大野直子
大野さんはフリーライター。当人はいたって生真面目に人生と向き合っているんですが、ハタからは、毎日が日傘クルクル、ノーテンキといった感じに見えてしまう。そんな彼女の、脱力気分がそこはかとなく漂う生活周辺エッセイは、本日も快調でぇーす。
なお、上の写真は当人ではありません。(まぁ、わかるとは思いますが。為念。)

第十七回  わたしが子どもだったころ−クリスマスの巻

 こどもというものは鋭い感性をもっていて、けっしてあなどれないものだなぁと思う。と同時に、大人になるということは感覚が鈍ってしまうことなのかと思うと、ちょっと哀しくなる。
 年のせいだろうか、最近、こどものころのことをよく思い出す。ふとした瞬間、ある記憶が唐突に蘇ってきて、頭の中からなかなか去らなくて弱る。
 わたしがいちばん多感だった小学生時代、今とは違う土地に暮らしていた。そのころのこんな思い出たち。
 小学生の終わりごろ、ある時期、父と母は不仲だったのではないか…という思いがうすぼんやりと脳裏に貼りついている。母の悲しそうな横顔。少し苛立っているような父の言葉じり。笑顔のない食卓…。喧嘩してるの? そんなことはとても聞けなかったから、真偽のほどはわからない。だけど、こどもの勘なのだ。今思っても、当たっているような気がする。
 小学二年生。同じアパートに住んでいた○○ちゃんのお母さんと××先生は恋仲だったのではないかしらん…と、今でもふと思う。○○ちゃんは隣のクラス。××先生は担任ではないのでよくわからないけれども、四十代も後半ぐらいの、ものすごいおじいさん先生のように思っていた。それなのに、○○ちゃんのお母さんがそのおじいさん先生と話すとき、とてもうれしそうで、キラキラしだして、眩しそうで、それが不思議だった。家庭訪問に先生がやってきた時、○○ちゃんとわたしは長い間、アパートの砂場で時間をつぶした。
 でも、今から考えると、小学二年でそんなことを感じてしまうなんて、ませていたんだなぁと我ながら呆れる。恥ずかしい。それに今、自分がそんな年齢になってみると、こどもというものはずいぶん不遜なものだなぁと思う。勝手に人を恋も忘れた人間の化石のように思ってしまうんだから。ずいぶん傲慢だ。
 そしてクリスマスの季節。ケーキの広告やチラシが目に付くころになると、必ずむくむくと立ち上がってくる思い出がある。
 それは大好きだったノンちゃんの誕生会のこと。
 小学生のころ、だれの誕生会にだれとだれが呼ばれるかということは、こどもにとってちょっとした大事だった。わたしは性格が暗くておとなしいこどもだったので、そんなに頻繁にお誕生会には呼ばれなかった。でもそれが悲しいとか悔しいとかはあまり思わなかった。なんとなく場外からお祭り騒ぎを、ふぅん、という感じで見ていた。そのくせ、クラスで人気の女の子の誕生会に男の子の△△くんが呼ばれた、なんていう情報をちゃんとキャッチしていた。いやなこどもだったのだ。
 あらあら、話はケーキのこと。そのころケーキと言えばバタークリームのケーキが主流で、今のようにふわふわの白い生クリームのケーキは高級品。ふつうの家庭のこどもの口にはなかなか入らない代物だった。着色料で色づけしたバタークリームで、花や果物の絵なんかを左官屋さんが壁にコテ絵を描いたようなコテコテしたデコレーションケーキ。でもそれはそれ。口が曲がってしまいそうになるくらい甘くどくても、バターそのものを食べるみたいに固い食感でも、少しでも大きな切り身が食べたい!と切望するほど、ケーキは憧れの食べ物だった。
 そんなケーキが切り分けられ、いざ目の前に回ってくると、ノンちゃんのバースデーケーキのバラの花びらにはカビが生えていた。否。もしかしたら、そのカビのように見えたものはケーキの飾りだったのかもしれない。でもわたしはとっさに、「あ、カビ」と思ってしまったのだ。
 楽しいパーティーの際中に、そんなことは言えない。でもそっとノンちゃんのお母さんに訴えるべきか否か。目をつぶって食べるべきか否か。わたしはこどもながらに苦渋した。結局、我慢してエイヤッと食べてしまったようにも思うし、うまく言い訳をしながらその花びらを除いて食べたようにも思う。そのへんの記憶に限ってははっきりしていない。
 しかし、このケーキの顛末で鮮明に覚えていることがある。それは、その誕生会にノンちゃんのお父さんが出席していたこと。そのお父さんがみんなに混ざってとても嬉しそうだったこと。そしてノンちゃんのお父さんは作家さんだったこと。
 本当に作家だったかは断言できないけれど、なんでも承知していたあのころのこと、作家とまではいかなくてもちょっとした「物書きまがい」ぐらいの人だったのかもしれない。ノンちゃんはそんなお父さんの血を受け継いで、クラスで一番作文が上手なこどもだった。いつも見本としてノンちゃんの作文が読み上げられていた。わたしはそんなノンちゃんをとても尊敬していたのだ。半分ねたましく思いながら…。
 誕生会に行って、ノンちゃんのお父さんはノンちゃんのことをこよなく愛していて、ノンちゃんもお父さんが大好きだということがすぐにわかった。だからはわたしは、そんなやさしい作家先生の自尊心を傷つけるようなことだけはしてはいけない、そう思ったことを妙にはっきりと覚えている。
 今ではもうなかなかお目にかからないけれど、バタークリームでできたクリスマスケーキを見つけると、その時のことを味や匂いといっしょに思い出す。ノンちゃんの古びた家のにおいと、ケーキのもの悲しい甘さを。



あのころの家はどこも不思議な暗さに満ちていた。そのうす闇のなかには、過剰ではない、ぽわんとした家族の愛みたいなものが漂っていたように思う。
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