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(C)2003
Somekawa & vafirs

『妙見、虚空蔵、ときどき蝸牛』

森川千春

私はコレクターである。
呑ん兵衛である以前に、物心つく前からのコレクターである。
コレクションの中心はなんと言っても「貝」。
幼い頃は色鮮やかな「海の貝」に惹かれたものだが、歳のせいか、ここ十数年は「陸の貝・カタツムリ」に熱中している。
地味ながらも力強く、それでいて「侘び寂び」にも通ずる深い味わいがある。

カタツムリと信仰は、どこか繋がっている。
ナチマイマイ(那智)、イズモマイマイ(出雲)、ハクサンマイマイ(白山)など、古くからの霊場、聖地には殻径5センチを超える大型で美しいカタツムリが棲息している。
その昔、修験道の草創期に、未開の山中へ分け入った修験者は、今の時代では想像もつかないような大きく多彩なカタツムリを見たに違いない。
手つかずの原生林に初めて踏み込めば殻径7センチに達するものがいても不思議ではない。
うらやましい・・・

私の場合はもちろん修験者とは逆で、カタツムリ見たさに深山に分け入ったことが「縁」となり、山岳信仰に興味を持つようになった。
夜の山中、静寂の中に独りでいると、いろいろと感ずることがある。

26年前、ちょうどハレー彗星の年に、妙な縁で、秩父で仕事に就いた。
セメント産業で有名な日本有数の石灰岩地帯、これすなわち、殻の成分に石灰を必要とするカタツムリの棲息適地を意味する。
そして、それよりなにより、「秩父札所めぐり」で有名な霊場、聖地である。
当時はカタツムリにも霊場にも興味を持っていなかった。
もったいない・・・

どうも秩父でやり残していたことは蝸牛だけではなかったようだ。
そんなとき、西武秩父駅前のカツ揚げ頑固一徹、レストラン・エデンのマスターから 「七十の声を聞き、ボケないうちに賀状は今回をもって失礼させていただきたく・・・なお店は体の続く限りやりたいと思いますので」と印刷された年賀状。
「お体大切に」と書き添えられている。こりゃ心配・・・顔見に行かなくては。

9月になって、ようやく時間ができ、5年ぶりの秩父へ。
住んだのは僅か1年だけど、なんとも懐かしい帰る場所。

まずは秩父神社にお詣りする。
十ある境内摂社にも順にお詣りし、名工・左甚五郎の手になる社殿彫刻を鑑賞しながら散策していると、「妙見七つ井戸」の案内板があった。
元は別の場所にあった「妙見宮」を秩父神社に勧請・合祀する経路に七つの井戸があるという。
妙見は、北辰妙見ともいわれ「北極星」を神格化したもので「北斗七星」とも関係がある。
七つの井戸は北斗七星の形に並んでいるのであろうか?
ついつい引き寄せられて見ていると「一の井戸は秩父東高等学校の敷地内に・・・」って、勤めていた学校じゃないか!

平安時代初期837年のハレー彗星が契機となって成立したという「星曼荼(北斗曼荼羅)」には、「妙見」や「北斗七星」が配されている。
秩父神社は中世以降、明治の神仏分離まで「秩父妙見宮」であった。
76年に一度のハレー彗星回帰の年に、妙見宮の秩父に、それも妙見「一の井戸」のあった場所に呼ばれていた。
妙な縁もここまでくれば宿命か。

「妙見七つ井戸」は当時、一杯飲んでフラフラと歩いて帰っていた経路にあるようだ。
ひんやりと澄んだ星空が忘れられない。
秩父は空が近い。
あの星空は、私に何かを伝えようとしていたのだろうか?
興味は尽きなかったが、残された滞在時間はあと半日になってしまった。
秩父神社で、妙見さまの鎮宅霊符と、つなぎの龍の絵馬をいただき、レストラン・エデンへと急ぐ。
マスターの元気な顔を見て、絶品のヒレカツでビール飲んで帰ってきた。

一年後。
霊符も返納して新しくしたいし、と思っていたら、ちょうど埼玉方面での仕事が入った。
今度は秩父でゆっくり二泊できる余裕がある。
さっそくエデンに向かい、ヒレカツでビールを一杯。
秩父で勤めていたのは25歳の時、「秩父出てから25年もたつんか・・・なんか、ずっとそのままいるみたいだよな」と言ってくれるマスターのいる温かく懐かしい場所。
そう、私は「金沢へ帰った」のではなく「秩父を出た(秩父出身!)」のだ!

今回は忙しい。
晴れて暑いのでカタツムリは無理であるが、「妙見七つ井戸」を確認しなくてはならない。
それともう一つ気にかかることがある。
秩父事件である。明治17年11月1日の武装蜂起、11月9日に壊滅した。
田代栄助総理はじめ、落合寅市、菊池貫平、困民党幹部は、なんだか顔を知っている気がする。
どの顔も懐かしい。
田代総理の辞世は、上の句を読んで、下の句がたたみかけるように出てきたくらい、なぜか「知って」おり、胸にこみ上げるものがある。
今回は秩父困民党の足跡をたどる目的もあった。

ホテルのフロントで「妙見七つ井戸の地図ありますか」と尋ねると、「えっ? なんですか? 七福神みたいなものですか?」と全く要領を得ない。
とりあえずスタート地点になっている「廣見寺」に行く。
朝早いためか人影はないが、本堂内には法要の準備がされている、長居しないほうが良さそうだ。
山門前に妙見堂があり、七つ井戸の詳しい地図を描いた案内看板があった。
デジカメで撮影し、モニター画面で拡大して道を確認しながら進むことにする。

その時、一人の僧侶が軽自動車でやってきた。
わざわざ私の横で車を止め、窓を開けて「おはようございます!」・・・無理もない、私のいでたちは、坊主頭に黒い作務衣、足袋に雪駄履きで、菩提樹の大数珠を首にかけていた。
法要の手伝いに呼ばれたお仲間と勘違いされたのだろう。
先を急いだほうが良さそうだ。

「一の井戸」は懐かしの職場内。
しかし、少子化のため、すでに廃校になっており中には入れない。
裏山を抜ける道に「一の井戸」の標識があった。
斜面を降りるとフェンスの向こうに、かつて女生徒たちを前に授業をしていた生物実験室が見える。
そして、ふと目の前のカエデの木に・・・カタツムリがっ!

晴れた昼間に、立派な成貝が木の幹に張り付いているなど、よほど棲息密度が高い証である。
ふつう、こんな時には、落ち葉の下や石垣の隙間などに逃げ込んでいるものだ。
やっぱり「ウッジャウジャいた」。
関東地方の普通種ミスジマイマイである。
ミスジは三筋、殻にラインが3本あることがその由来だが、実際に3本のものはほとんど見ない。
2本か4本が多い。
ちなみにカタツムリはカエデの木が好きだ。
雑木林ではカエデに優先的についている。

一の井戸から五の井戸までたどり、六、七がよくわからず(民家の中にあるため)迷っているうちに地図上に「虚空蔵寺」があらわれた。
虚空蔵菩薩は妙見の本地仏ともされ、私の生まれ年(丑年と寅年)と生まれ月(1月と2月)の守り本尊でもあるので、急遽道を外れ行ってみる。
その開基は「妙見七つ井戸」のスタート地点「廣見寺」の二世。
虚空蔵寺は妙見との関係において建てられており、秩父神社の「丑寅」の鬼門除けになっている。
寺の縁起を記した石版を読んでいると、その下の石垣に・・・カタツムリがっ!

今度はヒダリマキマイマイ、立派な成貝である。
幼貝もいる。
天敵コウガイビルにやられているのもいる!
コウガイビルはヒル(環形動物)の仲間ではなく、プラナリア(扁形動物)の仲間。
よって、口は頭部にではなく腹の真ん中にあり、消化管は体の前方と後方に向かって分岐しながら袋状にのびている。
コウガイは女性が髪に挿す「笄」の形に似ることからきているが、こんなもの挿したくないね〜 七つ井戸すべてを確認できなかったが、思わぬ収穫であった。

七つ井戸は、秩父市街中心部を縦断するように並んでいる。
残念ながら北斗七星の形にはなっていない。
秩父駅の土産物屋で地元出版の「秩父 アイヌ語・縄文語地名考」という本を見つけた。
「チチブ」はアイヌ語で「我らの舟」の意味らしい。
実は北斗七星を「舟形」とする見方がある。
柄杓を伏せて置き、柄の部分が船体、杓の部分を船首の房飾りとするもの。
七つ井戸は、むしろ「舟形」に近い配列で「我らの舟・チチブ」中心部を縦断している。

さて、陽も天頂をとおに過ぎている。秩父困民党の進軍コースもたどらなくては! 明治17年11月2日正午前、秩父困民党は大宮郷(現・秩父市街地、大宮は秩父神社のこと)を見下ろす秩父札所23番音楽寺に集結し、梵鐘の乱打を合図に郷内に突入した。困民党指導部は、地蔵院、秩父神社、ついで秩父郡役所へと本陣を移している。 これにならい音楽寺→地蔵院とたどる予定が、七つ井戸コースをリタイアした地点からは地蔵院が近い。なにせ徒歩である。音楽寺まで戻って(約3キロ)スタートするには時間も、体力も足りない。非礼を心の中で詫びながら、逆周りでたどることにした。

ところが地蔵院が見つからない。移築されたようだが、道行く人に聞いても、わからない。公共施設と思える子供の遊び場の受付で聞いてみたけど、わからない。
やはり逆周りは、いけなかった。あの日、大宮郷に突入した人々は、この道を凱旋することはなかったのだから。非礼を悔いながら、地蔵院は断念して音楽寺へと向かう。 すると間もなく道路わきのコンクリート擁壁一面に・・・カタツムリの豪快な食痕がっ!

表面に生えている藻類や菌類を、風化したコンクリートとともに「歯舌」で削り取る。
頭を左右に振りながら食べ進んでいくので、「バネ」のような食痕が残るのだが、これほど豪快なものは初めて見た。
高さ2メートル、幅4メートルにおよぶ一大スペクタクル!
雨の日にはさぞかし立派なカタツムリが、たくさん這っているだろうと夢想する。

地図上ではすぐ近くに思えた音楽寺、しかし延々と急な上り坂が続く。
急勾配を水平距離でとらえていた失策。
一日歩き続けている身には結構こたえる。
この日の全行程約15キロ、ほうぼうで迷って行きつ戻りつしているのでさらに長い、しかも雪駄履きである。
たどり着けば、高さ、斜面の傾き・方向、ともに絶好の地で、大宮郷、すなわち秩父市街地全体が見渡せる。
制圧目標の秩父郡役所まではおよそ3キロ、距離感も良い。
出撃前に集合するにはうってつけの場所である。この景色を眺めながら、突入への覚悟を決めたのだろう。
その場に立って初めて分かる生々しい、まさに実感。

結局、妙見、虚空蔵、困民党とたどるつもりが、目的に反して、行く先々でのカタツムリ。
ミスジマイマイ、ヒダリマキマイマイ、カタツムリを食べるコウガイビル、カタツムリが食べた痕、と迫力ある貴重な画像を得ることができた。
これも神仏が与えてくださったご縁か。

エデンに帰り着いたときは、もうすっかり日も暮れていた。
大好物のポークピカタを作ってもらってビール飲みながら「地蔵院の移築場所分らなかったよ、時間切れで田代栄助総理のお墓も行けなかったよ」と話したら、 マスターが「地蔵院の持ち主、知ってるよ」「えっ?」、奥さんが「田代総理のお墓、うちのお墓あるお寺なの」「ええっ?」

まだまだ縁は繋がりそうだ。

マスターからは今年も年賀状が届いている。

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