大野直子
大野さんはフリーライター。当人はいたって生真面目に人生と向き合っているんですが、ハタからは、毎日が日傘クルクル、ノーテンキといった感じに見えてしまう。そんな彼女の、脱力気分がそこはかとなく漂う生活周辺エッセイは、本日も快調でぇーす。
なお、上の写真は当人ではありません。(まぁ、わかるとは思いますが。為念。)

第十六回  匂やかな本の巻

 「匂(にお)やかな女性」というものは、この世の中に希にいるけれど、「匂やかな本」というものも、希にあるものなのだなぁと、ため息をついたことがある。
 ため息をついたのは、地階一面が書店となっている本屋さんの、詩編がならんでいるいちばんはしっこの薄暗いフロア。大きさも形もてんでんばらばら、それぞれが寡黙に自分を主張している詩集や句集が収まっている本棚から、偶然、ひょいっと、『久保田万太郎句集 こでまり抄 成瀬櫻桃子編』(ふらんす堂刊)を抜きとった瞬間である。
 私はその、文庫本大の句集を両の掌に乗せたとき、なんだか、ふいに、とても幸せになった。中身も開けていないのに、「ことばの香り」を嗅いだような気がした。
 文学、とくに歌や俳句にたずさわる人ならば、読む前から、「ことばが香り立つ」などと、しゃあしゃあとぬかすとは何事ぞ、と、不謹慎に思うだろう。
 でも、黒いこうもり傘が表紙に印刷された句集を手にしたとき、私はほんとうに満たされた気分になってしまったのだ。まるで、匂い袋をひそませた宝石箱でも手にしているかのように。
 これから、表紙という蓋を開けたら、私は、匂い立つ句をネックレスのように身にまとうことができるだろう。するりと、そう思った。久保田万太郎で知っていたのは、「何もかもあっけらかんと西日中」と、「秋風やわすれてならぬ名をわすれ」の二句だけ、だったというのに……。でも、遠い日、その二つの句を目にしたときから、『こでまり抄』に出逢う日が来ることは、決まっていたのかもしれない、と思う。
 私は、本棚の前でしばらくたたずんだあと、その本を抱いたまま、まっすぐレジへと向かった。
 ちょっと上気した気持ちで家にたどり着いてやったことは、手を洗い、表紙を開け、一ページ目にあたる半襟のような「遊び紙」に、まっすぐな折れ目を付けたこと(このまっすぐな折れ目というのが肝心なのである。最初が曲がると、のちのちの何十、何百というページも曲がってしまうから)。
 次にやったことは、冒頭のページにあった著者のポートレートを見て、かこかこと笑ってしまったこと。だって、久保田万太郎と、着物の膝に抱いている、まるまると肥えた虎猫がそっくりだったから。
 そうして、私は、ページに刻まれた『こでまり抄』三百五十句を、指でなでるように、ゆっくりゆっくりと、何日間かかけて読んだ。いや、「味わった」と、言ったほうが近いかもしれない。
 「冬の灯のいきなりつきしあかるさよ」、「熱燗のまづ一杯をこころめる」、「月見ゆるところに立てる一人かな」、「虹いでてそらまめも茹であがりけり」、「机置きかへて春色うごきけり」……、などなどを読みながら、何気ない暮らしの一場面を、細やかに、ていねいに、見つめている、句のなかの万太郎オジサンを頭に思い描いた。また、恋愛の句「この恋よおもひきるべきさくらんぼ」や「わが胸にすむ人ひとり冬の梅」などでは、恋する虎猫オジサンに苦笑し、気持ちを重ねた。結びの句「小でまりの花に風いで来にけり」では、こでまりのふっさりした花が微風に少しだけ揺れる様子を頭に描き、赤貝をのどに詰まらせて「ニワカニ逝」ってしまった、あっけらかんの万太郎の生涯を想った。
 「やっぱりね」。本を愛するひとりとしての嗅覚は正しかったでしょ。正真正銘、ことばが匂い立つ本だったでしょ(これは、あくまでも、自分にとってだけれど…)。と、合点した。
 爾来、成瀬櫻桃子が選抜し、持ち歩けるであろう大きさに編集した『こでまり抄』は、つねに私の身のまわりにひそませてある。カバンの中に入れてあると思うだけで、安心する。疲れたときに、表紙をちらりと見るだけで、頬がほこっとする。
 この句集は、私にとって、合わせた手のなかからもれてくる、ホタルの淡い光のようなものだ。この本の内容も、造作も、装幀も含めて、全体がとにかくほのあかるいのだ。生活のはしばしにある、ほのあかるい部分にきちんと光を当てた万太郎を思うとき、「よぉし、私も」と、勇気づけられる。そして、この本は、どんなに平凡な人生であっても、楚々とした暮らしであっても、生きることは楽しいと教えてくれている。
 ところで、このホームページ「亀鳴屋」のあるじ勝井隆則さんは、匂やかな本が創れる人のひとりだ、と私は思っている。私もいつか、亀鳴屋刊の『こでまり抄』みたいな本を出すことができたら、どんなにいいだろう。
 あ、でも、その前に。万太郎のように、暮らしという草むらのなかに隠れている、葉っぱのさきっぽからしたたり落ちるような光のしずく、珠玉のことばを生み出すことが先決なのでした。ううぅむ。夢で終わるかもしれないなぁ……。でも、まぁ、いいや。夢は見ているうちが華だから。



日常への愛が詰まった一冊。
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