あっ、気持ちがう・ごいてる。たったいま〜、恋をしそうぉぉぉ〜♪
えええええ……、気持ちって動くんか……?!
歌詞に妙に感動しながらこの曲を聞いたのは、確か20年以上も昔の、大学時代の早春のことだった。
以来、冬の終わりの、空気に丸みがおびてきて、ほのかに春の甘い香りがしだすころ、わたしの頭のなかでは、このフレーズがクルクルとリフレインしだす。
確か、尾崎亜美か山下久美子だったかの歌で、資生堂かどこかの口紅の宣伝に使われていた曲だったと思う。そのころの金沢の積雪量は、昨今よりもずっと多く、お約束ごとのように、北陸の冬は、長く、厳しいものだった。そんな冬を越えて聞く春の新色リップのコマーシャルソングは、気持ちをビンビン高揚させたものだ。
それに、当時わたしは、確か、恋をしていたのだ。走ってもいないのに、心臓が急にバクバク動きだしたり、うらうらとした春の日射しを浴びていると、気持ちがからだからするりと抜けて、ひょろひょろと天に舞い上がっていくようだった。
テレビから何度となく流れてくる、衝撃的な言葉を聴きながら、うん、うん、うん、気持ちは「動く」ものなんだ!!って、ハタチの女の子は絶対的確信をもって同感し、ひとり悦に入ってしまったのだ。
そんな楽曲のフレーズとともに、淡いピンク色の口紅を塗った女の子の映像もぼんやりとだけれど覚えている。きっと、恋をしていたわたしは、その唇をたまらなくまぶしい気持ちで眺めていたのではないかと思う。まだ、口紅なんて塗ったこともない時代だった。
最近、息子がテレビを見ながらお腹を抱えて笑っていたので、「どうしたん?」って聞くと、「だって、この宣伝おもしいもん」と、本当にお腹に手をあててからだをねじらせていた。
そのコマーシャルは、テレビゲームのソフトの宣伝で、中学生ぐらいの頭が丸坊主の男の子がひとり、自分の部屋でちょっと色っぽい女の子が主人公のゲームをしているというシチュエーションだ。男の子は夢中になってやっているのだけれど、仕舞いには手を休め、テレビゲームの生き生きと動く画像の女の子に向かって、目を閉じて、唇をすぼめ、うっとりする。そんなヤバイ瞬間に、カバゴジラみたいなお母さんがいきなりふすまを開けて入ってきて、「オマエ、なんしとるん?」と、ひとこと。息子は「人の部屋に入るときは、ノックぐらいしろよな!!」と、怒りのひとこと。カバゴジラは「ふすまでノックができるか?!」と、強烈なひとこと。
日本の厳しい住宅事情が垣間見られる、確かに笑えることは笑えるコマーシャルだった。でも、わたしにはなんとなく、笑えなかった。人にはうっとりする時があるものだ。とくに10代や20代の若いころは、そんな時があって当たり前だ。
最近はうっとりすることもほとんどなくなってしまったが、早春のこの季節は、こんな歳になっても心浮き立つものだ。
そんな気持ちが手伝ったのか、この間、「コーラル・リーフ」という色の口紅を衝動的に買ってしまった。ほんとに「珊瑚礁の破片」のような、桜貝みたいな柔らかいピンク色をしたリップだ。だれに見せるわけでもない口紅だけれど、封を開けて初めて塗る時は、心臓がドキドキした。少しメンソレが含まれた、ほのかにバニラの香りがする口紅だった。
バニラの甘い香りに包まれてひとりうっとりしていると、わたしの頭のなかで、またあの曲のフレーズがクルクルと鳴りはじめた。春は、本当に心が動き出す季節なのかもしれない。

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