Mr. MYSTERYLOVE

本棚に並べたミステリーの背表紙を見て気がついた二、三の事柄、
あるいは、いかにして背表紙に異常な関心を持つようになったか。

TWO OR THREE THINGS THAT I FOUND FROM THE BACK OF THE MYSTERIES IN MY BOOKSHELF
OR : HOW I LEARNED TO LOVE THE BACK OF THE MYSTERY BOOKS.


BY
高田 巖
TAKATA IWAO
第1回 ディック・フランシス 競馬シリーズ

『連闘』は孤立し『重賞』はどうなる

私の仕事部屋には、仕事関係の本や資料が並んだ本棚の他に、趣味にしているミステリーの専用本棚がある。といっても、それほど熱心なミステリーファンでもないし、金銭的にもスペースの都合もあって、単行本、新書判の他は大半が文庫本である。それもほとんどが古書店で手に入れたものである。毎日、本棚に並んだミステリーの背表紙を見ているうち、気になることがいろいろ出てきたので、それを人に話してみた。ハァとあいまいにうなずく人、ヒィーまた始まったワと逃げ出す人、フーンといったままの人、ヘェーと不思議そうな顔をする人、ホーと表面的に感心する人などの反応が返ってきた。その中で極く少人数といっても一人だけが大いに受けたのである。その当人が書けというが、もちろん一応断った。第一そんな話を書いて誰が喜ぶか見当がつかないし、少人数で話してる分には少なくとも本人は楽しいが、文章を書くのは苦手である。でもこうして書いている、それは勧めた当人の情熱と私の性格である。こういう経過もあって、ここではミステリーの内容そのものには立ち入らない。


さてディック・フランシスである。ディック・フランシスの競馬シリーズは、最近第39作目の『勝利』が出たが、まだ手に入れていない。さすがに古書店に出るはずもなく、新刊で買おうと思っている。それで現在私の本棚には、ポケット・ミステリー版で13冊、文庫版で6冊、ノヴェルズ版で19冊が並んでいる。このシリーズにはとりわけ思いが強い。ここまでの経緯を振り返ると、最初に手に入れたのは、まとめて5、6冊のポケット・ミステリー版で「競馬スリラーシリーズ」というサブタイトルに少したじろいだが、ままよと買い求め一読してすぐファンになった。その後残りのポケット・ミステリー版は、何ヶ所かの古書店で手に入ったが、13冊でぱたりと止まってしまった。次の『重賞』が手に入らない。そのうち文庫本が刊行されたが、あくまでポケット・ミステリー版にこだわって、待ち、探し続けた。書店でもポケット・ミステリーの棚しか見なかった。私は断固としてポケット・ミステリー版が好きなのである。かといって、それほど情熱的に探し回ったわけでもないし、正直に言ってミステリーからはずれて、SFに走った時期もあった。
ややディック・フランシスも忘れかけたころ、とある古書店で出会ったのが、『黄金』である。残念ながらノヴェルズ版(ハードカバー)になっていて、すでにシリーズも26冊目になっていた。こうなるともともと好きな作家なのだからと、ポケット・ミステリー版に対するこだわりを捨て、文庫版にも手を伸ばし、その時点でシリーズを全部手に入れ読みあさった。その後は毎年新刊のノヴェルズ版を待つという幸せな時期が続いたが、本棚を見るたびに思うのは、残りのシリーズのオリジナル版のことだった。それでも『配当』から『連闘』までは、数年かかってオリジナルのノヴェルズ版が手に入った。ただ『重賞』から『反射』までの6冊は相変わらず、文庫のままである。この6冊のオリジナル版は果たしてどこまでが、ポケット・ミステリー版なのだろうかと思いつつ、出会いを楽しむつもりでいた。特に『重賞』が、気になっていた。なんとなくポケット・ミステリー版とノヴェルズ版の接点のような気がしていた。

この文章を書くに当たって、依頼人がインターネットで調べた情報が手元にある。なんのことはない、どうも『重賞』は文庫オリジナルのようである。「なんだ」という何か理不尽な思いがしたが、しょうがない。残りの5冊のオリジナルノヴェルズ版との出会いを楽しみにしようと思いを新たにした。


さて前置きが長くなってしまったが、以上の不完全な状態で本棚に入っている訳である。その不完全だなと思いつつ本棚を見ているうちに気がついた事がいくつか出てきた。いうまでもなく、競馬シリーズのタイトルは二文字で統一されているが、この二文字のアキ(専門的には字間)にまず気がついた。ポケット・ミステリー版では、全体としてのルールがあり、通常個々に違うということはないはずである。第12作『煙幕』までは、タイトルの字の大きさが約5mm(20級)で、字間は5.5文字分(110歯つまり27.5mm)だった。それが、第13作『暴走』第14作『転倒』では、字間が4.5文字分である。どんな理由で1字分詰まったのか、ミステリーである。ちなみに、ハヤカワミステリー文庫版カバーの場合は、文字の大きさは7mm(28級)、字間は4.5文字分(126歯、31.5mm)で、文字と字間の比率はポケット・ミステリー版に従っているようであるが、背に関してはハヤカワミステリー文庫フォーマットがあり、それに準じているのだろう。これがノヴェルズ版になると、デザイナーがヒラも背も一緒にデザインしているので、特に共通ルールはないようだ。それだけに並べた背を見ていると、また別の様々な思いが浮かんでくる。
第26作『黄金』から最新の第38作『烈風』までのカバーデザインは、ずっと統一されている。ただし、その後古書店で手に入れた第20作『配当』から第25作『連闘』については少し複雑である。手に入れた順序がばらついているので、その当時はミステリーだった。まず『連闘』を手に取ったとき、初めて『黄金』から新しいデUインになって現在まで続いているのを知ったが、23作『証拠』を手に入れたときは、あれっと思ってしまった。『連闘』とデザインが違う、これではその間にある24作『侵入』は一体どうなっているのだろうか。ここで考えられるのは、三つの方向である。『連闘』の流れか『証拠』の流れか、はたまた別のデザインか、結果は『証拠』の流れだった。なぜかふむと思ってしまった。その後22作『奪回』、21作『名門』と来たときには、ややと思った。この2冊は同じデザインなのだが『証拠』とは明らかに違うのである。20作『配当』に到っては、またもや違ったカバーデザインを手にして、もはやそう来なくてはなどと一人被虐的に悦に入っていた。ますます残りの5冊のオリジ
ナルノヴェルズ版との出会いが楽しみである。


それではざっと検討してみることにしよう。『名門』以降に限っていえば、『名門』と『奪回』、『証拠』と『侵入』と2冊づつカバーデザインが統一されていたのに、『黄金』からはその流れを断ち切ってしまったかのようで、『連闘』1冊だけ独自のデザインで孤立している。デザイナーは、『配当』は上條喬久、『名門』と『奪回』は日暮修一、『証拠』と『侵入』そして『連闘』が野中昇である。それまでの流れから行くと『連闘』と『黄金』の2冊は、統一デザインであってもおかしくないのに『黄金』からは、人気好調の辰巳四郎に代わっており、何があったかはわからない。ただ、タイトルの斜体は、その後引き続き使われている様に思われる。不揃いで孤立している『連闘』をみるたびに、『配当』以前は一体どうなっているのだろうかという思いが湧くのである。
こうして棚を見たり、本を手にしたりしているうちに、最新作のことが気になりだしてきたので、実は書店へ出かけ『勝利』を買ってきてしまった。ただしこの場ですぐには読まなかった、がこれは何も依頼人の気持ちを考えてのことではない。ディック・フランシスの競馬シリーズに限っていえば、すぐには読まないのである。もちろんすぐ読みたいのはやまやまであるが、でも読まない。なぜなら読み出せば、必ず一気に読まずにはいられないからで、また過去の例ではほとんどそうだった。そうなるとまた次の新作まで待たねばならず、寂しい思いをしなければならない。だからいつでも読める状態で、眺めながら過ごすのである。そろそろ次の新作が出そうというころ合いを見て一気に読むのである。今回も、実をいえば『勝利』を買ってきて真っ先にしたのは、『烈風』を読むことで、やはり一気に読んでしまった。今、読み終えた充足感と、手元にはまだ次があるという安心感がある。
さて中は読まないが、最新作『勝利』のデザインを検討してみる。とくにシリーズとしての変更はないようである。巻末を見ると、最新著作リストが載っていた。ウムと思ったのは、依頼人のリストが正確であったからである。やはり『重賞』は文庫オリジナルだったし『追込』から『反射』までは、ノヴェルズ版がオリジナルなのである。やはりというかとうとう『重賞』も孤立することは決定的になった。そこでもう一度リストを見ているうちにあることに気がついた。このシリーズの文庫版が刊行されたのが1976年になっているが、その年に一気に『本命』『度胸』『興奮』『大穴』『飛越』『血統』、それになんと『重賞』が出たのである。ポケット・ミステリー版の最後『転倒』が1975年で、1977年にはオリジナルノヴェルズ版『追込』が刊行され、以降オリジナルはノヴェルズ版になっている。さらにもう二つの事実に気がつくにいたって、思わずそうだったのかとつぶやいてしまった。まずこのシリーズの文庫版のデザイナーが、辰巳四郎なのである。そして現在のシリーズのデザインの最初となった『黄金』は、1988年ディック・フランシスの来日を記念して刊行されたのだった。
少し整理してみよう。ただし事実関係以外はすべては推理である。


このシリーズは他にもよくあるように、著作順とは別に先ず、ポケット・ミステリー版『興奮』で始まった。それでも『飛越』からは著作順に翻訳、出版されている。
『重賞』にいたって、ポケット・ミステリー版が中止になり、これ以降は文庫版になるかと思いきや、次からはノヴェルズ版で刊行されている。この辺で何があったかはわからないが、発行部数みたいなものが関係しているかもしれないし、熱狂的なファンの存在があったのかもしれない。その後『黄金』に到るまでに少なくとも3人のデザイナーが関わり、並行してその間文庫版は、ずっと辰巳四郎が手掛けている。おそらく人気が出たと思われる。なぜならそれまでの2冊デザインシリーズをやめてまで、来日記念版『黄金』で辰巳四郎を起用したことが示している。以後現在まで、オリジナル版のノヴェルズ版、それを追いかける文庫版と両方とも辰巳四郎が手掛けているわけである。『連闘』で使用された斜体のタイトルは、11年前にすでに文庫版の表紙デザインで使用されていたわけになる。一見したところ、表紙のデザインがノヴェルズ版と文庫版では同じに見えるかもしれないが、絵柄、レイアウトとも違うのである。フームである。
一応これで終わることにするが、残りの5冊のノヴェルズ版が揃ったとき、また別の推理が浮かぶかもしれない。(了)

あるかどうかわからないが次回予告
白ヌキと黒
ノセの謎(ロバート・B・パーカー スペンサーシリーズ)


追記
初回からいきなり追記である、困ってしまった。困った事情はこれから書くが、どうも先行き不安である。新しく手に入ってしまった資料があるので、早くも推理をやり直さなければならない。依頼人に相談すると、書誌学をやっているわけではないからこういうこともある、だからそれも書けという慰めともつかぬ言葉が返ってきた。私とて軽い気持ちで書いてはいたが、新しい事実を知ってしまったからには訂正はやぶさかではない。だがウームである。かの名探偵、名警部達もそうしてきたなどというよくわからない言訳をしつつ、新しく手に入れた資料を提示して一部訂正、推理してみたいと思う。
第一回の文を書き上げて数日後、しばらく顔を出していなかった古書店に行った。いつものように何かあればいいなと文庫の棚をチェックしていると、7、8冊ほどのディック・フランシスが目に入った。まあもういいかと思いながらも一応文章も書いたことでもあり、最近はそれほど目にしなくなっていたこともあって、思わず手に取ってみた。ヤヤヤだった。カバーのデザインが今まで目にしたこともないものだった。全部ではなくその内の5冊ほどだったが、まったく覚えが無いものだった。奥付を確認すると、いずれも文庫判の初版だった。これはいけないと思いながら、とにかくその5冊と確認用に1冊、合計6冊を手にして他の棚もしっかり見てまわった。いつもなら方針として決して買わないものなのにと、呪いとも愚痴ともつかない気持ちを押さえながら、家に帰って調べてみた。
手に入れたのは、2作『度胸』、4作『大穴』、5作『飛越』、12作『暴走』、13作『転倒』、15作『追込』で、繰り返すがいずれも文庫判の初版である。発行年は『度胸』『大穴』『飛越』が1976年、後はそれぞれ『暴走』1978年、『転倒』1979年、『飛越』1982年である。これはよいとして問題はカバーデザインである。『度胸』『飛越』は山野辺進、『暴走』『転倒』は久保田政子、『大穴』は映画化されたスチール写真、そして『追込』が辰巳四郎である。お気づきのように、前に「並行してその間文庫版は、ずっと辰巳四郎が手掛けている」と言いきってしまっている。まずいのである、そそっかしいのである、事実を確認しないで、勝手に推理してしまった私が悪いのである。後々のこともあるので、ここでなぜ間違ったかを検証してみた。理由はすぐにわかった。
第一に私が長い間オリジナルのポケット・ミステリー版にこだわっていて、『本命』から『転倒』まではすでに揃っていたので、それらの文庫版には一切目を向けなかったこと、第二に私が持っている文庫版オリジナルの『重賞』は、カバーデザインが辰巳四郎であったが、実は重版を重ねたものであり、1976年発行の初版から途中でデザインが変わったことに気づかなかったことにある。やれやれである。ここで再度整理をしてみるとことにしよう。ただし決定ではない、やや弱気な推理であり、いつの日かまた変わる可能性は大いにある。
1967年に第1作『本命』で始まった競馬シリーズは、著作順と翻訳順に違いがありつつ、1975年までに第13作『転倒』までがポケット・ミステリー版で発行された。1976年には第1作『本命』から第6作『血統』までが文庫化され、同時に第14作『重賞』が文庫版オリジナルで発行された。私が手に入れたのがその一部である。あくる1977年に第15作『追込』が初めてノヴェルズ版で発行され、第7作『罰金』から第9作『混戦』までが文庫化、1978年は第10作『骨折』から第12作『暴走』までの文庫化、1979年の第16作『障害』以降、毎年1冊がノヴェルズ版というペースで続いてきた。文庫版は、1982年から以降オリジナル版に約4、5年遅れで発行されている。
ここで気がついたのは、1980年、1981年には文庫版が発行されていないということである。私が手に入れた1978年初版の第12作『暴走』と1979年初版の第13作『転倒』は、カバーデザインが久保田政子であり、1982年初版の文庫版『追込』は、間違いなく辰巳四郎デザインである。この間の2年間に、例えばシリーズの低迷などということがあったのかもしれない。1977年初版の文庫版は手元にないので断定はできないが、文庫版にはもう一人のデザイナーが存在する可能性がある。このシリーズにとって1976年から1981年までは、なかなか「混迷」の時代だったと言えるだろう。(了)

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