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Somekawa & vafirs

親父の酒

最近の焼酎ブームとは全く関係のない焼酎の話しである。

先祖代々鹿児島である親父は(もちろん僕もだが)とにかく焼酎しか飲まなかった。 九州でも日本酒のメーカーはあるのだが、鹿児島だけはない。それどころか全国で日本酒の造り酒屋がないのは、 やっぱり鹿児島だけだそうである。
20数年前、金沢へやってきた時面白いことを聞いた。日本で焼酎のメーカーが無いのは石川県だけと言う事らしい。 僕は面白いもんだなあ、と思ったものである。一切清酒を造っていないところから、一切焼酎を造っていない所へ僕は来た事になる。 他の県は多かれ少なかれそれぞれ造っている様である。とはいえ、今となっては石川県でもこの焼酎ブームもあり、 数社造っているようではある。無い物は無い、と最後まで貫いて欲しい、と思ったりするがまあ、 僕の私心などどうでもいいことだろう。

さて親父の話になる。また僕の鹿児島時代の話しになる。 清酒がないとは言え、たまに何らかで流れてくるのだろう。 一口飲むと「なっだこりゃあ、不味い水じゃねえか」と言いながら捨てるには惜しい、 という事で飼っているブタにゴボゴボと飲ませてしまう。またブタは分かってか分からいでか、何だか美味そうに飲んでいた。 ビールもまた一口飲んでみては「何処の不味いサイダーじゃこれは」と言いつつ、 やっぱり酒であるという意識があるのか捨てる事はしない。が、やっぱりブタに飲ませている。 ブタはまた美味そうに飲んでいた。

その頃の焼酎のアルコール分はほとんどが35度であり、今のように25度(20度もある)をかつ、お湯割り、酎ハイ、 ましてやすだち割その他などあろう筈も無く、そのまま35度を燗をして呑む。 (僕は今でもゆっくり焼酎を飲みたい時はそうしている)

あるとき洋酒バーを営っている僕としては、焼酎以外にもうまい酒があるぞ、ということで当時は高級酒であった ジャック・ダニエル(8500円)を持って帰り親父に飲ますと「うん、これはウマイ」と言いながらクイクイ呑んでいる。 もちろん何かで割る、という発想など無いからストレートだ。 僕も横で一緒に飲みながら、他にもウマイ酒があるということを解ってくれたか、と思ったのであるが 横においてある一升瓶を持ち「どれ、久しぶりに息子と酒を飲むか」と言いながら、ふたつのコップに焼酎をドボドボと注ぐ。

ジャック・ダニエルは当時45度、たとえアルコール分が強くても親父にとって焼酎以外は酒ではないらしい。 それから数日後、お袋より電話があり「残った酒、料理に使えるか」とあったので僕は「ブタに飲ましたほうがいい」と答えた。 たぶんブタも喜んだ事と思う。それからまた、ちょっといいスコッチも試した(?)がやっぱり一緒であった。 結局何を持って帰ってもブタに持って帰るようなものなのでその後一切やめた。

そんな親父であるが、お袋によると晩酌をしない日を見たことは無いらしい。 また僕の目から見ても、いくら飲んでも静かで、少し陽気になる程度の、いい酒、いい親父であった。

呑みながら87才で逝ったが、親父に比べると僕の酒の人生などまだまだである。 親父が言っていた「酒は飲んでも飲まれるな」・・・なんてくだらない、当たり前すぎる言葉をいう筈が無い。
ただひと言「酒は飲め」と言っていた。

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