河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十八回 「軽い」

 亀鳴屋店主(勝井)と私の会話。勝井「次の原稿はもっと軽い話題でいいよ」、私「軽けりゃいいと言うものでもないだろう。アンタの財布の中身のように」(ただし口に出しては言わない)。勝井「今まででもう六十四回にもなる。ガンバッテ一〇〇回まで行きましょう」。私「長く続けばいいと言うものでもなかろう」(アンタの腰痛のように)。

それにしてもよくもまあ、私の自己満足だけで続いてきたものだ。ちなみに五十回記念(?)には、誰れからの反応もなかった。

勝井「ウチのホームページはもう河崎さんの文章しか載っていない」、私「私のせいだけではないだろう」(ただ最初に乗せていた人達がやめていったのは、たぶん私と同列視(?)される事がいやだったのだろう)(これも口に出しては言わない)。

 さて、勝井が言っていた軽くておもしろい(軽妙)、そんなのがジャンジャン書けていたら、今頃私は作家になれていただろう。この齢になって、私の周囲から聞こえてくるのは、老後の経済的不安や病気の事、さらに原発事故、異常気象等でこの先日本はどうなるのだろう、という暗くて思い話しばかりである。
私も「おもしろき事もなき世を、おもしろく」と「カラ元気」でやっているだけで、政治家の「アベのミクスなどという、中味のわからない安物のミックスジュースみたいな話しで、心が浮き立つなどという事はない。

 ところで、軽くて心が浮き立つ事といったらなんだろう、例えが少しずれるが、先日、私の仕事場に一匹(一羽)の蝶が迷い込んでガラスにぶつかり外に出られずにいたので、私が羽をつかまえ外へ出してやった。その時、フト、子供(小学校低学年)の頃はじめて恐る恐る羽をつかまえた時「何と軽い(蝶)これで大空を自由に飛べるのか」と感動した。

 その記憶が今も残っており、私の軽いものの例えといえばすぐに蝶が頭に浮かぶ、NHK恒例の「ラジオ夏休み子供相談」で、最初から(三十数年)子供たちの相談相手になっている昆虫学者「最初の頃と比べて、今の子供たちの昆虫に関する知識ははるかに多くなったが、逆に本物を見たり、さわったりする事は少なくなった」と。あの頃、蝶の羽を持ち、その軽さに感激した少年は私だけではないだろう。

 その一方で、私にとって重いものと言えば、記憶の中では「金の延べ棒」が思い浮かぶ。大学生の頃だったと思う。数人でどこかの会場で展示された「金の延べ棒」に触れ(監視の下で)、大きさの割りに(ちいさいのに)その重さに各人おどろいていた。だが私は「どうせ他人(ヒト)のもの、日頃から軽いサイフしか持ち歩いていない人間(私)にはどうでもいい事」と一瞬にして我にかえってしまった(興味をなくした)。

 現実(現在)にもどろう。人生とはうまくゆかないものである(私だけか−いつもの様に話しが大袈裟になる)。齢をとってくると、物事をあまり深刻に考えられなくなってくる(これは小心な私にはいい事である)が、その反面、感性なるものが鈍くなってくる(感動する事が少なくなってくる)様な気がする。それも仕方のない事なのかも知れない。ただ私の様な年齢でもないのに、私が仕事場へ向う途中のバス停の人達(多くは若者)が「こんなすばらしい秋晴れはめったにない」という日に、ほとんどが一心に下を向いてケイタイ機をいじっている。「少年老いやすく、感性、育ちがたし」と思ってしまう。

 最後に、今の私が感動するとしたら、私の文章が軽妙と言いがたく、又毎回とは言わなくても、読んだ人(特に女性から)「今回おもしろかった」と言われたら、調子に乗って「百回をめざすか」となるだろう。だが勝井(亀鳴屋店主)はきっとこう言うだろう。「世間ではこんな男の事を、軽い(軽薄な)男という」と。


   何に想う、誰れ想う 秋の空
   過ぎし日を ふと思い起こせし 秋の風


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第五十回特別編 詩「今」