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Somekawa & vafirs

『六次の隔たり』

森川 千春

スタンレー・ミルグラムというアメリカの心理学者が1960年代に行った実験である。

中央内陸部にあるカンザス州とネブラスカ州からランダムに選んだ住人に手紙を送りつけ、その手紙を西海岸のボストンにいる彼の友人の株仲買人に転送してほしいと依頼した。 ただし、住所は知らせずに、その株仲買人と社会的に「近い」と思われる「個人的な知り合い」に送るように頼んだ。
最終的には、手紙の大半がボストンの株仲買人に届き、しかも手紙の多くは何百回も投函されたのではなく、六回前後で届いてしまったのである。 この発見は「六次の隔たり」という言葉で有名になった。 その後、ドイツの新聞社が「フランクフルトに住むシシカバブ店のオーナー」と彼の好きな「俳優のマーロン・ブランド」を結びつけるのに 必要な個人的付き合いのリンクは6本でよいことを証明している(「複雑な世界、単純な法則」マーク・ブキャナン著 阪本芳久訳)。 世界中の誰とでも6人でつながっている。「六次の繋がり」と言ったほうが適切かもしれない。

「友人の友人はテロリスト」などと言った政治家がいたが、社会科学的には、あながち間違いでもないのか?

某探偵番組では「元米兵が沖縄の防空壕で拾得したアルバムを本人に返したい」という依頼があった。 アルバムは「元米兵」→「探偵」→「アルバム写真に写っていた山の風景から長野県の学校へ」→ 「沖縄から人事交流で来ていた先生だったと分かり沖縄県教育委員会へ」→ 「本人すでに死去、しかし次男へ」 と渡った。
元米兵・探偵・長野の学校・沖縄県教委・次男・本人とちょうど6段階で戻ってきた。探偵稼業も意外と楽な仕事なのか? 6段階で辿り着けない探偵は標準以下!であることは科学的に実証されている。

さて「複雑な世界、単純な法則」からの引用にはさらにウラがある。 ミルグラムの出した160通の手紙のうち、最終的に株仲買人のもとに届いた手紙のほとんどすべてが、株仲買人の「友人3人のうちの誰か」が投函していたことである。 不特定多数からのスタートが最終的に3人に集まっていた。3人は社会のネットワークの中で多くのリンクを持つ「ハブ」となっている。
この離れた距離にいる多くの人を少ないリンクで結びつけるネットワーク構造はインターネットの構造と同じらしい。 支配的なハブとそれを結びつける弱いリンクからできている。そして最近思うには、どうも飲兵衛のネットワークも同じ構造をしている(に違いない!)。 飲兵衛は垣根を作らない。インターネットを取り込んだ飲兵衛のネットワークは最強である。

以前、二つの研究グループで共同記者発表をしたことがあった。 打ち上げの後、二次会となったが、我々のグループは(当然!)全員が残ったのに対し、もうひとつのグループはボス一人残して皆、さっさと帰ってしまった。 ボスいわく「酒で繋がっているか、カネ(研究費)で繋がっているかの違いだねぇ・・・」
酒で繋がっているグループは、後に六カ国協議開催中の釣魚台国賓館に招待され「互恵的」技術交流をすることになる。 先方のリーダーは日中国交正常化交渉で周恩来首相の通訳をつとめた方で、毛沢東主席の書斎での会談に同席していた最後の生き残りである。 毛沢東までリンク1に迫った。

電車の車内、飲み屋のカウンターなどで、たまたま隣り合わせた人が共通の友人を持っていた、などという「奇遇な縁」を経験したことはないだろうか?
ロブロイのカウンターでもずいぶんたくさんの方々と出会ってきた。しかし所帯を持ってから頻度が激減し、繋がりが太くなるどころか現状維持も難しい。 それでも新しい「六次の繋がり」を求めて、一人カウンターに座る。しかし・・・最後まで一人の時が多くなってきた・・・アレッ? まあ、焦ることはない。 垣根があることも知っている。「六次の繋がり」は作るものではなく、すでに「在る」ものが、たまたま「見つかる」だけのこと。 小さなカウンターは大きな世界に通じている。

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