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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

わが家の一員

先日はある日の夕方、わが家の前の道路際にボーと突っ立ていると、あまり付き合いは無いが近所のある男性が、少し離れた方から僕を見つけると急ぐようにしてやってきた。
そして「この子を見かけませんでしたか?」と言いながらパソコンで作られた手作りのポスターを差し出された。

見ると「この猫を探しています」とあり、キジトラの猫の写真が大きくあった。
名前は「グーちゃん」、その下に連絡先が書いてあった。
聞くと基本的に室内飼いだが、昨夜脱走したとの事、それから今日の夕方まで帰って来ない、という事であった。
もともと野良猫だったらしいがもう4〜5年飼っているとの事、当然愛着もあることだろう。
わかる。

心配なのだろう、もうすでに辺りの電信柱、近くの公園などにもポスターを張ったとの事、これから交番へ届ける、という事だった。
警察が猫の捜査をするとも思えないが、飼い主としてはそのぐらい可愛く、また心配なのだろう。
ところで我が家にもいる。
小さい頃誰かが捨てて行ったのであろう、やはりキジトラである。

キジトラ模様というと、どの猫もまあよく似ている。
よそんちの猫でも、野良でもキジトラであると我が家の猫では?、と思う事もままあるし、あの模様はオリジナルではないかと思うが、残念ながら雑種なのだそうである。
最後の破滅型作家と言われた中島らもが書いていたエッセー集であるが、それまで飼っていた野良猫がいなくなり、やっぱり居るものが居ないと淋しい。
しかしりっぱな何十万もする猫を買う趣味は無い。
が、一応ペットショップへ行ってみると三千円でキジトラが売られていたとの事、もちろん喜んで買ってきた。

僕はそれを読み、意味もなくほっとした。
売られているという事は商品価値があるという事である。
雑種キジトラという、立派な猫なのである。
それと中島らものキジトラの写真が何枚もあったが、どう見ても我が家のほうが男前で可愛い。
という事はこちらは五千円はするであろうという事に、ちょっと誇らしく思ったものである。

我が家も基本的に室内飼いである。
ただ玄関や道路に面した側へリードを付けてつないでいたりする。
すると通りがかりの誰かが、猫をつなぎとめるのは可哀そうだ、と思うのか勝手にリードを外される。
それでも2〜3時間もするとニャオーと帰って来る。
ところがつい先日の事だが、僕は猫を道路わきにつないだままちょっと出かけることにした。
ほんの2〜30分で帰ってみると、リードだけがポツンと残っていた。
明らかに誰かが離したようである。
まあたまの事、そのうち帰って来るだろうと思い、しかし2時間経ち、3時間、僕は仕事へ出なければいけない。
娘と辺りを探してみるが見当たらない。
またポツポツと雨も降ってきた。
夜の8時ごろ、その頃は嫁さんも帰っている。
電話してみるが探しても居ないとのこと、はて弱った。
我が家に来てもう7年、すっかり我が家の一員となっており、居て自然なのである。

やがて息子も帰って来ると、娘も含め三人で懐中電灯片手に探しに出るが、一向に見当たらないとの事であった。
深夜1時半ごろだろうか、店に嫁さんより電話があった。
先ずは帰ってきた、という事だった。
その時間まで帰ってきていいように玄関も少し開けていたのだがさすがに不用心、今日は諦めて玄関を閉め、寝ようとしたその時、首に付けていた鈴の音が微かにチリン、 それとニャーと懐かしい声、急いで玄関を開けると飛びこむように入ってきた。

とうぜん大喜び、まずは餌のキャットフードを与えるといつもの量をがっつくように食べおわり、まだねだる。
続けてあたえると今度はゆっくり食べたそうである。
そして水をピチャピチャと飲むとやっと落ち着いたのか、いつもの猫顔?になり、ニャオーとすり寄ってきたらしい。
それにしてもおよそ10時間、おそらく思いがけなく遠くまで行ってしまい、しばらく帰れなくなっていたのでは、と思っている。

3時過ぎ僕は家に帰った。
いつものように嫁さんの横で寝ていた。
僕は頭をなでながら「どこへ行っていたんだ、心配したぞー」と話しかけたが、猫はニャーと一声鳴いただけだったが、ともかくやれやれであった。

さて冒頭の行方不明となったグーちゃん猫であるが、半月経っても電信柱にポスターが貼ってあり、一ヶ月も経っただろうか、飼い主にお会いしたが残念ながら帰って来ない、という事だった。

ところで、いなくなった猫がほんの2〜3百メートル離れた家で、平和に飼われていた、という話はたまに聞くことではある。
が元々の飼い主にとって、ただただ淋しい限りであろう。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。