サッカーはまったくの苦手だった。
苦手な理由は、第一に、45分という時間が長すぎる。野球だったら1回の表、裏のそれぞれがせいぜい10分か15分程度だ。どちらかの攻めが終ればトイレタイムがやってくる。しかしサッカーの場合、延々45分、ロスタイムも入れたら50分、テレビの前にかじりついていなければならない。こらえ性のないわたしは50分間精神を集中させることは、まず不可能だ。今度のワールドカップでも、試合の途中でなんど眠ったカードがあったかしれない。
第二に、点がなかなか入らない。正直に言うと、わたしがリアルタイムでゴールの瞬間を見たことは数えるほどしかない。ついよそ見をしたり、ちゃぶ台を拭いたり、新聞に目を落としている隙に、スルスルスルッとボールが運ばれてきてクロスに持ち込み、ゴール。野球のように塁を進めて、さあ、今から点を入れますからね〜という序曲がないのだ。わたしはいつだって決定的瞬間を逃がし、直後に行われるVTRで3分の1ぐらいに薄まってしまったゴールの感激を苦々しい思いで味わうのだ。
第三に、オフサイドというルールが腑に落ちない。攻め入ることがスポーツの神髄であるにも関わらず、なぜに、前にボールをパスしてはいけないのか?! ボールより前にディフェンス陣がいようがいまいが、そんな細かいことは言ってる場合じゃないでしょ!と思ってしまう。
思えば、わたしがサッカーというものをまともに認識したのは、かれこれ8年ぐらい前のことだ。それは、夫の転勤でメキシコシティーに移り住み、2〜3カ月がたったころだった。
その時もワールドカップが行われていて、メキシコはイタリア戦で辛くも同点に持ち込み、決勝リーグに進出を決めたのだ。人々は熱狂した。アパートの中にいても、街全体がコーフンで揺れているのがわかった。なにしろ、子どもが通う日本人学校のスクールバスを凱旋パレードに使おうと、走行中のバスにメキシコ人が乗り込んできて、バスジャックしたのだ。幸い運転手さんの必死の奮闘で大事には至らなかったが、スクールバスはヒートした人々で取り囲まれて、子どもたちは相当にアブナイ状況だったらしい。
それに、はっきりした国名は覚えていないが、コロンビアだったか、メキシコにほど近い国の選手がオウンゴール(自殺点)を決めてしまい、その選手が帰国すると、飛行場に降り立つと同時に射殺されるという事件が起きた。
あな、おそろしや、サッカー…。あな、おそろしや、ラテンの血…。
わたしたち家族は、すごい文化圏に来てしまったものだ…ということを、肌で実感したものだ。
ところが人間とは現金なものだ。
あんなにもどかしくてへしないスポーツ、危険で野蛮なスポーツだと思っていたのに、今回の日韓合同開催のワールドカップが終わろうとするころには、すっかりサッカーフリーク。演技力でファールを無理遣り奪い取り、半分プロレスのような肉弾戦のサッカーが大好きになっていた。
稲本のゴールに狂喜乱舞し、韓国の強靱な精神力に仰天した。メキシコ戦があるときは、試合前に歌われるメキシコ国歌を息子とともに口ずさみ、胸を熱くした。メキシコ−イタリア戦では、「何が貴公子トッティーだ!! すけべえ顔のデルピエロなんかクソ食らえ!!」と、本気で思った。ドイツ−ブラジルの決勝戦でも、練習もすべて公開してしまう底抜けに明るいブラジルチームが優勝を決めたときは、本当にうれしかった。
およそサッカーに振り回された1ヶ月だった。アー、脱力感。でも、わたしの心の明るい場所に流れている血は、3年間のメキシコ生活でもらったラテンの血なんだ…、ということに気がついたワールドカップだった。引っ込み思案なラテンの血だ。

わたしの机の上で大切に育てているサボテン。
今では唯一の、我が家のメキシコだ。 |