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(C)2003
Somekawa & vafirs

『ニコチンパッチ』

ヤミヨのカラス

【遺言】

2013年4月。
とある診療所に行った。
“煙草なんぞ吸ってもエエこと全くないからな!”親父の遺言だ。
7歳下の叔父も長年の喫煙により親父の後を追うように亡くなった。
その叔父の2人の息子と小生の弟を含めた4人がスモーカーで、年長者として禁煙して見せることにした。
ポカポカ陽気な新幹線の高架を越え、満開の桜がひしめき合う鴨川との間にその禁煙外来はあった。
医師は同じ年頃のオッサン先生で、問診票を一瞥しただけでニコチン依存症と診断されるも、“その年から禁煙を始める人は少ないがとても良いことだ。”とお褒めの言葉を頂く。
そして、“いつから止めるか決めてくれ。”と意外なことを聞かれる。
通院即、禁煙開始か?と悲壮な気持ちで訪れたのであるが、長期休暇を利用した方が成功しやすいとのこと。

スモーカーとは“皆ですえば怖くない。”という安心を欲しがるもんである。
“酒飲んだら吸いたいやろ?一本だけでも吸ってみる?ほぉーら、煙フゥーや!”
などと禁煙を聞きつけ挫けさせたがる輩も多々いる。(昔の俺やん!)

そんな周りからのプレッシャーを避けるための助走期間で、それならば翌月に控えているG.Wから始めることにする。
幸いなことにG.Wが開けた数日後に中国工場の立て直しのための出張が1か月ほど入っている。
(タイから帰任してみると中国で構築した仕組みが、目指す方向が違う人達によりリセットされ、組織間の関係が悪化。
更にカツて教えた部下達が殆ど辞め得意先とも揉め、経営層にまで上がるほどの大問題になっていた。)

話を戻すが、わが社では禁煙のチャレンジの成功、失敗に関係なく1万円の補助が出る。
一石三鳥だ。
そしてG.Wまでの間、思いっきり喫煙できる想定外な執行猶予もついてきた。

帰り際に一枚の紙を渡される。
宣誓書だ。
“私____は_月_日より禁煙を開始します。”と書かれてあり、その下には、“禁煙に対し最大のサポートをします。”との文言と家族のサインを書く欄が設けられていた。

【ニコチネルTTS30】

G.W直前の週末、診療所に向かう。
喜々とした嫁さんのサイン入りの宣誓書とは対照的に喫煙期間も僅かとなった気持ちは暗い。

オッサン先生は宣誓書を確認し“TTS30”と書かれた処方箋を渡し説明を始める。
ニコチネルとはニコチンパッチのことだ。
30は丸いシールの平面積30cm2を指す。
このサイズを4週間貼り続け、次に20cm2で2週間、更に10cm2で2週間の計8週間で体内のニコチンを減らし、貼らなくても耐えられるようになれば禁煙成功だ。
(サイズ切り替える毎に通院し経過確認後、パッチのサイズを下げる。)

ニコチネル30
ニコチネル大小

治療中、ニコチンパッチだけでは喫煙欲求を抑えきれない場合、市販のニコチンガムで紛らわしてもOK。
しかし治療中に喫煙してしまうとニコチンが効きすぎて重度の中毒になるので、喫煙するのであればパッチは貼らない。との指導を受ける。
最後に“学会で検証済だけど、このパッチを貼ると副作用で変な夢を見るよ。専門的に異夢と言うんだけど心配しないように。”
オッサン先生は付け加えるが、そんな事より目先の禁煙開始が大問題だ。
未練がましくケツの穴から煙が出るほど吸いまくって帰宅し、その宣誓書は嫁さんの手によりテレビ横の壁に貼り付けられたのであった。

【初夜!】

G.Wに突入した。
ニコチンパッチを貼って実家に帰り親父の四十九日を行う。
肌からニコチンを吸収しているため、それほど煙草が欲しいとは思わない。
法事の後、親族をオモテナシし終え、2階へ上がり寝床に入る。
結構酔っぱらっていた。
しかし周りが騒がしく寝付けずに布団から身を起こすと、おびただしいサーチライトが家の上空を右に左に揺らしていた。
窓から見上げると4台の軍用ヘリ“アパッチ”が上空でホバリングしている。
そのヘリの頭が下に角度を変えた瞬間、機体に取り付けられた発射口から閃光が一斉に煌めき、こちらに向けてミサイルを発射!
“ま、まずい!”と2階の部屋を飛び出し階段を駆け下りる。
“ドッカァーン!”2階の部屋は木っ端みじんに吹っ飛んだ。
命からがら応接間に駆け込みテーブルの下に身を潜めて一瞬、安堵するも上空を旋回し投光器を照らしたアパッチが、どんどん近づき第2弾を発射!
“もうだめやぁー!”
と、叫んだ瞬間、目が覚めた。
鮮烈なニコチンパッチの洗礼だった。

【 It’s show Time!】

G.Wが終わり中国に出張する。
いつも吸っている煙草も売っておらず禁煙は順調に続いた。
普通、中国に滞在できる期間は2週間なので、それ以上滞在する場合は再入国が必要だ。
よって隣接する特別行政区の香港を往復すると更に2週間延長できる。

2週間目の金曜日に田舎の宿を一旦引き揚げ、香港寄りにある海沿いのホテルに移動。
これまで5年で延べ100泊以上した馴染のホテルだ。
田舎のホテルはシャワーしかないが、ここにはバスタブがある。
更に朝食はバイキングだが、ホカホカの銀シャリ、味噌汁、味付け海苔、卵焼きやサバの塩焼きなど日本食が出、中華で油まみれになった胃にも優しい。
翌日の土曜日、朝風呂に漬かり日本食を堪能した後、中国のイミグレがある駅に地下鉄で向かった。
出国スタンプを受け数百メートル歩くと中国と香港の中間地点にある駅に辿り着く。
中国通貨 元を香港ドルに両替し自販機で切符を購入。
中国の5倍の値段だ。
電車は香港のイミグレのある駅に向かい、眩い光を反射する摩天楼が連なる街並みが近づいて来た。
そしてドアが開き辿り着いた駅のプラットホームに足を踏み入れると、そこは。。。。。。

実家の玄関前だった。
そして玄関をくぐり奥の間に向かうと、親父が死に装束をまとい、掛け布団なしで横たわっていた。
“今晩が通夜で明日が葬儀やな。”
と何の疑問もなく眺めていると、親父の足が“カクッ”と動いた。
死後硬直?はたまた目の錯覚か?と目をこすり再び見直す。
すると、その足は再び“カクッ、カクッ”とリズミカルに動き始めたのである。
そしてふわりと足が持ち上がり衣装がめくれ、ラインダンスのように足をフリフリしだす。
周りに家族、親族もいるのだが誰も気が付かない。
声も出せず固まっていると、土気色の親父の顔にポッと紅色の赤味がさし、ゆーっくりと目が開きだした。

“オ、オ、オヤジ!  オヤジが、ゾンビ。。。。”で、飛び起きた。異夢は異夢でも、とんでもない異夢であった。
毎日がこんな感じ。
最初は驚きの連続だった。
が、慣れてくると今日はどんな夢を見るのかとワクワクしながら寝床に入るようになり、そのうち夢日記なんぞもつけだす。
しかし、それも4週を過ぎパッチが小さくなるにつれ記憶に残る夢も少なくなる。
そして8週間後には全く見ることもなくなり、禁煙は成功した。

意志強固で死ぬまで煙草は止めないと思っていた会社の同僚、友人らも驚き、触発されて禁煙する輩が何人か現れた。
が、しかし肝心かなめの弟、従妹たちは今のところ止めていない。
親父たちが草葉の陰で泣いてるやろうに。。。

ロブロイストのみなさぁーん。
新年あけましておめでとうございます。
良い初夢見れましたか?

スモーカーの方。
とんでもない不思議な夢を見たいならニコチンパッチがお勧めです。
合法ですし日常生活に支障は出ません。
早速、禁煙外来に向かいましょう。
成功しないほうが、ずっとニコチンパッチ貼れまっせ。
でも喫煙してない人は、やらない方が良いです。
ニコチン中毒になっちゃいますから。

因みに添付のURL見てください。
タイの煙草パッケージです。
グロです。
衝撃的なので自己責任でお願いします。
これ見ても止めるどころか、すぐに何にも感じなくなりプカプカでした。

PS:親父は、ニコチンパッチを貼る前の、まともな夢に現れ言葉も賜りました。
ちゃんと成仏できたようです。
南無阿弥陀仏!

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。