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(C)2003
Somekawa & vafirs

『金沢での日々』

谷 大平

 「故郷は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・」

学校で習ったわけではないが、記憶の片隅にあったこの詩。
金沢に来てから地元出身の室生犀星の詠んだものだと知った。
今から5カ月前、配属発表で金沢と決まり故郷の岐阜から引っ越してきた。
高校まで海なし県の岐阜で過ごし、大学は大阪の内陸に住んでいた僕にとって、海が身近な生活は新鮮そのもの。
市場にある回転ずしのおいしさ、酒のつまみに持ってこいの香箱ガニ、噂には聞いていたが一日中鳴っている「ブリ起こし」のうるささ。
季節がだんだん変わるごとに海から便りがやってくる。
海水浴に行ったことはあっても、近くに住んでみないとわからない海の一面を垣間見た気がした。

そんな自然だけでなく、人間が作り出した文化にも金沢には驚かされた。
兼六園や金沢城などの建造物だけでなく、弁慶の勧進帳の舞台にもなった安宅の関があり、授業で歌舞伎をやる小学校もあるとか。
そして一番僕の心に残ったのは、鳥越城に行き「加賀一向一揆」の中心地がかつてここにあったと知ったこと。
自分たちの信仰を守るため、時の権力者に立ち向かった農民の姿。
戦いには負けたが、その後も今に至るまで「報恩講」という行事が残っているように、その信仰、文化までは奪われる事なくその地域の人々の心に根付いていると思う。

文化とは幅の広いものだと思ってはいたが、兼六園や金沢城といった観光の中心として整備されているものもあれば、 大阪の文楽のように権力によって庇護されなければいけない文化もある。
そして加賀の一向一揆のように、庇護されるどころか、弾圧されていたにもかかわらず、今もなおその地域に残っている文化もある。
どれが良い悪いではないけども、一番後者のものが、僕には一番自然な形の文化ではないのかと思う。

と、あまり金沢の文化について思った事を書いたとしても、地元に住んでいる人には敵わないのだからそんな野暮な事はもうこの辺で。

対して僕の故郷である岐阜の田舎には、海もなければ山もない。
清流長良川の水によって育まれた田園風景が眼前に広がるばかり。
自分の家も含め近所の人は田んぼあたり前のように持っていて、秋の初めになると稲のはさ掛けが行われる。
稲花粉もちとしてはなかなかつらい季節。

そんな地元でも船の上から見る鵜飼いの趣は、若輩者の自分でも自信を持っておすすめしたい。
暗闇の中、だんだん大きくなって近づいてくるかがり火をたいた鵜匠の船。
その船がはっきり見える所までくると、その火を便りにアユを捕まえるためにもぐったり浮いたりを繰り返す鵜の姿もはっきりと見える。
その川の上の暗闇とかがり火の炎、鵜匠、鵜そして近くの山の山頂で小さく照らし出されている岐阜城の織りなす非日常的な風景は、幻想的で忘れえぬものだ。
故郷岐阜の自慢できる文化の一つ。

今後、何年か、何十年かは会社の配属でいろいろな土地に行き、故郷の岐阜に住む事はいつになるか、もしくはもう住むことはないのかもしれない。
だからこそ、行った土地のいろいろな歴史や文化、生活に触れていきたい。
その地域の事を知ることで岐阜との違いを感じ、ひいてはそこで育ってきた自分自身の事もより一層知る事ができるのではないかと思っている。
とりあえずもうすぐ来るであろう、金沢の雪を身をもって体験したいと思う。

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