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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

喫煙者

前回はタバコを止めた、という話だったが今回は喫煙者の話である。

思えば、つい数年前まではこの世の全てはタバコを吸う人のためにあったように思う。 たとえば駅に行くと待合所はもちろん、ホームに立つと柱いっぽん一本に灰皿を取り付けてあった。

あるお宅を訪問したとしよう。 応接室(間)に通されるとテーブルの上にデーンと大きなガラス製か陶器(立派な家では大理石)の灰皿が置いてあり、すぐ横に“卓上ライター”なるものがあり、それとタバコ入れがセットになった物が置いてあった。
それはその家の主人用のものでもあったが、どちらかというと来客に「どうぞタバコをお呑みください」というものであった。 また、仮に訪問先の一家が誰もタバコを吸う人がいなくても、さすがにタバコまで用意していないにしろ、何をおいてもやっぱり大きな灰皿が先に出てきたものである。

先にタバコを“お呑みください”と書いた。 昔は「吸う」ではなくタバコは「呑む」と言っていた。 これは明らかに言葉として間違いのように思われるので、いつしか正しい表現、タバコは「吸う」に変わったのであろう。

また散髪屋「床屋」さんもそうであった。
待つスペースがあり、新聞、雑誌(もっと昔は碁・将棋盤なども置いてあったが、それはさておき)先のような立派な大理石ではないにしても、灰皿はもちろんやはり卓上ライターと煙草入れがあり、常に何本かタバコが入っていた。 セコい僕など、たとえ自分の嫌いな銘柄であってもパカパカ吸っていたものである。(実に嘆かわしく、こういう時に人間としての小ささ、底が見えてくるものである)

ともかくつい数年前までは喫煙者が偉かった?のである。 タバコを吸わない者はなぜか吸う人の下に位置していたわけである。
ところが、今ではその偉かった喫煙者達の居場所(吸い場所)がどんどんなくなっている。 あの広い病院はもちろん、何とか会館、何とかホールなるものなど、ほとんどが屋内どころか敷地内では吸えない。 あの広い金沢駅もどこで吸ったら良いのか分らない。 それどころか先日などある田舎道を車で走っていると、一日何人の人が利用するのだろう?と思われるような無人駅に差し掛かかった。 もちろんホームには誰もいない。 車を止め駅を覗いてみた。 待合所には壁や窓もなく、屋根が申し訳程度しかないにもかかわらず、禁煙と書いてある。 無人駅だけに管理できないのかもしれないが、それにしてもほとんど屋外である。 でも吸えないのである。

それにしてもあの偉かった喫煙者達がなに声高に叫ぶことなく、どんどん隅に追いやられる事にどうして甘んじているかというと、やはりどこか分が悪い、という思いがあるからだろう。 改めて書く事でもないが、酒なら量に関係なく節度のある呑ん兵衛なら、酒を飲めない隣の人にも迷惑はかからない。
が、タバコはちょっと違う。 あの吸っている本人も目にしみる副流煙、煙の流れは屋外でもいえる事だが、特に閉ざされた室内では隣に流れる煙を止められない。 それが間接喫煙となる。 吸わない人には大迷惑であろうことは容易に察しられる。

先日、新聞のコラムにあった。
イギリス全土であったか、ロンドンだけだったのかちょっと曖昧な記憶になるが、パブ(酒場)でも全面禁煙になったそうである。 もはやそこまで来たか、という感もあるが、我が日本もレストランなどどんどん全面禁煙が増えてきているのは間違いない。 がしかし、そう心配する事もないように思われる。
飲食店においてはファミレス他、洋風レストラン以外はまだまだ喫煙者に対して、そう厳しくないように思える。 日本の場合まだちょっとは喫煙者に理解とやさしさがあるのかもしれない。

僕自身はタバコを止めた。 もう吸わないつもりだが、酒場ロブロイを禁煙にする事はない。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。