河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第七十五回 「古き良き(?)時代  なぜ「芸者ワルツ」だったのだろうか」

「お前の名前、ろう下に張り出されていたぞ」久しぶりに大学へやって来た私に同級生が言った。「わしもとうとう有名人になったか」「お前授業料払ってないだろう」「アジャー、授業なんてほとんど受けてないのに」 私が大学生の頃は前期(半期=六ヶ月)の授業料は六◯○◯円だった。親からもらった授業料はとうに使い込んでなくなっている。大学の教科書は高い(?)と多めにもらったお金も、もうなくなっている。張り紙には「すぐに払わなければ親に通知がいく」とある。すぐに大学の会計に行って適当な理由(言い訳)を言って、「一◯日間待ってくれ。すぐにアルバイトに行って稼いで来るから」と言い、同じ場所に張ってあった「アルバイト求む」の張り紙を見て、「単なる力仕事」に決め明日から行く手続きをする。 金沢ではかなり名の知れた会社名で、たぶん繊維関係の会社で、私の仕事はそこの倉庫にロール巻になった色々の種類の反物を必要な時に出し入れする仕事だった。(当時は主に人力だった)古い木造の二階建てで、現場から電話があると選んで二階から一階に下ろす、かなり重労働だった。そこには(倉庫)アルバイトの私と見るからにガラの悪そうで、出世に縁のなさそうな五十才ぐらいの男と二人だけだった。 その男(Sさん)は注文の電話がある度、大声で「そんなもの(品物)はない。あると思うならここへ来て自分で探せ」とエラソウな態度だった。Sさんは仕事中、いつも体を動かしながら、「あなたのリードで島田もゆれる……」と「芸者ワルツ」を大声で歌っていた。(どうも仕事をやる気がない様だった)最初の月、昼食時にSさんにさそわれて会社の食堂に行ったら、同じテーブルの若い女の子達から「Sさんと仲よくなったらダメよ。あなたには将来があるのだから」と言われた。Sさんは「うるさい、だまって食え」と。そのSさんから明日でアルバイト最後という日に「飲みに行かないか。おごってやる」とさそわれた。私はアルコールがまったくだめだったが、何となくこのSさんに興味があったのでついて行く事となった。いかにも場末のバーといった感じで小さな看板が店の前の路上に、ポツンと置いてあった。実はそれまでそんな所(バーと名のつく所)へ行った事もなかったので、内心ドキドキしながら、うす暗く狭い入り口からSさんについて入っていった。「いらっしゃい」という女性の声が聞こえてきた。古ぼけたソファーが二個だったか三個と、五、六人座れるカウンターがあり、そこに不つり合な大きな花びんがあり、ランらしき花がさしてあった。三人の女性、しかしかなり齢食った女性、瞬間、なぜか緊張がとけホッとすると同時に店に入る前の色々な妄想(?)がふっ飛んでしまった。女性にすすめられソファに着き、ものめずらしそうに回りを見わたしていたら、店の二人の女性が「ママ」と呼んでいる一番年上と思われる女性が、おしぼりを持って近づいてきた。Sさん「よくもまあ、この店にはブスばかり集まったな」。ママが、持ってきたおしぼりの一つをSさんめがけて投げつける。Sさんが、ひょいと身をかがめそれをかわすと、おしぼりが後の壁にあたる。Sさん「世の中、本当の事を言うと危ない目に会う。お前も気をつけよ」と。それからSさんが私の事を「家が貧乏で学費を稼ぐためウチの会社でアルバイトをしている」と口から出まかせの紹介をし、私が「ちがう」と言いかけたら横に座っていた女性が、真顔で「大変ね、苦学生なのね」と言ったもんだから、私もSさんも飲んでいたビール(わたしはコーラ)を同時にふき出してしまった。それから横に座っていた女性、どこから仕入れたのか「Sさんも苦学生だったんでしょ」と。Sさん「顔を見ればわかるだろう。この坊ちゃん顔を」。ママ「高校中退して一度働き、また夜間高校に入り、高卒の資格を取ったのよね」。女性「家が貧しかったの」。Sさん「何でも貧乏のせいにするな。教師をなぐって退学になったんじゃ。もともとは大ダナの若ダンナで、飲む打つ買うで遊びほうけていたら家から勘当されて、これではいかん、と夜間高校に入り直した」。うさん臭い話を平気でするSさん。横の女性「大ダナとか勘当とか、Sさん、いつの時代の人」。Sさん「落語の話、わからんかったらバアサン(ママ)に聞け」。ママ「若そうに見えるけどSさん私と同じ齢、ねえジイサン」。私「そうなんですか」。Sさん「トイレに行って来る」。ママ「ほらね、齢をとるとトイレが近くなる」。Sさんがトイレに行ってる間に、私「本当はどうなの」。ママ「この店に来る会社のお客さんに聞いたのだけど、家が大ダナとは聞いてないけど、苦労して夜間高校を卒業して今の会社に入ったのは本当らしい。その時(会社に入った時)もう結婚していて二人の子(双子)がいたらしい。でも別れて今は新しい奥さんがいるらしい。会社では出世コースからとっくにはずれてはいるが、なぜかみんな(社員)から一目置かれて、今は組合の委員長らしい」と。Sさんがトイレから帰ってくる。Sさん「俺の悪口を言ってたな」。ママ「年寄の地獄耳」。Sさん「バアサンといっしょにするな」。私「今は組合の委員長だそうですね」。Sサン「だれもなり手がないだけ。出世の事を考えてな」。横の女性「それってやっぱりエライ人なんでしょう」。横の一番若いと思われる女性「そういえば先日スーパーでSさんの奥さんと会ったら、『エライ人と結婚してしまった』と言っていた」。しばらくみんな無言。しばらくしてSさん「本当にエライ人というのはお前みたいなエライのを雇って給料を払っているバアサンみたいなのを言う」。ママ「ありがとうジイサン。エライかどうか分からないけど、これも会社のお客さんに聞いた話だけど、経営者と組合との団体交渉の席でSさんの一言で社長がおどろいてイスから落ちそうになった」と。「ああ、あれは交渉中に社長が寝ている様子だったので、『起きろ』と、どなった」とSさん。私「それはすごい。社長を一喝するなんて」。Sサン「俺が家でいつもやられている事。二人のムスコが、朝俺が起きてこないと耳もとで『起きろ』と言われているので、ついやってしまった」。 それからジイサン(Sさん)、バアサン(ママ)、それにエライ奴といわれる二人の女性、さらにみんな(四人)に「将来が不安」といわれた私でおもしろい会話が続いたが、急に大勢の客が入ってきたので、私としてはもっとSさんの事を知りたいと思ったが、最後にみんな(五人)で乾杯をした。「お前(私)がSさんの様にならない様に、バアサン(ママ)が長生きできますように」。 外に出ると、まだ店にいた時の熱気みたいのが残っていて興奮気味だった。それを冷ますかの様に路地のくらがりで二人で立ちションをした。 次の日、「さあ、今日で最後、授業料が払えるぞ、ガンバルゾ」と仕事場に着くと、どこからか、その意欲をそぐように、いつもの「芸者ワルツ」が聞こえてきた。私も負けずに「あなたのリードで島田も……」。近くを通った女の子のグループが、「だめだこりゃ、先が思いやられる」と。
   変な事 思い出させる 老いの秋
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第五十回特別編 詩「今」