Mr. MYSTERYLOVE

本棚に並べたミステリーの背表紙を見て気がついた二、三の事柄、
あるいは、いかにして背表紙に異常な関心を持つようになったか。

TWO OR THREE THINGS THAT I FOUND FROM THE BACK OF THE MYSTERIES IN MY BOOKSHELF
OR : HOW I LEARNED TO LOVE THE BACK OF THE MYSTERY BOOKS.


BY
高田 巖
TAKATA IWAO
第3回 A.J.クィネル クリーシィ・シリーズ

4人の燃える男

クィネルは言わずとしれたいわゆる冒険小説作家であり、その作品は決してミステリーとは言わない。冒険小説といえば私はそれまで、ギャビン・ライアルやジャック・ヒギンズくらいは好きで読んでいたのだが、A.J.クィネルは近年読み出した作家であり、さらに他にも何人かの冒険小説を読み始めている。だから読み始めた時期としては、それらの作品の人気が出た時期とはずれていることが多々有り、人から見れば今ごろなんでとも思われるかもしれないが、多分その当時私の気持ちに引っ掛からなかったのだろうと思う。ただあえて避けていたわけでは無く、近年古書店を回っているうちにふと目に入ったり、懐かしさを覚えて手に取ってみたりしているうちに、年齢を重ねて心境の変化があったのか、はたまた単に退屈していたのか、読み始めることになって、自分にとってはまた新しい世界が一つ増えたわけである。ただでさえなかなか文章が書けない私に少しでも話題を提供してくれるものとして、勝手ながら選ばせてもらった。
私がクィネルを読み出したきっかけは、書評か何かだったと思うが正確なところは忘れてしまった。ただ続けて読むきっかけになった作品は、第1作『燃える男』だった事は間違いない。中年の元傭兵が、ある事件をきっかけに再起するという話は、いたく私の心にしみ込んだのだった。また本当の意味でのプロフェッショナルの行動や、かって生死を共にした仲間との交友などといった話にも私は弱いのである。それと一般的に読者が最も強く共感を覚える行動とは、行動を起こす主人公の動機が、決してイデオロギーなどではなく当人の個人的な感情(例えば愛する人を奪われたための復讐)であるという、あまりにも当たり前のことに気づかせてくれたりもする。今思えば、若い時は多分に、そういったものを素直に受け入れるのに、抵抗があったのかもしれない。

現在クィネルの翻訳は『燃える男』を始めとする、クリーシィ・シリーズとノン・シりーズの2本立てであり、ここ近年はクリーシィ・シリーズが多いようだ。多いとは言っても全部で11作であり、決して多作家とは言えなくてむしろ寡作家と呼ぶべきだろう。その内訳はクリーシィ・シリーズが5冊、ノン・シりーズが6冊で、すべてを手に入れるのはさほど困難でもなく、内容が面白いこともあってすぐに全作品を読み切ってしまった。ただし第12作にあたる最近作『トレイル・オブ・ティアズ』はまだ手にしていないので、クリーシィ・シリーズかどうかもわからない。ただクリーシィ・シリーズだが、当初からシリーズ化する予定だったとは思えないふしがある。なぜなら原作は、第1作『燃える男』の後『メッカを撃て』『スナップ・ショット』『血の絆』『サン・カルロの対決』『ヴァチカンからの暗殺者』『イローナの四人の父親』とノン・シりーズが続いていて、その後ようやくシリーズ第2作『パーフェクト・キル』が発刊されている。これは特に珍しいことではなく、ノン・シりーズのつもりだったのが、その主人公のキャラクターの面白さから、場合によっては脇役の面白さから主人公としてシりーズ化された例は他にもある。私が全巻を揃えて読んだのは新潮文庫版だったが、新潮文庫から発行されたのは、ノン・シりーズの第3作『スナップ・ショット』からで1984年である。その後は1997年まで、原書の発行に合わせて翻訳されている。ただ1987年に第2作『メッカを撃て』が発行され、1994年になって初めてシリーズ第2作(全体では第8作)『パーフェクト・キル』とシリーズ第1作『燃える男』が発行されている。私としては揃ってから読み始めた者の唯一の特権として、原著の発行順に読むことが出来たが、あえてシリーズはシリーズとして、まとめて発行順に読んでいった。

だがここで一つの疑問が湧いた。それは、第2作の発行が第1作より約11ヶ月程先になっていることである。当然発行元である新潮社はすでにこの時点で、つまりクリーシィがシリーズ化されたことは判っていたはずである。だったら表紙のデザインに、またはタイトルの扱い方などに、もう少し工夫があっても良かったのではないかなどと思うのは、私だけなのだろうか、私だけなのかもしれない。しかし私にすれば、これは大いにミステリーである。『パーフェクト・キル』には、表紙にそれと判る大きさでクリーシィ・シリーズと印刷されていながら、後から発行された第1作『燃える男』には、なんらシリーズと判るものは記されていない。一体これはどうしたことなのだろうか、単なる抜け落ちなのだろうか。気になったのでついでに他のクリーシィ・シリーズを調べてみると、第3作『ブルー・リング』第4作『ブラック・ホーン』第5作『地獄からのメッセージ』いずれにも、クリーシィ・シリーズと印刷されている。先程の話ではないが、先ず第1作が出た後、思いがけなく急にシリーズ化された場合は、第2作目以降からシリーズ名を入れるというのは、判らないではない。だからこの新潮文庫版についても、翻訳発行順を知らなければ正にその通りだったのである。ひょっとしてそれを意識してあえて、第1作『燃える男』にはシリーズ名を入れなかったのだろうか、などと推理をしてみたが事実は判らない。
装画を担当しているのは、上原徹、ナカムラテルオ、滝野晴夫、赤勘兵衛、岡本三紀夫と5人も揃っているが、特にシリーズ、ノン・シりーズを意識しているようにも思えないので、全体から受ける印象はばらばらで、内容の面白さを知った今となっては物足りない感さえ覚える。また上原徹だけがノン・シりーズで2回、シリーズで4回担当し、滝野晴夫がノン・シりーズで2回、後はそれぞれ1回だけの担当である。ざっと見たところでは、その振り分け方にもあまり意味も感じられない。シリーズだけで見ると『パーフェクト・キル』だけが岡本三紀夫であとはすべて上原徹である。つまりシリーズ第2作でありながら発行順第1番目の作品は岡本三紀夫であり、発行順第2番目以降はすべて上原徹であるということになる。あえて解説はしないが、案外ここに先程の謎を解決するヒントが、隠されているかもしれない。

しかしそれとはまた別のミステリーがあったのだった。それは全巻読了後の或る日の出来事だった。第1作『燃える男』と第2作『メッカを撃て』の巻末に書いてある小さな但し書きにちょっと注意を引かれた。いずれもかって集英社から単行本で刊行されたものであり、その発行年はそれぞれ1982年、1983年になっていて、さらに『燃える男』は1984年には集英社文庫にも収録されていると言った内容で、その時はそれほど気にも留めなかったのだが、全巻を揃えてみて少々気なった。新潮文庫から発行されたのは前にもいったように、第3作『スナップ・ショット』からでこれも1984年である。ここにささやかながらミステリーが出てくるのである。上記の内容を整理すると、1984年当時には集英社には単行本で第1作『燃える男』第2作『メッカを撃て』さらに文庫本で『燃える男』があり、新潮社には第3作『スナップ・ショット』が存在していたことになる。確かに版権の移動というのは、この業界では珍しい事ではないようだが、この場合はどうも同じ年に新規の文庫本の版権が移動し、最終的にはすべての文庫本の版権が移動したことになる。第1作『燃える男』に人気があった事を考えると、どう見ても不思議に思える。確かについ数年前まで古書店で、集英社版『燃える男』をよく見かけたが、その時はそんなに気にもせず、また表紙の絵もあまり好きではなかったので、新潮社版で揃っていればそれで良いと思っていた。なお言い忘れたが、翻訳者は集英社版、新潮社版共全て大熊榮である。したがって当たり前だが中身にはなんら変わりがないのである。しかし、どうしてもその絵の気にくわない集英社版『燃える男』にも、手を出さざるを得ないことが起きてきたのである。つまりまた新たなミステリーが、次々と湧いてきたのである。
その後2000年になってどうしたことか、またもや集英社文庫版が復活してきたのである。最初に見つけたときはホーと思ってしまったが、やはり集英社もドル箱の『燃える男』を再度獲得したのか位にしか思わず、今更もういいやと思っていた。しばらくすると古書店にもポツポツと出回るようになってきて、それもどうやら『燃える男』以外にも何冊かを書棚で見かけるようになって、思わず手に取ってみた。今度のデザインはシリーズを明確に打ち出してきているようで、表紙の絵も悪くはないしこの点では新潮社版より好感が持てた。この時点で新しい集英社文庫版は、私の購入予定リストに書き込まれてしまった。今手許にあって確認できるのは4冊だけであるが、巻末の刊行予定リストを見ると残り3冊が刊行済または刊行予定となっていて、この分ではいずれ全て集英社文庫に収録される様子であるし、さらにいえば最新作の第12作『トレイル・オブ・ティアズ』は単行本としてすでに刊行されているようである。またもや版権の移動が行われたようである。シリーズの一部が出版社を跨ぐ例は、これまでいくつも見てきたが、特に人気のある作家には、これまた往々にして起きることでもある。ただしまるごと全巻移動、復帰するというのは珍しい現象だと思う。一体なにゆえに出版社が元に復帰するのだろうか、様々な理由は推測できるがとにかく大いなる謎である。それでもこの分だと新しいクィネルの翻訳は、集英社から発行されることになったのだと思わざるを得ないので、購入予定リストを再確認しつつ古書店の棚を見つめ始めたのである。ところが話はまだこれで終わらないのである。

さて新しく棚に入った集英社文庫版を見ているうちに、新版の『燃える男』の背表紙のある一点で目が留まった。今度の集英社文庫は、文庫全体としてデザインの変更がなされていて、背の上部に作家分類の記号がつくようになっている。これはその入る位置、記号の扱いなどに違いはあるが、各文庫が取り入れていて今では特に珍しいことではない。実は私としてはこの部分だけでも、各社の文庫本のデザイン担当者に、いいたいことはたくさんある。ただそれを書き出すと、また話がどんどんそれてしまうのでまたの機会に譲るとして、話を戻すと、気になったのはその分類番号そのものだったのである。新版の『燃える男』の分類番号は、ク/4/2である。これは当然作家名がカ行のク/またさらにクの中でも4番目/その作家の2番目の作品という風に解釈するのが正しいはずである。何か変であるとはいっても、私の独断的な解釈のことではない。変だと直感的に感じたのは、最後の2番目の作品という数字である。ここまでよくも我慢をして、読み続けてきた人にもお分かりなのではなかろうかと思うが、先程来から何度も出てきたように『燃える男』は発行も翻訳もシリーズとしても最初であるから、ここはどう考えてもク/4/1のはずである。今回新しく発行するに当たって、何か意図して付けられたのだろうか、またまたひょっとして未発表の作品が出たのだろうか、これが謎である。とにかくもしこのク/4/2が正しいとするなら、当然ク/4/1に該当する作品があるはずである。私はやや興奮した気持ちと、疑問を拭いきれない気持ちの両方を秘めた表情だったに違いない。
ある日、ク/4/1は目前にあった。相変わらずどこかの古書店の、文庫本のミステリーの棚の前にいた。そのク/4/1は、それまでの集英社の文庫とは違っていたし、新版のそれとも違っていたが、タイトルは何度も目にして忘れようの無い『燃える男』だった。最近の傾向から見れば、珍しい部類に入る背の色は白で、さらにタイトルと著者名はきれいに字詰めされている。直感的にこれはグラフィックデザイナーの仕事であると思った。手に取って表紙を見てみると、その絵で私の右肩が少し下がったような気がしたが、レイアウトには好感が持てた。よく見てみると全体を覆う特徴的な黒枠の中に、THE MYSTERY FILEという英文と、カタカナで同じく、ザ・ミステリー・ファイルという文字が入っている。A.J.クィネル、大熊榮も入っていて、これは間違いなく正真正銘の『燃える男』である。書棚の前で考えていてもしょうがないので、とにかくその白背のク/4/1を買うことにした。ついでに研究のため、旧版の絵の気にくわない集英社版『燃える男』も買うことにしたのである。因に旧版の分類記号はまったく別で、56/Aとなっているが、これはおそらく集英社文庫にとって56番目の作家のA、つまり第1作であるということだろうと思うが、B以降が存在しないので今更あまり意味がない。

さて集英社文庫版『燃える男』を、3冊目前にしても解答は出なかった。特にク/4/1とク/4/2は謎のままである。試しに任意の部分の訳を調べてみたが、文字の組み方こそ違っていても、内容はまったく同じである。ということは新訳ではないということである。ますます理由が解らなかったが、さらに調べてみると確かに違いはあった。少し整理をしてみよう。先ず56/Aは1984年7月25日の第1刷で、私の手持ちのク/4/1は1988年4月28日の第3刷であるが、それ以外は解説文、図書コードに到るまで同じである。つまりカバーのデザインが変更になり、著者の分類方法も変わったということである。しかしク/4/2では、それまでの訳者による解説が無くなり、替わりに新しく訳者のあとがきと、別人の解説がついていて、発行も2000年4月25日の第1刷になり、図書コードも変更されていた。それに発行者が替わっていたということも今回初めて気がついた。発行者といえば通常はその出版社の社長であり、最高責任者である。今回の一連の変更には大いに関係があったのだろうか、やはり謎である。それにしても、わざわざ同じ本に別の分類記号を付ける必然性は、どうしても感じられないのだが。また、このままクィネルの翻訳が新シリーズで発行されていった場合、ク/4/1は一体どういう位置づけになるのだろうか、もしこのままク/4/1が発行停止になった場合は、新シリーズで初めて読み始めた人はク/4/1の存在が恐らく気になるのではないだろうか、などと余計な心配をしてしまうのはどうせわたしくらいなものなのだろうか。ついでながら、ク/4/1に使われていた集英社文庫のザ・ミステリー・ファイルという形式は、その後他にもいくつか目にする機会があり何冊かは手許にある。どれも絵もいい感じであり、よく解らない理由で変更になり、このまま消えてしまうのは少し惜しい気がする。
ということで現在私の本棚には、中身が同じなのに様々の理解しがたい理由で、背と表紙の違う4人の『燃える男』がいる。さてあなたならどの『燃える男』を選ぶだろうか。(了)

あるかどうかわからないが次回予告
ラドラムの変遷と終焉(ロバート・ラドラム) 

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