大野直子

第四回  2番手が好きの巻

 どういうわけか、小さい頃から2番手が好きである。2番手どころか、気がつくといつも端っこに行こうとしている自分がいる。
 世の中には1番が大好き、1番でなければ気が済みませんという人がいるけれど、その精神状態は私にはちょっと理解が難しい。そりゃあ、佳作より最優秀賞のほうがいいに決まっているし、銀賞と金賞では1席しか違わないのに、そこには大きな相違があるのかもしれない。シドニーオリンピックで優勝した柔道家・井上コーセーさんのお母さんが、銀賞を持ち帰ったときに「あなたには2等は似合わない」と言ってその賞状を破ってしまったという話をテレビでやっていたが、へぇーと思ってしまった。

 私の1番ぎらいは小学生の時から始まっている。
 旧姓が「あ」から始まる名字だったので、学生時代、たいてい名簿順が1番だったのだ。インフルエンザの注射を受けるのも、スポーツ記録会で50メートル走のタイムを計るのも、いつも女の子で1番最初だった。注射の痛み具合がどんなだったかを前の女の子に聞けたら痛みも半減すると思ったし、2番手に走ることができたらもっとリラックスして少しはいい記録が出せるかもしれないのに…と、よく思ったものだ。
 そんな幼い頃からの、1番への恨み辛みがそうさせたのかもしれないが、私にはヘンな癖がある。
 自分の好きなものを人に伝えるときに、1番ではなく、2番目に好きなものを伝えてしまうことがよくある。例えば、レストランでの注文がそうだ。自分の胃は今、このメニューを1番欲求しているということが大脳的にはうすうす分かっているのに、なぜか2番目に好きなものを注文して、あとで後悔するという図式がまま起こるのだ。
 私のこのへそ曲がり現象に最初に気づいたのは大学時代のことだ。
 ちょうどこんな年の暮れだったと思う。夜、当時付き合い始めていた先輩から突然電話がかかってきた。その人が大好きなある外国人歌手のコンサートが今まさにテレビで放映しているから私にも見たら…という電話だった。当時、携帯電話もない時代で、そんな些細なことひとつ伝えるのも親の取り次ぎをへての作業だった。そんな経緯をへて見ることができたコンサートは、数々の名曲を弾き語りしてくれたこともあってなかなかに印象深いものだった。
 冬休み明け、先輩はコンサートの中でどの曲が一番よかった?と私に聞いた。私の頭にはとっさに「×××」が1番!という曲があったにも関わらず、なぜだか、次に良かった曲名を口走ってしまったのだ。彼は一呼吸置いてやさしく言った。
「それも良かったよね。でも、僕は×××が最高だったなあ」
 その瞬間、私は後悔の海にまっさかさまにダイブしていた。なんで素直に言えなかったんだろう…。きっと、それを言うと、自分の手の裡をすべて見せてしまうようで恥ずかしい…、あられもない…、そんな思考が働いてしまったんだと思う。
 それとも、私、とことん、2番が好きなのかな…。

 2000年、2番目の年が始まった。
 私の大好きな2番目の年。なんだか、いいことがあるような気がする。今年も、2番手以降で、よろよろと生きていきたい、と思う。



 冬の花

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