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(C)2003
Somekawa & vafirs

『縁と階段』

千樂 一誠

午前3時17分、大阪行きの寝台特急は、金沢駅をゆっくりと走り出した。
一月末の寒気と蒸気で曇った車窓に遠ざかる、ぼんやりとした金沢の街の灯を眺めながら、私は、ひとつの言葉を思っていました。
“縁”= えん。
縁とは不思議なものだな・・・と改めて感じながら、窓と同じく、ぼんやりとした記憶をたどってみたのです。

最初・・18年以上昔になるだろう・・・夜の街を泳いで、その店にたどり着いたのは、何故なのか
何故、その店にたどり着いたのか・・・思い出せない記憶。
狭い階段を上ったカウンターだけのBar・ロブロイ。 上りきったところにボトルの空瓶、店の中にはギターがあった。
そして、一人でカウンターを勤めるマスターの顔。

私は一人でふらりと飲むのが割りと好きなほうである。
そうだ、当時、私は、金沢に「遠くへ行きたい」という番組のロケで訪れていた。
兼六園は松の木に菰を巻き終えていたので、晩秋〜初冬であったと思う。 その日も収録を終え、おそらくは、スタッフ達と賑やかに飲んで、別れてのちにその階段を上ったのに違いない。
そして、出合ったその店のマスターと取り留めのない話をした。 いや、もしかしたら、結構、身の上話なんかしてしまったりしたのかも知れない。 翌朝、起き抜けの記憶に残ったのは、狭い階段とマスターの人柄だった。

次は、たぶんコンサートツアーで金沢を訪れたときだ。
例によって、夜の街を歩いた私の目の前に、またしても、あの階段とギターとマスターが現れた。 まるで幻想のごとく。
だが、三回目ははっきり覚えている。厚生年金ホールに公演に来たときだ。
この時は、一人ではなかった。しっかりしていた筈だが、却って道に迷って店にすんなりとはたどり着けなかった。
酔っているほうが道を覚えているのか・・・3回目にして、やっと道をおぼえたのだ。
そして、帰るとき私は、次はいつ来れるかなと楽しみに思いつつ、店を出たのを覚えている。


それから、およそ16年の月日が流れて行った。
私は結婚をし、母が亡くなり、東京から大阪に住まいが変わり、仕事は忙しくなり、 金沢には一度も訪れる機会もなく、その狭い階段は、マスターから届く年賀状と、いつかまた訪れたいという願望の中の存在になっていった。

あるとき、何気なしに「ロブロイ」という言葉をネット検索してみた。
見つけたのは紛れもない、あの階段の店だ。とても懐かしいあの店。とても驚いたのを覚えている。
それからというもの、金沢に仕事があれば絶対にロブロイに行こうと思うようになったのだ。
果たして、その仕事の機会は来た。まるで、決まっていたかのように。

十数年ぶりに訪れたとき、その階段はあの夜と全くおなじだった。
「また来ることが出来たんだな」
得も言われぬ感慨をもって階段を上ると、もちろん変わらぬ店とマスター。
ロックグラスに満たされたEvan18年を見つつ、私の中に、ひとつのキーワードが浮かんだ。“縁”
人は、縁によって生きているのだ。
仕事も何もかも含めて、人は出会う縁を以って、生きていくことが出来るのではなかろうか
その縁は、何かの流れによって、成るべくして成るのだ。
そう思って見渡せば、人生一期一会、自分の周りの、縁ある出会いは、すべてつながって続いているのである。
妻しかり、友しかり、そしてロブロイしかり・・・。
私の大切な人生のページ。
これからも、縁を大事に生きて行きたい。そう思いつつ・・私はいつしか充足し眠っていました。

また、マスターにお目にかかれる機会を楽しみにしております。

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。