Mr. MYSTERYLOVE

本棚に並べたミステリーの背表紙を見て気がついた二、三の事柄、
あるいは、いかにして背表紙に異常な関心を持つようになったか。

TWO OR THREE THINGS THAT I FOUND FROM THE BACK OF THE MYSTERIES IN MY BOOKSHELF
OR : HOW I LEARNED TO LOVE THE BACK OF THE MYSTERY BOOKS.


BY
高田 巖
TAKATA IWAO
第4回 ロバート・ラドラム

ラドラムの変遷と終焉

ロバート・ラドラムが亡くなったことを知ったのは、新潮文庫の『単独密偵(下)』を手に入れた時だった。それまでに、古書店でラドラムの文庫は全て手に入れ読了していたし、その時点では私にとってもそれがラドラムの最新刊だった。ただ古書ではありがちなように、その時は下巻だけしかなく、上巻を揃えるのにしばらく時間がかかった。だから小説そのものを読むのは後回しで、真っ先に解説を読んだのだった。その時の印象は、なかなかに複雑で一言では言えない。これでもう新作は読めないのかという残念な気持ちに、あの大作も読まなくて済むのかという安堵感が混じっていて、さらにもうこれで集めることも終りなのかという達成感、虚脱感などが同時に涌いてきたのだった。なかなかに不謹慎だったと反省はしています。ただ、ミステリーにはおなじみの古書をめぐる殺人事件というのは、話としては面白くても現実にはあり得ないと思っていたのが、なぜかその殺人者の気持ちが少し解ったような気がした。本当に唐突で、何を言っているのか分かりにくいけれど、そういう思いが涌いたのだった。これは新潮文庫の翻訳者である山本光伸氏も、その解説でそれに近い本音を書いているので、あながち私だけが不謹慎だとは言えないようである。
ラドラムの翻訳は、私の知る範囲では『単独密偵』までで22作あるが、その大半は上・下巻であり、なんと上・中・下巻も3作有り全部で40冊を軽く越えてしまう。ラドラムの小説は、クィネルなどとはやや趣が違い国際陰謀物と言われていて、ジエットコースター・ムービーのように、次から次と事件が起こり読者を引っ張っていく。だからといって毎回上・下巻、上・中・下巻と揃えられると、読破するのにかなりの体力が必要である。私としてはミステリーは、「読むなら買う、買うなら読む」という方針なので、当初は本棚に続々と集まったラドラムの文庫を横目に、読み始める切っ掛けを待っていたようなところもあった。このまま待っていても増えるばかりであり、もし評判通り面白ければ良いがそうでなかったら買ったことを後悔するだけである。第20作『陰謀の黙示録』までが揃った時点で、きりが良さそうだったので読み始めることを決心した。ただこれだけ著作が多い割には、個性の強い主人公が登場するシリーズ物の存在は聞いたことが無く、だからどれから読んでも差しつかえは無いようだったが、原作の発行順通り第1作『スカーラッチ家の遺産』から読み始めた。

ところが第15作『殺戮のオデッセイ』を読み始めたときに、最初の「あれっ」に気がついた。それでも構わず読み続けたのだが、第17作『最後の暗殺者』の読み始めに2回目の「あれれっ」があり、さらに第18作『白き鷹の荒野』では予想通り「あれれれっ」がきてしまった。そうこうしているうちに、第21作『マタレーズ最終戦争』が揃い、「そうだったのか」に変わったのだった。結果から先に言えば、第12作『暗殺者』、第15作『殺戮のオデッセイ』、第17作『最後の暗殺者』は、ジェイソン・ボーンを主人公とする三部作であり、第7作『四億ドルの身代金』と第18作『白き鷹の荒野』は、マッケンジー・ホーキンスを主人公とする二部作なのだった。またタイトルから判断しても分かるように、第21作『マタレーズ最終戦争』は第11作『マタレーズ暗殺集団』の続編であるということである。もちろん各巻はそれぞれに独立しているので、特に続けて読まなければいけないものではないのだが、何となく損をしたような気になってしまった。普通ならシリーズは前面に出すことで販売戦略にしそうなのに、この盛り上がりの無さはまったく予想できないことだったが、調べてみて何となく推理が出来た。
先ず第一に、ボーン・シリーズ、ホーキンス・シリーズとも、その第1作は新潮文庫でスタートし、それ以後から角川文庫に変わっている事である。さらにA.J.クィネルのクリーシィ・シリーズと違って、翻訳者も変わってしまっている。第二に、各巻の発行間隔がボーン・シリーズでは約4年、ホーキンス・シリーズで5年、マタレーズ・シリーズにいたっては、なんと18年である。第三に、シリーズ物の魅力は主人公のキャラクターによることが多いが、その点でも今一つのものが無かったのかもしれない。これだけの悪条件が揃った状況では、連携してシリーズを打ち出すということが出来なかったのだろう。

さてラドラムの全翻訳作品の内訳は、文庫本に限れば第8作『砕かれた双子座』第9作『囁く声』だけが講談社文庫で、第7作『四億ドルの身代金』、第12作『暗殺者』、第13作『狂気のモザイク』、第14作『戻ってきた将軍たち』、第19作『狂信者』、第20作『陰謀の黙示録』、第22作『単独密偵』が新潮文庫であり、他は全て角川文庫になっている。これだけの冊数になるので、さすがに何人かの翻訳者がいるようだが、目立ったところでは山本光伸が角川文庫、新潮文庫とまたがっていたのが、最近は新潮文庫専属のようで、角川文庫の方は篠原慎が専属で担当している。背をみると、講談社文庫の白と黄色のツートーンはすぐにわかる。上部の白いスペースには著者名が入り、下部の黄色のスペースにスミでタイトルが入っていて、すっきりとしたものになっている。もっとも講談社文庫は、数年前から翻訳物は全て白とコバルトブルーのツートーンになっていて、その色の境目も水平ではなく緩い斜め線になっている。このデザインは、他社の文庫本と比べると圧倒的に目立つ存在になっていて、これはこれでいいのだが、実際に欲しいものを探して買う立場になると、作家の区別がつきにくくとまどう部分もある。一方、新潮文庫の朱色の背も別の意味でかなり目立つ色合いであり、古書店では非常に探しやすい。ただ概して新潮文庫のデザインにはあまり際立った変化はないようだ。元々は背の色も全て白色であり、角丸の白い四角の中に作家分類記号が入るようになり、作家別に背の色がつけられたくらいである。
それに反して、デザインの変遷が激しい角川文庫については、一言では言えない。ラドラムに限っても、6種類のパターンがあり、細かく言えば2回の変化と4回の手直しということになるだろうか。ラドラムの作品のように長く続く場合は、その変遷がはっきりと現れてしまうのであり、変遷が少なくその変更の仕方も地味な新潮文庫と比べると、好対照である。これだけの変更があったということには、何かよほどの事情があったとは思うが、その変遷はやや異常な気がする。ラドラムの作品は、当初は角川書店発行の単行本であり、第1作『スカーラッチ家の遺産』(1974)、第3作『マトロック・ペーパー』(1977)、第5作『悪魔の取引』(1979)、第2作『オスターマンの週末』(1980)、第10作『ホルクロフトの盟約』(1980)、第11作『マタレーズ暗殺集団』(1982)と発刊されているが、最初に文庫になったのは、『バイオレント・サタデー』と『スカーラッチ家の遺産』で1984年である。前者は第2作の『オスターマンの週末』が、恐らく映画化されたときの題名に改題されたものだろう。また手持ちの中で最新刊は、第21作の『マタレーズ最終戦争』で2000年である。つまりこの16年間で6回の変更があったことになる。

第1回目の変化は1985年に起きたようである。その年は、第3作『マトロック・ペーパー』、第5作『悪魔の取引』、第10作『ホルクロフトの盟約』、第11作の『マタレーズ暗殺集団』と大量に発行された年である。それまでは新潮文庫と同様、白色の背に明朝体のタイトル、著者名が珍しくタイポスという書体で、それ以外にこれといった特徴の無いものだった。それが先ずタイトルや著者名などはそのままで、背の色がブルーがかった薄いグリーンになった。これはどうも作家別の指定色らしく、同時期の他の角川文庫をみればわかるが、例えばフレデリック・フォーサイスは赤色といった具合だ。
その1年後の1986年には、早くも大きな変化が現れている。第15作『殺戮のオデッセイ』以降で、1988年の第4作『禁断のクルセード』、第6作『灼熱の黄金郷』、第16作『血ぬられた救世主』までである。今度は背の色はそのままでタイトルと著者名が特太ゴシック体になり、著者名がロバート・ラドラムのフルネームからラドラムの略称に変わり、上部に赤色の帯がつきそこに作家分類記号が白抜きで入るようになっている。だからついでにいうと、もともと背の色が赤だったフレデリック・フォーサイスは、黄色に変わってしまったようだ。さらに驚いたことに、作品のジャンルを表示するためのシンボル・マークが真ん中についたことだ。これで今までの中で、最も派手な背の文庫本になったと言える。ただこのシンボル・マークという手法は、すでに創元推理文庫が随分前から使っていて、創元推理文庫のトレード・マークみたいになっていたから、最初に手に入れた時には何を今更という気持ちがした。ちなみにこのラドラムには、拳銃のマークがついていて冒険・スパイ物を表しているが、何となくうなずけない気もする。ただしこれはあくまで出版社側が、初めて手に取る人のために親切心でつけた分類であり、著者が決めたわけではないからそれぞれの考え方、感じ方によるものなのだろうが。角川文庫の場合は、警察、本格推理、サスペンス、ハードボイルド、ホラー、SF、ファンタジー、冒険・スパイの分類になっているが、元祖の創元推理文庫は、本格推理小説、法廷物・倒叙・その他、スリラー・サスペンス、国際スパイ、ハードボイルド・警察小説、怪奇と冒険、ゲームブックス、SFの分類になっていて微妙な差が感じられる。特に最近は、こうしたジャンルの範疇を跨いだり、越えたりするものが出てきているので、こうした分類はなかなか難しくなってきていると思う。

次に行われたのは一部修正と呼ぶものなのだろうが、変更しなければならない理由がよく分からなかった。それは、1990年に発行された第17作『最後の暗殺者』で、変更はタイトルと著者名の書体が特太ゴシック体から特太明朝体になったことだけである。これが当初よく分からなかったが、この原稿を書くに当たってもう一度よく調べてみると、変更箇所は他に二ヶ所ほどあることがわかった。一つ目は、背の下部の角川文庫という文字の、そのまた下に小さく定価がついたことであり、それまで袖に書かれていたあらすじが、裏表紙に書かれるようになり、バーコードも印刷されるようになったことである。それで気がついたのだが、それまでの裏表紙というのは、コード番号、分類番号、定価の数字だけでほとんど白地だったということに気がついた。何かもっと印刷されていたような気がしていたけれども、実にシンプルなものだったなと改めて思ったのだった。このあたりで消費税の導入という一大事件があったことは間違い無いが、さらにバーコードの導入も装幀を気にする私には大事件である。文庫本ではあまり気にならなくても、単行本等では無視できないデザイン上の問題になる。今の時代の技術をもってすれば、もっと目立たなくすることは可能だと思うのだが、流通のためとはいえ何と野暮臭いものだと思う。ここで文化と技術について論議をするのは控えたいが、文化の一翼を担うすべての出版社には一考を促したいと思う。それはさておき、実はもう一つの変化があって、文庫本ではやや贅沢とも思えるが、カバーに艶消しのビニール印刷がされていたことで、これだけは非常に好感が持てる。しかしこれもタイトルの書体変更の答にはならないだろうから、やはり謎のままである。

1992年には、第18作『白き鷹の荒野』が発行されたが、あの分類のためのシンボル・マークが消えてしまった。さらに艶消しのビニール印刷もなくなってしまったようで、この点は非常に残念である。それから6年間、角川文庫ではロバート・ラドラムは発刊されなかった。だから、ロバート・ラドラムの作品だけでは、その間の角川文庫の変化を語るわけにはいかないが、他の作家の作品を見ても、変化がなかったようだ。ただし、その6年後の1998年に発行された第10作『ホルクロフトの盟約』と、第11作『マタレーズ暗殺集団』の再刊をみて驚いた人もいたのではないだろうか。この2回目の大変更では、先ず背の色が全て白色に戻された。ただし右側に縦に細く、コバルトブルーのラインがつくようになり、そのラインの中に小さく白抜きで、原題が英文で入っている。タイトルと著者名は、それぞれ太明朝体、中ゴシック体であり特にくせは感じられないが、その間に横書きで著者の分類記号がは入っているのは、他の文庫から見ると変わっている。この大きな変化については、念のためにと思って見た奥付に解答があった。ただし、これも例によってあくまで推理であり、確たる証拠はない。それは発行者が変わったということであり、これでなるほどと思われる人は事情通である。事情はどうであれ、この変わり方は集英社文庫に次いで2回目である。もちろん、今までにもこういうことは何度もあったのかもしれないが、なんとなく素直に同意できない。
その上さらに2年後、2000年に発行された第21作『マタレーズ最終戦争』で、また一部訂正というような変更があったが、これもまたその理由が分からないものである。背の文字の位置に変更があり、上から順にマーク、分類記号、定価、著者名、タイトル、出版者名ということになった。恐らくこれにも事情があってのことだろうとは思うが、その必要性にいたっては、さっぱり、まったく分からない。この位置関係は講談社文庫も採用しているが、なぜ著者名の方が上に来なければいけないのだろうか、理解に苦しむ。頻繁に古書店で文庫の棚を見ている私にとって、タイトルと著者名の位置が入れ替わるというのは非常に困るのである。

書店の書棚で、文庫本の背を目で追いながら本を探している場合、それがタイトルであろうが、著者であろうが位置が揃っていれば、視線はある程度のスピードで背文字を追える。ところがこれが入り交じっている場合は、視線が上下に移動することになり、さらに勢い余って通り過ぎてまた戻るということの繰り返しで、非常に探しにくいのである。文庫本に限っていえば、古書店では分類の仕方が2種類あって、一つは出版社別であり、もう一つは著者別であるが、私の好みでいえば出版社別分類である。上記の理由もあって、目的のものが探しやすいというのが一番の理由であるが、視覚的にも背文字や色彩などが揃っているのは気持ちが良い。ただ同じ作家が、何社もの出版社から発行されている場合は、全ての棚を探さなければいけないということになるが、私の場合はそれはあまり苦にならない。著者別分類の場合は、確かに同じ作家がそろっていて探すのには便利なように思えるが、それはあくまでしっかりと管理がされている場合である。もともと多くの人が本を抜いたり戻したりしていて、毎回必ず元の位置に戻るということはないようだし、店側の管理状態にも差があって、時々思いがけないところで本を見つけることを何度も経験したので、油断できないし全面的に信用も出来ない。ただし私の好みの出版社別分類でも、現状の角川文庫の棚は最悪である。発行された時期が比較的に近い作品は、背のデザインも揃っていて良いのだが、長い時期にわたって発行され続けている作家の作品や、人気があって何度も増刷を繰り返している作品は、何種類もの背のデザインがあり、視覚を気にする私にとっては、棚を見るたび落ち着かない気持ちになる。まして購入する場合には、どの時点で揃えたら良いのかと余計なことに頭を使い、買い替えで余計なお金を使わなくてはならず、非常に困るのである。
つまるところ、現時点では角川文庫のラドラムの作品を、1種類の背のデザインで揃えることは不可能である。またこれまでの状況を見ると、既刊の作品が重版を重ねて同一の背のデザインで揃うというのは、夢みたいなものかも知れない。だから私の本棚のラドラムは、原則初版で揃えることにしたわけだが、まだ完成したわけではない。これはこれで古い作品を見つけるのが大変である。ただ、最初に書いた新潮文庫の第22作『単独密偵』の解説には追記があり、まだ未訳の作品が残っているようなので、当分ラドラム探しは続いていくことになるようだ。(了)

あるかどうかわからないが次回予告
ミステリアス・プレスはもうすぐか、はたまたサンケイ、福武はどちらが早い 

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