起きがけ、湯船のなか、高いところ、旅先などなど…、ときどきわたしは、ふっと、今が現実なのか夢の世界なのかわからなくなる時がある。
ちょうど、白楽天だったか杜甫だったかの、ある時、ある男がこの世の中が本当なのか、夢が本当なのか、わからなくなってしまうという漢詩とそっくりになるのだ。「夢が誠か、誠が夢か」というヤツである。
二〇〇五年も明けて間もない、まだお正月気分が抜けない頃のこと。わたしはそのゆめうつつの最たる状態に放り込まれてしまった。亀鳴屋の亭主、勝井氏とともに。
それは、ある詩の朗読会のこと。
場所は、「犀せい」という金沢でも老舗の喫茶店。文学とコーヒーの香りが床板にまで染みこんでいるような喫茶店である。そんないわくつきの場所で行われる詩の朗読会の案内状には、はなからなにやら怪しげな匂いが漂っていた。
行くべきか行かざるべきかゲーテのように悩んだ。そんなとき、神はちゃんと道を与えたまうもの。図書館で、やっぱり行くべきか行かざるべきか迷っていた勝井氏とばったり出会わせてくれたのである。かくして、小学校のときからおトイレに行くときもいつも一人、つるむということがあまり好きではなかったわたしが、勝井氏とつるむことになったのである。しかし、あのときほど、つるんでよかったと思ったことはない。
詩人たちでぎゅうぎゅう詰めになった犀せいの狭い店内は、まさしく身の縮こまる思い。もし一人で行っていたなら、朗読会が始まる前にしっぽを巻いて逃げ帰っていたことだろう。勝井サンという道連れがいたからこそ、なんとか堪え忍ばれたようなもの。大河を流れるよるべない木の葉の気持ちが痛いほどにわかった朗読会だった。
その雰囲気たるや、言葉を選ばずに正直に言わせていただくなら、まるで妖怪の溜まり場。すっとぼけた顔の白髪の老人。しなだれかかるような色香ただようご婦人。中国マフィアの親分。いかにも切れ者ですといわんばかり喫茶店のオーナー女史。ベレー帽やパイプが妙に似合う人々。話が人と絡まらないヘンなおじさん……。
そこはまさしく、まわりじゅうがきれいさっぱり狂ってしまったような世界。そこにいると、どっちが狂人でどっちが常人かわからなくなってしまう。
わたしは常々、詩人ほどいわくありげなヒトビトはいないと思っている。だって、血のようにしたたり落ちる一滴の言葉を吐き出し、それを紡ぐヒトビトなのだから空恐ろしい。詩を書くということは、繊細で、孤高のヒトでなければけっしてできない行為だ。
わたしたちのお目当ては、朗読会の特別ゲスト、中村なづなさんだった。
中村さんは、七〇を超えようかという詩人。昨年刊行された中村薺詩集『を』で、泉鏡花金沢市民文学賞を受賞された方である。そして、その詩集を編集し、発行元となったのが亀鳴屋主人、勝井隆則氏というわけである。
金田理恵氏が装幀するところの詩集『を』は、地位も名誉も見栄も、からだの脂も、なにもかもそぎ落とした老骨の潔さみたいなものが感じられる本だ。でも、それでいて、真っ白な紙の具合が、おしろいをはたいた肌のようで、どこかなまめかしい。その雰囲気は、老齢でありながら軽妙洒脱で愛くるしいなづなさんに似ている。
会の終盤、なづなさんが朗読する場面があった。
朗読会の主役である詩人たちがそう出たのなら、じゃ、わたしはこう行きますか…。てなぐあいに、なづなさんは、能のシテ方みたいにというか、女謡曲師みたいに、ご自分の詩を朗々と謡い上げられた。詩人というのはひとくせもふたくせももっておられる。朗読に入ると、足もとのふらつくちっちゃなおばさま詩人が、そのときだけ、老人の能面を付けた、まさしく尉面(じょうめん)の舞い方になってすっと立ち、玄妙に詠み上げた。やっぱり化け物ですね、詩人って。
わたしは、なづなさんの「かまきり」という詩が好きだ。
坂道の途中を
黒い蟷螂(かまきり)がのろのろ横断していた
脇腹が破れて
若緑色の食みでている
子をくるんだ嚢か
腸かもしれない
急ごうとしているのに埒があかない
もう死ぬときになって 斧は重いね
わたしが七〇歳になったとき、果たして、「斧は重いね」と、淡々と言えるだろうか…。
もしかしたらわたしは、二時間半の居心地の悪さの代償に、闇の遠くに点るかすかな灯りをもらったのかもしれない。詩人でもないのに…。
犀せいから解放されて、勝井サンとふらふら歩いた香林坊の景色は、やっぱりまだ朦朧としていた。さっきまでのヘンな人たちが、ふだんは何食わぬ顔でこの町に棲んでいるんだな。そう思ったら、金沢がちょっとおっかなくなった。
這々(ほうほう)のていでたどり着いた勝井家。勝井夫人、幸っ子ちゃんが淹れてくれたお茶のおいしかったこと。妖怪の世界から無事逃げおおせた、命の味がした。
※詩の朗読会にご参集いただいたみなさま、決して悪気があって書いたわけではございません。なにとぞ、なにとぞ、ご容赦のほどを…。 |