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ロシアの結婚

在ウラジオ中に結婚披露パーティに招かれた時のことなど、聞き覚えていることを少し書きます。
 帰国後も、元学生から結婚したとの知らせが何件かありました。写真は、その中の一人オリガさん(女性)。 ここは結婚式後に訪れる場所の一つで、ウラジオストク市の境界。モニュメントの先端は市を象徴する帆船。
写真をクリックすると大きくなったり小さくなったりします。
[1] まず役所で、婚姻届けを提出して戸籍に登録。
証人としての立会人が必要です。花婿側は男性、花嫁側は女性が各一人親しい友人が付添人となって、立会人役をはじめ一連の進行で重要な役割を果たします。役所では書類を書くだけでなく、職員が司会をする形で、指輪交換もキスもある「式」が行われ、両親、親戚、友人が祝います。 花婿が花嫁の自宅に迎えに行って、一緒に役所へ行くわけですが、そこでもいろんな習慣があります。聞いたのですが忘れてしまいました。
[2]飾られた車に乗って市内の名所を回ります。
「戦士の記念碑」に花を捧げ、「市の境界モニュメント」でシャンペンで乾杯することが多いそうです。
[3]結婚披露パーティがレストランで開かれます。
届を提出した当日の夕方に開かれます。(後日、例えば1〜3ヵ月後ということもよくあるそうですが)私の所にも式の1週間ほど前でしたか、二人が直接招待状を持って来てくれました。
 会場前では母親が迎えの言葉とともに、きれいな長い布を垂らし、その上にのせた丸いパン・塩で二人を迎えます。このパンは直接口で一口かじりとって塩をつけて食べます。
 その後、シャンペンで乾杯し、飲み干したグラスを床に投げて割ります。石川県でも花嫁が嫁ぎ先の玄関で杯に口をつけた後、床に落として割ります。意味合いは同じではないかもしれませんが。
 さて、この披露パーティはとてもとても賑やかで楽しい雰囲気です。付添人とは別の進行役が登場し、なかなかの役者ぶりで場を盛り上げます。家族、親戚、友人の祝辞が、乾杯と共にタイミングよく行われます。
各付添い人がおもむろに、問答式の宣誓書なるものを読み上げます。相手に対してどうあるかなどを問い、答えるというものですが、笑いを誘う内容で、一つ一つの項目に皆の笑いが起こります。
 合間合間に客達から「ゴーリカ!ゴーリカ!」というキスを要求する合唱が起こります。あまり短いキスだと文句が出ます。「苦い」という意味の言葉ですが、反対の意味をいうことで「甘さ」が失われないようにを守り、強調するのでしょうか。
 祝辞など一通り終わった頃、舞台は料理の並んだ席を離れます。伝統行事の花嫁の靴盗みです。友人が花嫁の白いハイヒールを片方盗みます。花婿はそれを取り戻すために探し、追いかけ、要求されたお金を払います。花婿側の友人が助け舟を出して、お金を客から集めて渡したりします。日本では熨斗袋に入れて祝い金を渡しますが、ロシアでのお祝いは花束や品物です。でもこんな形でお金を渡すのもおもしろかったです。
 最後はダンスになります。新郎新婦も客も所狭しと踊ります。ダンスなどできない私もリードの上手な男性のおかげで、輪に加われました。本当に楽しさを体いっぱい味わった結婚披露パーティでした。
[4]二次会や新婚旅行
二次会は披露パーティの翌日、自宅で本当に親しい人たちだけで祝います。 新婚旅行は行かない人もいますが、外国など遠くへ行く人が増えつつあるようです。

結婚生活

二人だけの生活
親と同居するかどうかを特に考える日本人とは違って、ロシアでは二人のために住居が準備されます。でも、親とのつながりは強く、近くに住んだりして頻繁に行き来するようです。ほとんどが集合住宅で、部屋数が多くないことも一因でしょうか。
 専業主婦という言葉もなく、二人とも働きます。夫は家事もよく手伝います。そして、結婚記念日は、誕生日と同様、毎年忘れずに祝われます。
離婚
日本で言う成田離婚のように早くではありませんが、離婚する人は相当多いようです。ある学生は離婚率は世界一高いだろうと言っていました。ソ連時代、離婚した元夫は養育費を給料から引かれたし、保育所や教育などが無料だったことも、離婚を容易にしたのだろうと私は思いました。
 役所で結婚の手続きをしないで一緒に住む人も多く、それは社会的に問題ありという風潮ではありません。再婚も特別視されません。 日本語の授業で家族について話す事があります。その時、父親がいない家庭が多いことに驚きました。それ以来、私は「自分の家族についてではなく、考え出したおもしろい家族構成にしてください」と言うことにしました。今思えば、無用な配慮だったかもしれませんが・・・。 
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