ものごとの感じ方は、その人の捉え方次第でどんなふうにでも変わってしまう。
平たく言うと、「大キライ」だったものが、突然、「大スキ」になることだってある、ということだ。その変貌ぶりは、きっかけさえあれば、あっけないくらい。だって今まで、ダイッキライだった人がダイスキになった経験もあるし、大の苦手だったチーズが、ある日突然、大好物になってしまった体験を持つ私が言うのだから、間違いはない。
実は、雪が大嫌いだった。
雪に慣れ親しんだ北陸とはいえ、雪が降れば交通渋滞はまぬがれない。仕事先への移動の時間も倍近くは見ておかなければならなくなる。そして何より、主婦には「雪かき」という大仕事が家事の中に加わってしまう。この雪かきがいけない。腰痛持ちの私には、腰をかがめて北陸特有の湿った重たい雪を移動させるという仕事は、重労働なのだ。
そして肉体的労働にもまして、ちょっとこたえるのが、近所の人たちと顔を合わせなければならないということだ。主婦が雪かきを始めるのがご主人を仕事先へ送り出してから。だから雪が降る季節になれば、必然的に毎朝、向こう三軒両隣の奥さんとご挨拶をしなければならなくなる。こんなふうに書くとまるで私が近所づきあいをしない気むずかしい主婦のように思われるかもしれないが、一般常識程度のお付き合いや挨拶はもちろんちゃんとしている。ただ、雪かきの合間に行われるちょっとした立ち話が苦手だったり、まるで雪を親のかたきのように、一片残らずきれいにかいてしまうやり方が自分にはどうも合わないのだ。
だから私はいつも、スコップの音がしなくなる頃合いを待ち、家の前に人がいないのをドアの隙間から確認して、雪かきをやおら始める。しかも、交通の支障になる公道の部分だけ自分流のおおざっぱなやり方で、ざっくりと除雪する。玄関までの家の敷地内は、雪を溝まで持っていくのが面倒なので、楽をして足ワザを使う。雪の上をひたすら歩いて踏みつけるのだ。圧雪というやつである。これだと腰が痛くならず済むし、しかも意外なほど融雪へと結びつき、威力を発揮する。しかしそんなやり方はやっぱりアウトローなやり方で、こんな姿がご近所の主婦に見られると、「あの奥さん何やってんの? まあ、おうちゃくネー」ということになる。
そんな肉体的精神的“苦労”を伴う雪は、やっぱり好きになれない存在だった。ところが、ある時を境に「雪もいいもんだなあ」と思うようになった。
それは、娘が東京で浪人生活を送っていた2年前のこと。娘はケータイ電話で、私はパソコンを使って毎日のようにメールのやりとりをしていた。「おはよう。今日も元気」「お金、ちょっと足りない」というくらいの電報のような短いやりとりだったが、そのひと言メールは、見知らぬ土地で一人、受験という重圧と戦っている娘の無事を知るための貴重な“つながり”だった。
そんな娘から、センター試験も押し迫った、重苦しい冬のある日、「雪降ってきた。ウレシイ」というメールが流れてきた。滅多に降ることのない東京の雪は、試験会場まで向かう交通に影響が予測される、歓迎されざる雪のはずだった。でも、ふるさと“金沢”を連想させる雪が彼女の心をよほど和ませたのか、それは、わざわざカタカナ書きされる「ウレシイ」雪だったのだ。そのメールを見たとき、私は無性に娘が愛しかった。そして、その「ウレシイ」は、今年こそ希望の大学に合格させてやりたいと、神社仏閣教会と、節操もなくただオロオロと手を合わせることしかできない親心にもポツンと灯りをともした。
人間とは本当に現金なもので、それ以来、私の感情を司る右脳には、「雪=うれしい」という図式がしっかりとインプットされてしまった。以前だったら、ちょっとでもみぞれが降り出そうものなら、ああ、また仕事が増える…と、心の底に苛立とも焦りとも思える気持ちがふつふつと湧いてきたのに、この頃では、ふうわりと降りてくるぼたん雪を見上げて、キレイだなあと思うようになった。白い雪に包まれた街がとたんに美しく変身するように、雪が積った日は、自分の心の醜い部分も浄められるようで嬉しくなった。
今年は、太平洋側でよく雪が降る。その後、娘はなんとか希望校に合格し、今も東京の郊外に住んでいる。つい先日帰省した彼女に、「まだ雪、好き?」と聞いてみた。すると、即答の「大好き」に加え「雪って楽しいよ」の返事が返ってきた。
「だってね、ニュースで、『両手でぜったい荷物を持たないでください』とかって、アナウンサーが大まじめに言うんだよ。超ウケる(笑)。みんなへっぴり腰で歩いてたり、東京で雪が降ると面白いよ」
そうか。「雪=うれしたのしい」のだ。今度からは私まで、雪が降るとチョー興奮しだすかもしれない。
雪は音を吸収する。そして独特の匂いを持つ。
早朝。ん?この静けさと、昔、体育館で吸ったようなこの匂いはきっと…と、雪を予感しながらカーテンをそろそろと開ける。案の定目の前が真っ白だったりすると、私は密かにコーフンする。やっぱり。夕べ、冬が来たんだ。目で、耳で、鼻で、季節の到来を知らせてくれる雪が、今では、そこはかとなく好きだ。

雪が降ると、カメラを持ち出す。しかし、である。真っ白な雪をバックにして、真っ赤な
シクラメンの花を撮ろう…と思っても、お向かいさんは一つ残らず雪をかいてしまう。
だからせめてうちの前だけは雪を残す。冬だもん、少しくらい雪があったほうが風情があるでしょ。
|