満月には、忘れられないことがいっぱい詰まっている。だからあんなに膨れているのだ、などと思うようになった。
今秋も、一年でいちばん美しい月の季節を迎えた。
私は最近、ヘタクソな詩を書いている。ここはひとつ、名月を題材に詩を書いたら、ちょっとはいい詩が書けるのではないか…、などと横着な考えを思いついた。以来、夜に昼に、空を見あげては月を探し出し、観察する日が続いた。
日の出前のほんの一時間ほどだけ、東の空に浮かぶ三日月の金の輪は、観音様の細く長い指のてのひらのように美しかった。ひょいと水を掬っているような薄いてのひらは、伊集院静の『受け月』そのものだった。「受け月に願いごとをすると叶う…」。私は鑑賞そっちのけで、月に向かって手を合わせた。
昼間の白い月は、気が休まった。何気なく見あげた空に貼りついている大根の切り損ないのような月。月なのか空なのかはっきりしない切れ端の部分に、無性に惹かれた。もやもやとしたボケ具合に自分を重ねたからかもしれない。じっと見ていると、月が空に溶けだしているあわいの部分に引き込まれそうな気がした。
日に日に月が太ってきた。
日が沈む時刻になると、富山県境の低い山並みからまるまると肥えた月が顔を覗かせるようになった。その大きさと立体感といったら、私の目にはまるでグレープフルーツのように映った。いまにもボーリングの球よろしくこっち目がけてゴロゴロ転がってくるのではないか…と思った。
そんな巨大な月も空高く昇れば、だんだん小さくなっていく。真夜中には、天上にハサミを入れただけの小さな穴になった。しかし、ふらふらと昇っていっては、その穴から空の底をのぞき込んでみたいという衝動に駆られた。
どうも私の場合、必死に観過ぎるあまりか、鑑賞にはなっていない。表現がちっとも叙情的ではないのだ。自分の無骨さにため息が出た。
そして、いよいよ満月の日。
2005年の中秋の名月は、忘れられないものになってしまった。
私は白山麓のあるコミュニティー誌でライティングのお手伝いをさせていただいているが、その雑誌の編集長のお嬢さんが、満月の夜、突然、交通事故で亡くなってしまわれたのだ。まるで満月に召されるみたいに。まだ19歳という若さだった。
その女性編集長とは戦友みたいなものだ。毎号のように、さまざまなところにふたりで突撃取材に出掛けていた。
山奥に暮らすお坊様の道場におしかけていっては、ふたりで暗くなるまで膝詰めで講話を受けた。プロの登山家の話を聴いていると、ふたりとも心が5000メートルの頂に飛んでいってしまった。宮司さんに神事のこまごました質問を浴びせていると、「図書館に行けば、関連した本がありますよ」と、やんわりお説教をいただいた。コンビになるとどちらかがどちらかを支えたり、制するというのが通常なのだろうが、どちらとも頼りない。結局、トンチンカンな取材になってしまうことが多かった。
でも私は、このノーテンキなコンビがとても好きだった。あまりにも的はずれな質問に、対象者はぽろりと本音を出してきた。事の真相が見えてくるような気がした。失敗と失言だらけの取材の帰り道、車のなかでいつも彼女と笑い転げた。
お通夜の席で、鳩羽色の喪服に身を包んだ彼女はなんだかすごく神々しく、美しく見えた。また再び、Gパン姿のふたりがズッコケたり笑える日が来るのだろうか…。さびしくて悲しかった。この世のすべてのことがやりきれなく思った。
私は、訃報が届く前日に「満月」という短い詩を書いていた。
月明かりですべての星がかき消された夜空にひとり浮かぶ、満月の孤独を書いた。…の、つもりだった。瓦を黒光りさせる月光は、月にフォークを射し込んではじけ出た果物のしぶきのようだとも書いた。…書いたつもりだった。
詩の合評会では、詩の大先輩からとうとつ過ぎる…というような評をいただいた。またある先輩からは意味不明なところがシュールだ…との評もいただいた。いずれにしても修正しなければならない。でも、満月があまりにも悲しい思い出と結びついてしまい、未だに手をつけられないでいる。
辛い出来事に人はしばしば歩みを止めてしまうけれど、月や自然は決して歩みを止めることがない。月は、今日も黙々と満ち欠けを続けている。しかも私の大好きなちょっといびつな形で、夜空に浮かんでいるんだろう。
その、満月なのに十三夜の月のように未完成な詩とはこうである。
|