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(C)2003
Somekawa & vafirs

『走るカラス』

ヤミヨのカラス

小生のギターは走る。
音楽で、“走る”とは、リズム感が無くて正確にリズムを刻めない。
または曲に感情移入し過ぎて、最初のリズムが速くなる。
であり、小生のは後者の方だと思っている。

【眠れない夜】

1985年 入社して3年目。
当時、睡眠障害に陥り苦しんでいた。
地元の事業所に入社しアメリカ向けの映像機器の製造現場を担当していた。
製造ラインには年上のお姉さんからボス格のおばちゃん、総勢200人余りの管理監督と生産設備のメンテナンスを行う業務だ。

設立して4年目のこの事業所には組合が無かった。
従って残業規制もない。
平日で午前様は当たり前で、土日も遅くまで出勤し、残業は多い時で200時間を超える。
その苛酷な労働が2年ほど続いた後、マーケットが一気に冷え込み、仕事が激減。
定時で帰り、晩酌をして寝ようとすると頭の中で、“キィーーーン”と言う音が鳴り出し興奮状態に入る。
そこからポン酒を一升近く飲んでも朝方まで寝むれない地獄のような日々が続いた。
2年前の新入社員の男は小生一人だけで、良くも悪くも諸先輩には可愛がられた。
その中で必死に一人前になろうと頑張っていたが、まさしく周りのリズムに合わせられず感情だけで走っていた時期だったと思う。
もちろん寝むれないので、仕事にも支障が出る。
それを挽回しようとあがくと、おばちゃん、同僚、上司たちが騒ぎ出し、マイナスのスパイラルに陥るドツボな生活が続き、本気で辞職も考えた。
今、思えば、燃え尽き症候群、もしくはストレス性の鬱だったと思う。

【金沢片町】

残業するほどの仕事もなく、帰宅後、社会人になって初めてギターを取り出し歌でも作ろうかと、ギターを抱えたところ、あーら、不思議。
“ウー、アー”だけで、なぁーんの言葉もメロディも出てこなかったのである。
我ながら情けなく、自分がこの先、どうなっていくんだろうと言う恐怖すら感じた。

そんな折、幼稚園時代からの友である“山ちゃん”が、家に遊びに来てくれ、小生の惨状を見かねたんだろう。
連れてってくれたのが、金沢片町 ロブロイ。

当時、ロブロイは、マスターが余興で西岡恭蔵の“プカプカ”をギターで渋く弾いているくらいで、まだブルーズにのめり込む前の店だ。
何を演ったか忘れたが、突然、マイクの前に座らされ、昔やっていた曲を必死に弾く。

“走るね。”

それに対するマスターの言葉だ。
その夜の記憶は、それしかない。
が、この一言が小生の脳みそを、“ちゃぶ台返し”のごとく、ひっくり返してくれた。
その後、取りつかれたようにギターを弾いた。
会社と家の往復だけで友達とも酒を酌み交わさなかった生活から、ロブロイで飲み、唄い、喋ることで生活にテンポが生まれた。
また当時のロブバンドでは、アドリブで歌詞が溢れ出し、面白いように唄えたもんだ。
それが、“プー太郎一歩手前のドンゾコ”から這い上がれたキッカケの一つだったと思う。

【走るカラス】

あれから四半世紀。
現場から管理系の職種に移り、迷惑千万な“なんともならないことを、なんとかする奴”とレッテルを貼られて、次々とストレスフルな職場に飛ばされる転勤族となる。
とにかく、人間一人では何もできない。
プライドの高い、癖のある人間や部門と調整しながら問題をクリアしていくには、自分が同じリズムを刻むことが大切だ。
感情に任せて一人で走っては、まず失敗する。
小松から福井、タイ、七尾、京都、2度目のタイを経て今の京都。(おまけに長期出張では、ベトナム、中国など)
そして、その時に経験したことを“ロブロイストの日々“に投稿させてもらい、常に“ロブロイ”が頭の片隅にある四半世紀だった。(投稿は駄文で非常に申し訳ないが。。。)

この四半世紀で、時代はアナログからデジタルに移り変わり、人の心もゼロイチの世知辛いものになってしまっている。
しかし、ドがつくほどアナログのロブロイで、当時より走らなくなったものの相変わらず下手糞な歌を今でも唄わせてもらっている。
そして今年も色々な意味で突っ走るでしょうが、回り道しながらでも頑張ろうと思っているカラスでした。

塞翁が馬やなぁ。

皆さん良いお年を!
おしまい。

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。