河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第七十四回 「加齢なる我が日々(後篇)」

養老孟司の本に『私の脳はなぜ昆虫が好きか』というのがある。私は龜鳴屋のホームページにさしたるテーマもなく長い間書いてきたけれど、そろそろ人生の終盤(年齢的にはもう十分終盤)にさしかかってきた。これまでの人生で最も楽しい時(魚が釣れた時)カツ、最もムダな時(魚が釣れない時)を費やしてきた私の釣り。これまで周囲の評価も当然かんばしくない。このあたりで養老先生の表題のように「なぜ私の脳は釣りが好きなのか」を、単なる妄想でなく理論的に解明し数少ない私の読者に納得してもらわなければいけない。
   【理論】意味が実践に対応する純粋な論理的知識(よくわからない)
   【妄想】あり得ないことをみだりに想像する(よくわかる)
                                          ―『現代国語辞典』小学館
そんな折にたまたま図書館で脳学者として有名なこの著者の本を見つけたのである。「お前(私)の脳は人間が狩猟民族であった時から変化していない(進化していない)」と結論づけられるのでは、と心配しながら読んでいった。
話が横道にそれるが、私が図書館へ来て本を読みだすとなぜか必ず眠くなる(私の脳が休めといった指令を出す)。私の受験生時代の友人は「眠くなったら、エロ本を捜して読め」と言っていた。眠気をこらえて必死に読んだ(つもり)けれど、結論は「なぜ好きか(昆虫)と問われても、好きなものは好き。やぼな事は言わない」だった。「なーんだ、私といっしょやないか」と思ったが、こういう事はエライ人が言えばもっともらしく聞こえるし、私の様なものが言えば単なる「タワゴト」でしかない。私のこのコーナー「イワナ売ります(売りません)」の最初からのテーマ「なぜ私は魚(魚釣り)が好きか」は結局「好きならばやる」「そうでなければやらない」で簡単にケリがついた様だ(どこが理論的)。私の大学生時代(大学紛争が盛んだった頃)高い研究費(税金)を使って研究する意義は、「研究が好きだから」と「世の中のためになる研究ができる」の二つだったと思うが、どちらも私にはちがっていた(好きではなかった)ので大学をやめた。
私の今までの人生での「選択」で自分の気持ちに正直だった「選択」はこの時ぐらいだった様な気がする。初っ端から表題(加齢なる日々)と関係のない「独断と偏見」を書いてしまったが(いつもは最後)、別にそれほどの意図もない。思いついた時に書いてしまわないと齢のせいか後になると、ふと気がついて書こうと思っていた事を忘れるからである。
さて、前篇の雨の日は「ウジウジしながら一日を過ごす」。それなら晴れた日は午前中はリンゴ園(ナシ園)に行き、午後は鮎釣りとキッパリ行きそうだが、リンゴ園に向う途中で川を見ながら行くと「今からすぐ釣り場へ向へば釣れるかも」となる。長年やってきた養殖業で「今日は天気がいい、仕事日和だ」と朝出かける時に思った事があっただろうか。春、天気がよければまず山に入り山菜をとり、夏は釣り、秋はきのこ採り、冬、めったにない晴天ならスキーといった具合だった。たぶんこれ(仕事が一番)がなかったのが、安倍総理のかかげる日本のあるべき姿「持続した右肩上がりの経済成長」とはならなかった原因だろう。それは養殖業をやめた今も変らない様だ。ただ、今はリンゴ園に朝「今日は天気がいいので午前中は仕事に行きます」と自己申告した手前、大の大人(?)が「今日、今から釣りに行くので休みます」とは勝手にいくまい。それに自己申告で働いた分、リンゴ、ナシの十分な現物支給があり、それが気に入ってやっている面もある。又話が脱線するが、訳のわからぬデータでの評価と時間で「金(カネ)」という絶対的な価値での仕事で「お前のかせぎは出世した同年輩の十分の一にもならない」という現実を見せつけられるより、食べ切れないリンゴやナシを持ち帰り、多ければ他人(ヒト)にも分けてよろこばれる。この方が私には性に合っている(やはり古代人より進化してないのかな)。
ただし、こんな考えは今も仕方なく働いている連中や我妻には言えない。「将来の事も考えず、少ない年金=Bそんな元気があったらしっかり金をかせげ」と言われるだろう。
行き先での仕事の事はほぼ考えずに、午後の釣りの事を考えながら仕事場へ向う。仕事場に着けば私と同年配の人達とすぐに仕事にかかる。いつも「ゆっくり休みを取りながらやってください」と言われているので気が楽だ。ただ、ここへ手伝いに来ているのはほとんどオバサン達なので、このオジサンには必然的に力仕事が多くなる。この仕事をやる前にはどこかの観光農園(リンゴ園)のパンフレットにあった「若い女性がニッコリ笑ってリンゴ狩り」を見て「楽な仕事」とタカをくくっていたが、いっしょに仕事をしているオバサン連中にこの話をしたら、「農家の仕事で楽な仕事がどこにある」といわれ、あっさりと「若い女性といっしょにリンゴ狩りの夢」は消えた。素人の私がやる広大な園での力仕事は単純で根気がいる。例えば下草刈(ここでは除草剤を使わない)にも全部やるのに一週間はかかる。しかも刈った後から又、雑草がのびてくる。「なんの役にもたたないのに元気だけはあるな」(考えてみれば我身と似ている)と文句を言いながらやっているが、肉体労働とは余計な事を考えずかったっぱしから雑草を切り倒してきれいにしていき、「スカッ」とした気分になれる。
暑い日が続き首からお茶をぶらさげ、いわれた通り休みながら仕事をする。そして休むたびにお茶を口にする。のどがかわいているかどうかにかかわらず、近くの学校(高校 or 中学)の校内放送でも「屋外の生徒は定期的に水分をとりましょう」と放送している。あまりにしきりに言うので「ほしくもないのに水分を取らなければないらないのは病人か私のような年寄りだけだろう」と思ってしまう。私の中学生時代の屋外活動(部活動)は「水を飲むな」の一点張りだった(おかげで「飲むな」のトイレの水をこっそり飲んで、よく下痢をしていた)。もっと人間(自分)の体を信用すれば(飲みたい時に飲む、飲みたくない時には飲まない様にすれば)いい様に思う。草刈をしながらたまにそんな余計な事を考えていると昼食タイムとなる。
昼食は天気のいい日は手伝いに来ているオバサン達といっしょに木の下でワイワイガヤガヤと食べていたが、その内、どうも男の弱点を知りつくしているオバサン達とでは気が休まらなくて(オバサン達には負ける)、一人離れて食べる様になった。一人ゆくうろ小鳥の声など聞きながら、木かげで用意された昼食を食べる。食後はナシ、リンゴの食べ放題である(ナシは食べ過ぎると下痢をする)。この仕事を始めた頃は地面に落ちているナシやリンゴを見て拾いまくっていたら、「そんなみっともない事をするな(育ちのせいで子供の頃から落ちているものは拾うくせがついている)。食べたければ好きなだけ採って食べていい」と言われ、うまそうなのだけ採って食べるようになった。それでも(今でも)、地面に落ちている「これは食べられる」というのが目に入ると、すぐ拾ってポケットに入れ、重さでズボンがズリ落ちそうな恰好で草刈をやっている。
昼食が終ると「今日は鮎が私を待っている」と思える日は「もうこの年寄には体力の限界、体がもたん、明日また来ます」とつげて、すぐ釣り場へ向う。あらかじめ決めていた釣り場に着くと人の気配(先客)がないか確かめる。鮎という魚は自分のエサ場「ナワバリ」を持ち、そこを守ろうとして、侵入する別の鮎とケンカする。その習性を利用したのが「鮎の友釣り」であり、「ナワバリ」の鮎を友釣りで釣り上げると数時間後にその場所に又別の鮎が「ナワバリ」を持つと言われている。この当地の小さな川では地元の釣り人が早朝から入って一度(数時間前に)釣り上げられたであろう新たに私がこれから釣ろうとする場所に、別の鮎が入っているだろうと私が勝手に想像して釣るのである。私がこれから釣ろうという場所に先客のいないのを確認すると、さっさと着がえて川の中へ入っていき、まじは腰のあたりまで入って「暑さでこの年寄りには限界」と言っていた体を水に浸す、本当は首までつかってひと泳ぎしたいのだが、私のこの姿をもし見た人が「老人(ボケ老人)がおぼれている」と勘違いでもしたら困るので、そこまではやらない。
今時の年寄りの多い鮎釣りで顕著なのは、瀬(流れの速い所)に立ち込んでナワバリに入って来たオトリ鮎に思い切り「体あたり」してくる鮎を釣る釣人(私)より、ゆるやかな流れに群れをつくっている、おとなしい鮎(あまりケンカをしない鮎)をいろんな手をつかって釣ろうという釣り人がいて、又その方が釣果があがるといわれている。「群れ(集団)でいる鮎など鮎でない」などと集団(会社)になじめない自分とかさねあわせ、一方、集団(会社)でやる気のない若者を、あの手この手をつかってその気にさせ、今の地位をきずいてきた人、その人間のちがいが釣りのスタイルにもでているのだろう。
さて「実際の鮎釣りのどこがおもしろいのか」は出だしに書いた様に、釣りをして、実際に釣った者にしかわからない。私の回りには、我家の家族を含めて「魚は食べるのが好き」は多いが、釣りに興味がある者は少ない。「人間本来持っている狩猟の民(タミ)の血がさわぐ」などと言えば、「何を大げさな」と言われるだろう。結局、川の中で本当に七転び八起きして日が西にかたむき水面(ミナモ)が墨を流すようにだんだん黒ずんで、今まで見えていた川底の石が見えなくなったら今日の釣りの終了である。それから今日活躍した竿をしまい、明日のためのオトリ鮎を残し、持ち帰る鮎を絞め、帰る準備ができる。大きな石に腰掛け、戦いが終ってもとの静けさがもどって来た川をながめながらタバコを一ぷく吸う。この時が「今の私にとっては至福の時だ」と実感できる。鮎釣りを始めた頃もそうだった。私の釣りの師匠(故人)がもどってくる前に弟子の私はすっかり帰り支度を終えていないと機嫌が悪く、早目にかたづけをして、彼を待って大きな石に腰掛け一ぷく吸っていた時が悩み事が多かった私の青春時代の数少ない「至福の時」だった様だ。ただ、そうして師匠を待っていたら、釣れた時は大声で「オレはオナゴと鮎に好かれている様だ。向うからオレに近づいて来る」(ウソだ)。逆に釣れない時は「オレはオナゴと鮎はよくわからん。あつかいにくい生き物だ」(一番あつかいにくいのはアンタだ)を思い出してしまった。

   鮎の香の 残りし川に我一人 至福の時と彼に言いたし
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第五十回特別編 詩「今」