大野直子



第二回  脳ミソが焼ミソになる猛暑の巻


 
今年も、また、ほんとうに暑かった。
 朝作ったばかりのお味噌汁が、足がはやいジャガイモなんかが具のときは、夕方にはもう、おつゆの表面にポコ、ポコッと泡が1つ2つ立ちはじめて、痛みだしていた。
 35度を超えた日は、頭の脳ミソがグツグツいい具合に煮えてしまうんじゃないかと思った。香箱ガニの焼きミソならいいけど、自分の脳ミソはいやだなあ、と思った。 しなければならない仕事があるのに、思考回路のスイッチが繋がらず、大脳の立ち上げが不能となる。せんぷう機のブーンと低くうなる音を聞きながら、ただ、コンピューターの黒い画面に映る自分の影をじっと見ていたりした。
 これじゃ、あぶないヒトだよ。
 あんまり暑いので、家にいる間は、Tシャツに短めのキュロット、首からタオルといういでたちになった。
 この格好では人前には出られない。ピンポーンとチャイムが鳴ると、サッと首からタオルをはずし、ドアを開ける前に、「どちら様ですか…?」と、おずおずと聞くのが習慣になった。
 あられもない姿を見せても支障がなさそうな人には、「こんな格好ですみません」と言いながら、前屈みになって、玄関にそろそろと出た。支障がありそうな人には、「ちょっと待ってくださーい」などと叫びながら、慌ててスカートをはいた。宅配のお兄さんには、「これで押してください」と、ドアの影から顔だけ出して、ハンコを差し出した。
 やっぱり、アブナイ主婦だよ。
 食欲があまり起こらず、お米を炊いても炊飯器に残ってしまい、ご飯がすぐに黄色く変色してしまう。おかずはちょっとだけあれば、もうそれでいい。仕舞いには、まともに食事を作る気にもなれず、今晩もおソーメンにしましょ、ということになる。毎昼、毎晩のようにソーメンが食卓に登場した。
 でも、ソーメンもバカにならない。「揖保の糸」は美味しいけれどけっこう高いのだ。それで、ついつい一番安い素麺へと手が出る。安い素麺は、袋を開けると、プンと機械油のような臭いが鼻を突く。決していい匂いとは言えないが、なんだか懐かしい匂いだ。ノスタルジックな匂いと喉越しが楽しめれば、安物買いの銭失いということもない。
 伸び盛りの息子には、栄養がさすがに心配になる。「ゴマの栄養、いただきま〜す、ニッシン出前一丁!」などと笑いでごまかして、息子のソーメンつゆのなかにゴマをぱっと放り込む。
 ああ、母親失格だ。
 
 そんなにだらだらしているなら、冷房でもビシッと効かしてちゃんとすればいいのに、本来わたしには、だらしない生活を楽しむきらいがある。
 アブラゼミのジーンという重低音の鳴き声は、ぼけーっとするには最高のBGMだ。そろそろセミの声も聞けなくなってきたが、今度は朝に晩に虫の音が鳴り出してきたから音響効果には事欠かない。高音ぎみの虫の音のなかで、わたしはひとり、ほくそ笑みながら、夏の残滓の暑さに浸るのだ。


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