家(うち)がとにかく好きだ。今日は打ち合わせも取材もなく、まとまった原稿書きもないという日、一日中うちにゆっくり居られると思っただけで、ヤッタッ!と小さくガッツポーズをしてしまうくらいヨロコビがこみ上げてくる。
しかし、実を言うと、若かりしころは家があまり好きではなかった。結婚して間もなく子どもをお腹に宿した私は、家の玄関を開けるたびに我が家の湿り気を帯びたカビ臭と、何の材かは分からないが独特な建材の臭いがプンと鼻を突き、つわりに苦しんだ。そのうちに、つわりも終わり、子どもを出産したあとも、人間ならば体臭とも言える我が家独特の「家臭」に嫌悪感のようなものをぬぐい去ることができなかった。しかし、ささやかながらもリフォームを重ね、絵を飾ったり、香を炊いたり、手入れをしたり、はたまた歳を重ねて丸くなり、カビ臭も我が家の個性として受け止められるようになったころ、お互いがお互いに寄り添うように家と私は相思相愛の関係になっていった。家は愛すれば応えてくれる。それはあたかも家が意志を持った一個の生命体であるかのようだ。そしてだんだんと「家」は、自分の家という意味を含む「うち」へと変っていった。
今日はうちでゆっくりできるという日、片づけを早々に済ませ、こぎれいになった部屋で、丁寧にコーヒーなぞを淹れる。来客のときにしか使わないコーヒー豆を冷凍庫から引っ張り出し(普段はインスタントコーヒーだ)、電動ミルで挽いて香りを家中に飛ばして淹れる。コーヒーをマグカップになみなみとついでゆっくりゆっくりとすすりながら、私はやおら一日の過ごし方を頭の中で錬りはじめるのだ。その計画に従って、朝風呂に入ったり、寝転がって本を読んだり、好きな曲を聴いたり…。一番の贅沢は何と言っても茶の間でのうたた寝だ。ブラインドを揺らすプルプルプル…という低い風の音を聴きながら、お腹に夏布団をひっかけて眠るひとときは、私にとっての至福だ。
そういえば子どものころからうちが大好きだった。滅多な病気では学校は休ませてもらえなかったが、たまに高熱を出したりすると、病気の代償として、家に居られるというご褒美がもらえた。ぽってりと熱を帯びた体は塗れタオルみたいに重たいのに、心だけは妙にうきうきと軽い。午前中の柔らかい光に包まれた部屋はいつもの部屋とは少し違って見えた。母親が片づけをしながら付けているNHKのニュース番組も何かしら新鮮に映った。母親が作ってくれたお粥もただの白粥なのに、しょっぱい梅干しを菜にして食べると、給食なんかには比べ物にならないくらいのご馳走に思えた。珠玉は午後3時、布団に横になりながら母親と見た『3時のあなた』。この番組は三田佳子や藤純子といった女優陣が司会を務めていた奥様向けのワイドショーで、キレイな顔をした女優さんがまじめな顔で凶悪事件を語る姿になぜかしら引き込まれた。
そのころには私の熱もいつしか退いていた。それは解熱剤の薬の効用があったのかもしれないが、うちに居られるという安堵感が私には何よりの薬だったように思う。
そして私は、家をしょって成長した。結婚を機に一度だけ家をしょい変えたが、今もやっぱりヤドカリみたいに家にこだわっている。子どもたちもこのヤドから巣立っていった。夕焼けも静まり空の端っこが明るい紺色に染まるころ、帰宅して玄関のカギを開けて一歩家に入ると、しーんと薄暗い玄関のたたきで「ただいま」と小声でうちに挨拶をする。霏霏と雨が降り続くこの季節は、家中のいろんなものが湿気を吸って賑やかに呼吸しているから、さまざまな匂いが音もなくサーッとやってきて、私を出迎えてくれる。この家のぬしのような匂いたち。「あああ…、うちに帰ってきたんだ…」と、体全体で感じる瞬間だ。すると、外でざわざわと騒いでいた心がみるみる鎮まっていくのがわかる。私は外向けに開いていた心の扉をパタンと閉めて、うちにあがっていくのだ。
【家賛歌余話】
日曜の夕方、今も続いている長寿番組『笑点』の間の抜けた、♪チャンチャラチャラララ、ウンチャッチャッという豆腐屋のラッパのようなテーマソングが流れると、「明日はもう、うちに居られなくなる…」という思いに駆られて、ブルーな気持ちになってしまう。今はもう、学生でも、勤め人でもないからそんな心配はいらないのに…。
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