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ダーチャって日本語で「別荘」?
別荘と訳すと誤解が生じます。菜園付き別荘のほうがより適切でしょうが、建物はピンからキリまでです。
冬でも住めてバーニャ(ロシア式サウナ)もある快適なものから、道具を入れる小屋程度のものまであります。
持ち主の経済状況にもよります。
居住重視か菜園重視かによって、別荘という言葉の持つ意味合いが異なり、ほとんど意味を持たない場合もあるというわけです。 どうやって手に入れた? 土地はソビエト時代の政策として、国から一般庶民に給与されました。その時期・政治的経緯・目的などについては、mえむは知りません。とにかく現実的には、農業とは別の職業を持つ人々が、休業日を利用して自らのための食料が生産できる(健康増進もかねて)ようにしたのです。
その土地を自分たちの力で開墾し、建物を建てました。何ヶ月、あるいは何年もかかって木を切ったり根や石を取り除いて畑にし、野菜を植え、家族・親戚みんなで数年かけて建物を建てたのです。自ら汗した、愛着に満ちたダーチャなのです。 ロシアになってからは、土地が売買され出し、建物も業者が建てるようになりました。また、95,6年頃からでしょうか、お金持ちが保養・レジャー目的の高級な「別荘」を建て始め、庶民の話題にのぼりました。 一方、荒れていくダーチャも増えているそうです。耕作地として不向きだとか、自宅から遠すぎるとか、労力的に余裕がなくなったなどが、その理由のようです。 ダーチャの環境【距離】市街から車で20分ほどの近くから、電車やバスを利用し、その上けっこうな道のりを歩いて2時間もかかる遠くまでです。
日曜日の夕方は、ダーチャから帰宅する車で、市街地にさしかかると道が混みます。 手ぶらで往復するわけではありませんから、老齢者には車がないとずいぶんな負担です。 【斜面】静かな自然の真っ只中、つまり山間部にありますから、幾分か斜面になっているところも多いのです。ひどい斜面では居住するための建物は建てられませんし、作業も大変です。 ずり落ちないように片足で踏ん張りながら作業をしなければなりませんし、水や肥料の量も斜面の上と下では異なってくるでしょう。 【水】市街地近くで水道が来ている所もありますが、一部分に過ぎないでしょう。 飲料水は、近くに施設などがあったりすれば汲みに行き、来ていなければ自宅から持参します。 畑の水は、川や池から汲んでくるとか、ドラム缶に溜めた雨水を利用します。 共同の井戸もあるのでしょうが、mえむの目にはとまりませんでした。 夏に畑を手伝ったことがあります。1輪車に、牧場で牛乳を入れる缶のようなのを固定してあるのを使いました。 近くの池から水を汲んでくるのですが、でこぼこ道ではバランスなどが難しいです。 私は汲むのは手伝いましたが、運ぶのはうまくいかず、結局その家の13,4歳の息子がスイスイと運んで行きました。 【電気、暖房】 電気が引かれているところは、果たして何%なのでしょうか。多くは電気がないように見受けられました。 今は住む人がほとんどいないので、さほど不便を感じないでしょうが。 また、ペーチカはあっても、住まなければ使うことはありません。 人が住んでいないとダーチャ荒らしが出没するそうで、いい家具もおいてありません。 昔は、家族の一部がダーチャに住むことも多く、冬にさえ住んでいた人もいたそうです。 街までそう遠くなければ、仕事をもっていて、ダーチャから通った人もいたということです。 今でも夏場は、無職の年金生活者が生活しているところもあります。 実際の生活を知らないmえむは、ゆったりした生活を想像してみるのです。 ランプで明かりをとり、ペーチカで暖をとって煮炊きする・・・、空気は澄み、星の輝きが美しい・・・。
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| ダーチャに招待されて | |
|---|---|
| ある家のダーチャ(1) | ある家のダーチャ(2) |
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| 果樹とベリー類で囲まれ、裏は木々が生い茂る森です。
菜園の奥に2階建ての建物。建物の前まで車が入れるように私道が作ってあります。
裏の空き地には、シャシリーク用に石が積まれて、腰掛けるにかっこうな丸太が置いてあります。
傍の木にハンモックをかけて休める場所も確保してあります。
小さな物置があり、少し離れたところにトイレがあります。 建物の半地下は物置、1階に居間と寝室(ベッドがあっても今は泊まっていない)、2階にも部屋があり、バルコニーがあります。 2002年に来たメールによると、バーニャが完成したとのこと。休息の場として充実していくダーチャです。 街中の住居は集合住宅でスペースが限られているので、おのずとダーチャでゆとりを感じようとするのでしょう。 シャシリークのごちそうもさることながら、新鮮なベリー類と野菜の味は最高でした。 スグリの収穫を、口に入れたりしながら手伝い、花、ミント、わすれな草をもらって帰りました。 はじめてのことの中に、若いニンニクの葉をかじったということがありました。 幾種類かが植えられ、フランスから来た種類(だったかな?)はニンニク独特のにおいも辛味もないのです。 作物のことについていろいろ話してくれ、農家でもないのにと感心したことでした。 お父さんは副学長の経験もある学部長、お母さんも教授という「お堅い」職業なのに気さくで、ダーチャの全てを自分たちで切り盛りしています。以前日本を訪れたことがきっかけで、日本に親近感を持ち、娘が日本語を習っています。 |
お父さんの職場から分譲された(無償か否かは尋ねませんでした)ダーチャは、職員に供給される豚を飼っている施設のそばにあります。
一帯はその組織が所有する土地で、山を開墾して職員に分譲しつつある所です。 隣のダーチャとの境も溝があるだけです。作物を作り始めてからそう長く経っていません。 建物も大枠は業者が建て、中を自分たちで作っているところでした。(1996年現在) 大学生の長男は、父親と一緒に床を張ったりの作業を手際よくやっていきます。 次男は遊びたい盛りであちこち飛び回っていても、声をかけられればちゃんと手伝います。 豚舎に水を汲みに行ったり、道具を片付けたりします。 ジャガイモ掘りを手伝いました。全部掘り終え、大きいのは袋の中です。でも小さいのがあちこちに転がったままです。お父さんはもう終わりだと言いますが、お母さんとmえむは小さいのも拾い集めます。 小さくても捨てられるのはかわいそう、もったいないという気持ちになるのです。 どうも、女性は小さいことも見逃せないようです。思い出すに、私の小学生の頃は、母と一緒に落穂ひろいをしていました。 丹精込めて育て、いざ収穫しようと思った日に盗まれてしまうという被害が増えてきたとのこと。 現にこのダーチャのニンニクも被害にあいました。がっくりした姿に同情せざるをえません。 2003年、米などが不作の日本で、米泥棒、さくらんぼ泥棒が出現し、組織的にごっそり盗んでいくという事件が起こりました。農家には多大な被害でした。ウラジオで感じた、経済の不安定が泥棒を増やすということは、どこも同じです。 |
| いくつか問題があるとはいえ、ロシアの人々の生活をダーチャぬきに考えることはできないでしょう。 時代が変わり、ダーチャが変化していっても、消えることはないでしょう。 金持ちは金持ちなりに、お金には恵まれない年金生活者は年金生活者なりに、ダーチャは大切なものです。 何てったってダーチャなのです。 | |