、余程悩んだのだろう。結局、アメリカへ行った様だったが、私にはアメリカでの事は話しがなかった。

又、戦前、戦中、戦後と苦労し、生き延びて、やっと「オバアチャン」と孫からもしたわれる年になったのに、孫(私の子供)に疎んじられる事があった。それは孫に会う度に孫に向って「もし戦争になったらどうする、ぜったい戦争に行ったらだめ」と時と場所もわきまえずに、しつこく言っていた時だった。孫達も「オバアチャンの所へ行くとすぐ『戦争になったらどうする』と言われる」といやがっていた。それをわかっていても言っていたのは、戦争によって身内、知人を失った記憶がずっと消える事がなかったのだろう。戦争に関しての母のこの様な態度は、私が子供達に伝えるべき事の手間が省けるぐらいで、子供に「きらわれる事はあまり言いたくない」というだらしない父親(私)にはありがたい事であった。

一方で母は教育者(?)(幼稚園の園長としてみんなに慕われてもいた)というのに、身内の者の前では「あれ(あの人)は朝鮮人」という差別発言を平気でしていた。なぜそんな差別発言をするのかを、ある時、やはり去年亡くなった母の妹に聞いたら「姉ちゃん(母)は小学校の頃に軍医であった父親から、何かわるさをするといつも『お前は朝鮮人みたいだ』と言われていた」という人間の(子供の頃の=戦前)意識の中に住みついた「差別」とはおそろしいものだと、つくづく思った。母が私とのケンカ(私の理屈に対して)・知識は一瞬、意識は一生とよく言っていた。(人種差別、男女差別、部落差別… もともと根拠の乏しい事だけに余計やっかいなのは現代でも変らない)。

今、母の様な戦争体験者(もう戦争体験者は少なくなってきた)の「どんな事があっても戦争だけはダメ」という人々のおかげで、日本はこれまで戦争せずに来れたし、反面戦争中の外国人(特にアジア人)に対する差別意識を未だに消し去る事ができずにいる事、又私にすれば必要以上に他人の「目」を気にする事等、大変な時代をたくましく生きた人だった様だ。

亡くなった人間の事をいろいろ言うのは簡単だが、「お前はどうなんだ」と言われれば「他人(ヒト)の目を気にせず、と言いながらほとんどできていないし、差別意識がない、とも言われない」。まあ母の様に「人間の一生プラスマイナスゼロで『よし』とする」をめざすとするか。

●(今頃、草葉の陰で「お前みたいな できそこない(母によく言われた)に私の人生の総括をされたくないわ」とプライドの高かった母は言っているだろう。)

●付属
マージャンではゲーム終了の時点(ゲームを楽しんだ後)で損得のないのが、上品(?)な遊び方であると、私のマージャンの師匠が言っていた。

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