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新年(賀状) 国際婦人デー 祖国防衛者の日  マースレニッツァ 復活祭  その他の休日 誕生日

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ス・ノーヴィム・ゴーダム!(新年おめでとう)

元日0時に家庭でシャンペンで乾杯する頃、街では花火の音がし、
中央広場には大きいヨールカ(モミの木)が光り輝いています。
若い人たちは街に出て賑やかに過ごします。


サンタクロースではなくてジェッドゥ・マロース。日本語では厳寒とか寒波という意味のマロースおじいさん。 そして必ず孫娘のスネグーラチカ(雪娘)が一緒です。もちろん、プレゼント持参です。
 クリスマス(キリストの聖誕日)にではなく、元旦にやってくるのです。 寒さが倍増するような名前も、ロシアではその来訪を楽しみに変える魔力を持っています。
 この写真は、12月17日極東大学(FESU)東洋学部の先生と学生の「新年とクリスマスを祝う集い」があり、 外国人の先生たちが記念撮影したときのものです。
極東工科大学(FESTU)でも12月下旬に新年の集い。講堂に教員も学生も集まり、舞台での劇やコンサート、そして食事の後はダンスで盛り上がりました。
通常、モミの木は12月末に飾って1月1日の新年を祝い、1月7日のクリスマス(ロシア正教ではロシアの旧暦)を過ぎて1月13日の旧正月まで飾ります。
家庭に招かれました。近い親戚の人も同席です。部屋がモミの木やモールで飾られ、ご馳走が並びます。 オリヴィエというサラダは学生の娘が、肉料理はお母さんが作りました。 お父さんはテーブルやお酒を準備し、0時になるとシャンペンでお祝い。
一息ついたところで、お父さんがマロースおじいさんに扮してプレゼントを配りました。
日本より早く
「おめでとう」
ウラジオの0時は日本より1時間早いことに、 はじめは日本人もロシア人も合点がいかないようです。 夏時間(3月最終日曜日から10月最終日曜日)は2時間早くなります。
日本では明石一地点だけが標準となっていますが、ロシアには時間帯がモスクワから東に10あります。日本から見ると、カムチャッカ半島は+3、サハリンは+2です。ウラジオストクの経度131.55(山口県と同じ)だけを考えると、日本と同じ時間帯がしかるべきだと思うのは素人のようです。 ウラジオが含まれる地域に適用される標準地点が明石より15度東に位置するからなの?どうなの?
日本では休日と定められていなくても、暮の28日の仕事納めの後から正月三が日は休みと相場が決まっており、学校も冬休みです。ロシアでは31日、1月1日、2日が休日で、きっちり守られます。学生は12月に試験があり、年内に合格しておかないと、新年早々、追試という羽目になります。


以下はもらったカードの一部です。寺院・もみの木の絵が多いです。

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3月8日(ヴァスモーエ・マールタ)

「国際婦人デー」と、この祝日を日本語では言いますが、ロシアでは3月8日の日付そのものでよびます。
まさに女性の日で、家族友人はもちろん、職場でもパーティを開いたりします。
1914年から社会主義国で祝いの行事が続いてきたようで、中でも日常生活に定着しているのはロシアなどに限られるでしょう。

(休日です)
この日にお花がなくては話になりません。 バラやチューリップの花束がチョコレート、プレゼントの品、そしてカードとともに贈られます。 花屋が最も賑わう日です。
 カードにはもちろん女性への賛辞が必ず書かれます。 祝いの言葉も、単に幸福、健康、成功を祈るというだけでは不足のようです。 日本の男性にも知ってほしいと思ったことでした。
 ある年のヴァスモーエ・マールタに、講座長が本を贈ってくれました。詩集です。 文学に親しみ、文学者を誇りに思うロシアでは、プレゼントにしばしば本を贈ります。 パーティでも詩の朗読があったり、即興で詩が詠まれたりします。
 小学校から、国語の時間に詩を暗誦し、正しくきれいな言葉を使うことが求められます。 豊かなほめ言葉が自然と口に出てくるのは、性格もあるでしょうが教育によるものも大きいでしょう。
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祖国防衛者の日(2月23日)

1918年、赤軍が組織された記念日。
ソ連時代には直接軍人が対象でしたが、今は男性一般に拡大解釈され、
「男性の日」として3月8日「女性の日」に対するものとなりました。

(2002年から休日です)


 祝い方は比較的地味でした。プレゼントや水仙などの花も贈ったりしますが、 ヴァスモーエ・マールタのような華やかさはありません。 1994年(1992年?)に「ソビエト陸海軍の日」からこの名称に変わったそうです。
95年頃、ロシアの日本語の先生は「祖国の守り手の日」という訳を試みました。 その時、mえむは防衛者という言葉が浮かばず「適当ではないが、古い言葉に防人(さきもり)というのがある」と話したことを覚えています。
---ロシア語を一言---
ス・プラーズニカム(祝日おめでとう)
この一言はたいへん便利です。何の祝日かを省略できるのですから。 スのあと、区切らずに続けて発音します。プラーズニカムは、祝いという意味のプラーズニクが格変化したものです。
 この要領でいくと、次のようになります。
新年おめでとう「ス・ノーヴィム・ゴーダム」は、新年という意味のノーヴィー・ゴッドゥが格変化。
誕生日おめでとう「ス・ドゥニョム・ラヂジェーニア」は、誕生日という意味のヂェン・ラヂジェーニアが格変化。 (実際の発音は、このカタカナを読むのと少し違います)
スの後に続く単語の語末がムの形に変わります。 世界で最も難しい言語の一つと言われるロシア語も、このように格変化が規則的だからこそ、 いざというときの一言は覚えやすいとも言えます。
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マースレニッツァ(冬を送り春を迎える週間)
年によって期日が異なり、2005年は3月7日〜13日

スラブ民族の古代からの祭りです。
東方教会(ロシア正教)が入ってきてから、宗教的な意味も持つようになりました。
日にちはロシア正教最大の祭日である復活祭を基準にして、その7週間(肉食を絶つ期間)前です。

(日曜日以外に休みの日はなく、平常どおりです。)


 この週には「ブリヌィ」というロシア風クレープを焼いて食べます。 ブリヌィは、菓子というより料理と言えます。甘くはないし、包むものも日本と違います。ジャムも包みますが、スミターナ(ロシア風サワークリーム)や、バターをぬった上にキャビア、イクラ、サーモンなども包みます。
 丸い生地が太陽の形なので春をイメージし(春を迎える祭りの意味合い)、バターのロシア語マースラからこの名称になりました(mえむの想像では宗教的意味合いから)。
 2004年2月23日、NHKテレビでも街中での祝いの様子が見られました。 ブリヌィをほおばる人たちは楽しそうで、大きなわら人形も飾られていました。このわら人形は冬を象徴するもので、燃やすことで冬の終わりを宣告するとか。(mえむはウラジオで、このわら人形を見たりする機会はありませんでした)
 また、最終日の日曜日は「赦しの日」で、互いにこの1年間の恨み辛みを赦して忘れる日です。
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パスハ(イースター、復活祭)
(休日ではありません)


東方正教会の一つであるロシア正教はユリウス暦なので、 日本人に馴染みのある西方教会のカトリックやプロテスタントの日にちとは一致しません。 2004年は4月11日、2005年は5月1日、2008年は4月27日。
 ケーキを焼いて卵に色付けしたりします。 仕事に気をとられず、家事も少なくし、洗濯などはしないのだと言われ、挨拶の言葉を教えてくれました。 フリストス・ヴァスクレス!(キリストは甦り給えり)に応えて、ヴァイスチヌ・ヴァスクレス!(まことに甦り給えり)と言います。
 信者はもちろん教会に行きます。 教会まで出かけるのは年配の人が多いとか聞きましたが、実際に行ったことがないのでよく知りません。 宗教を否定してきたソ連時代が終わって、ロシア正教の信者数がぐんと増えたことでしょう。
 
「フ」の発音について参考までに:
ロシア語に触れて、函館にあるハリスト正教会はなぜキリストと言わないのかという疑問が明確になりました。キリスト教徒と言うつもりでクリスチャンと言うと、ロシア語では農民になってしまいます。「フ」には二つの発音(kh,f)があります。フ[kh]リスチャンと言わなければなりません。
また、フリストスの「フ」はウの母音がなく次の子音に続きます。こういった子音の連続が日本語話者には難しいものの一つで、自分では母音ぬきのつもりなのに、幾度か指摘されました。
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その他の国民の休日
国民の休日が土曜日か日曜日の場合は次のウィークディに振替となります。
例えば、2004年5月1日2日は土・日なので、3日4日の月・火が休日です。
日本のゴールデンウィークの時期と重なる連休です。
5月
1日,2日
春と労働の日
(旧メーデー)
広場で集会が開かれます。
5月9日戦勝記念日第二次世界大戦時の1945年、ドイツ軍に勝利した記念日。
旧軍人たちが主役で、勲章をつけてパレードをします。女性もいます。
6月12日ロシア国家主権宣言の日いわゆる独立記念日です。
1990年ロシア連邦最高会議で宣言され、1994年から祝日になりました。
11月7日和解と同意の日
(旧革命記念日)
1917年の十月社会主義革命の記念日
12月12日憲法記念日現行憲法は1993年に制定されました。
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個人の祝い「誕生日」

何歳になっても毎年、必ず祝います。
本人がパーティを開き、家族、親戚、友人はプレゼントを贈ります。
10歳ごとの区切りの年は「ユビレィ(記念祭の意)」といって、特別盛大に祝います。

子供のときしか誕生パーティをしない日本とは大違いです。 ユビレィの時は、職場でパーティが開かれることもあります。 誕生日当日が平日なら、たいていその後の週末にパーティをします。

 寮の隣部屋にいた先生(女性)の誕生日、それはそれは賑やかな一日でした。朝からお母さん、友人数人がパーティの準備です。 安くはないイクラもふんだんに皿に盛り付けられました。 昼頃から夜まで入れ替わり多くの人が訪れました。花もケーキもお酒もプレゼントも、いっぱいです。
「これまでひっそりと過ごしてきた誕生日を、いつか精一杯賑やかに過ごしたかったのが実現した」とは、その先生の弁。 「1ヶ月の給料のほとんどをこれに使ってしまって・・」と節約家のお母さんが、翌日mえむの部屋で話しました。
 来月のことも細かく計算して過ごすなど、1995年頃のインフレの激しいロシアではあまり意味がないと思われ、その思い切りの良さに感心さえしました。

(注)ロシア語のカタカナ表記時「・」を使用することについて
ロシア語と併記する時は使われず、カタカナ表記だけの場合でもロシア語学習目的では使われません。
しかし、日本語表記は空白を使いませし、単語を区別する意味でも、ここでは使うことにしました。
ロシアの人が個人名を日本語のカタカナ表記するときも、1文字分の空白をおくだけで「・」は使わない傾向があります。
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