河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第七十六回 「鮎釣り」

竿を持った私の足元からオトリ(鮎)が泳いでいると思われる場所に「スッ」と何かが走った。その瞬間「掛った」とさけぶ。と同時に一気に糸が下流に向っていく。右手に持った竿が弓なりになり「大きい、抜けない」と一瞬の判断で竿先をみながら必死に下流へ私も走る。幾度となく、ころびそうになりながら、岸のススキの穂をにぎりながら、柳の枝を引っぱりながら川の中を「待て、待て」とさけびながら川下へと下る。流れの速い場所(瀬)でかかった大物の鮎は、二匹の鮎(オトリと掛った鮎)の重さと下流へ下る(習性)より遅れをとれば確実に糸が切れるか身切れとなりバラす事となる。今年も、もう何回か来ているこの場所では、どこまで下れば流れのゆるやかな場所(淵)があるかわかっており、そこまで持ちこたえれば「私の勝ち」とわかっている。ようやくそこまで持ちこたえて「勝った」と心の中でさけぶ。後はそれほどいそぐ必要はない。これからは私のペースでやればよい。慎重に二匹(オトリと掛った鮎)を手前まで引き寄せる。だが掛った魚は最後まで右へ左へと抵抗する。「よしよし、暴れるな」となだめながら、「元気がいい。瀬掛かりだな」と思いながらタモ網を腰から抜いて手で道糸をつかみ、「あわてるな」と自分に言いきかせて鮎(オトリと掛った鮎の二匹)がおとなしくなった一瞬を見はからって空中に引き上げタモ網に入れる。その時点で「はい、終了、完璧」と心の中でさけぶ。実は今までタモ網に入れる最後の段階で何回にがい思いをさせられた事か。タモ網に入れる瞬間、急に暴れたり、網にハリがひっかかり逃げられたりで、九分九厘手中にあった鮎をバラしてしまったのだ。鮎釣りをはじめた頃はこんな時、しばらく放心状態で近くの上に座り込んだままで、しかも家に帰ってもくやしさが残っていた二匹(オトリ鮎と掛った鮎)を網におさめ、後は釣れた鮎のどこに掛ったか調べる。「大きさといい型といい、ほれぼれする美しさである」、「よし、背掛りか、大きいがオトリとして使えるな」。それからオトリ鮎の鼻環をはずし、釣った鮎に鼻環をつけ、今までガンバってくれたオトリ鮎に「ゴクロウサン」と言ってオトリ箱へ移す。これで一件落着である。それから近くの座り心地のよさそうな石に腰掛けてタバコを一服吸い、持って来たお茶をがぶ飲みする。(年寄には水分補給が必要)「至福の時だな。今年はよく釣れる。でも来年はどうなる事やら」

二○一六年 真夏 浅野川にて

   年魚(鮎)なら 今を生きようと 一人言

私が今まで読んだ釣りの本で一番おもしろかったのはヘミングウェイ『老人と海』である。中学生の頃だったと思うが、おもしろくて夢中になり時間が経つのもわすれて読んだ。それ以後あまりおもしろいと思う本に出会っていない。誰かに「釣りをする人間ならこれを読め」と、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』なる立派(?)な本をもらって読んでみたが、どうも夢中になって読んだ記憶がない。文中の所々に「英国では釣りは上流階級のやるもの」みたいな文言があって、なじめなかった気がする。それに比べ『老人と海』は、簡単に言ってしまえば、運に見離された様な老人とカジキマグロとの戦いである。しかも最後はせっかく手に入れたものを全部失ってしまうという話でもある。今思えばそれの何がおもしろいかと言えば、おもしろいものはおもしろいのである。本来、おもしろい、楽しい、好きであるとは、対極、比較、理由のないものであり、個人に与えられた特権であろう。私の恩師の奥野さんに、「私の中高生時代、なぜあれほどおもしろい、楽しい、好きであるものに規制(禁止)があったのだろう」と問うと、「規則で禁止するのは、それは禁止されるものがおもしろい、楽しい、好きだからである。でもそれが個性というものである」と。だが現代は集団の秩序が何より大切であり、若い時からその芽をつみとり、それ(規則)を守らせる事こそ教育者の務めと思っている。自分達がそれを正しいと思ってガマンしてやってきたからである。(また最後に余計な事を書いてしまった)
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第五十回特別編 詩「今」