河崎 徹
河崎さんは、金沢近郊の医王山(いおうぜん)で、イワナやヤマメなどの養殖と、川魚料理の店「かわべ」をやっている、そろそろ落日間際の六十代。仕事より、魚釣りやら草野球やらにうつつを抜かし、店の方は、気が乗らないと勝手に閉めてしまうのが玉にキズ。(でも料理はウマイんだな)。いつもマイペース、ままよ気ままの行きあたりばったりエッセイからは、その人柄が伝わってきます。

第六十九回 「私をスキー(フランス)へ連れてって (前)」

「オジサン(私)、今からルーブル美術館へ行きましょうか」と今回フランスへ私を連れて行ってくれたオリビエ、サチコ夫婦が言った。私「オジサンは裸婦しか興味はない」。サチコさん「じゃ、行かなくていい(モナリザを見なくていい)です」と強い口調で言われた。
凱旋門、エッフェル塔、そしてパリのいろんな所を見て歩き続けていたので、このオジサンはかなりバテていて、思わず本音を言ってしまった。歩き疲れていたのもあるが、それよりも、日本の東京でさえ「はぐれて一人ぼっちになったらどうしよう」という人間である。増してやこのパリで言葉も、通信手段(ケータイ)のない私は「はぐれたら二度と生きては日本の地を踏む事はできない」とオリビエ夫婦から離れまいと、必死にその後を追い続けていた。結局、今回の旅行は最初から最後までこの調子だった。
一月のパリ、時折、冷たい雨が降っているパリ、もっと自分が若くて、言葉(フランス語)が理解できれば、出発前から心ときめく(妄想)パリだったかもしれない。
夜、ドゴール空港に着き、ホテルに向うタクシーから見た街の印象は「都会の広い道路をスピードを上げ車がただ流れていく」というものだった。翌朝、早くにホテルの近くの陸橋の上からながめた光景も「朝早くから広い道路をかなりのスピードで車が流れて行く」だった。

出発前、回りの人達から「最もパリの似合わない男、あんたが外国へ行くとしたら、アフリカでしょう」と言われ、「どちらも当っているな」と本人もそう思っていたので「私は別にパリに行きたい訳でない。フランスへスキーに行きたいだけだ」と言っていた。早朝ホテルを出てパリの街中へ向った。この一月初旬のパリの街中の商店は、セールの広告がやたらと目につく。ブランド商品を売る店(主に女性用)もその様だ。私達一行も私を残して「セール」と書いてある店に入る事になった。私は若い頃から夫婦でデパート等でいっしょに買物をするのが苦手である。店の中に長く居ると疲れてくる(だから自分(私)の物は自分で買う)。フランス人のオリビエ君も「ぼくもパリで夫婦で買物をするのは苦手です」とこっそり教えてくれた。ただオリビエ君のすごい所は、そんなそぶりは、みじんも見せないことで、後でサチコさんに聞いたら、「そんな男(私の様な男)はフランスでは許されない」と。
モナリザも見ない、パリで買物を楽しむ事のできないダメ男は店の外でただ待つだけである。「外でカッコのいいパリジャンでもながめて待ってます」という年寄のアホな言葉など耳に入らない様子で、いそいそとセール中の店の中へ消えていった。
私の海外旅行はこれで三度目である。過去二度は夫婦での旅行であった。(いずれも用心棒(?)として)そして二度とも現地(外国)でずっとケンカしていた。妻「なぜ外国まで来て有名な観光地へ行かないの」私「きらいな鉄のかたまり(飛行機)にがまんして乗って、さらに又乗り換えて観光客のいっぱいの場所(ナイヤガラ等)など行きたくない。せっかく外国まで来たのだから自分の好きにさせてくれ」その結果、地形もわからず、言葉もわからぬ私の行動は宿泊地のホテルに自分で安心して帰れる範囲をぶらつき、最後は近くの公園のベンチで通り過ぎる人(人種)を観察するだけである。だがこれが結構楽しいのである。ほとんどすべての木、草、花、動物が日本で見たものとは異なり、人間(人種)も「いったい何通りに分類されるだろう(アルゼンチン、カナダ)」などと、そしてたまに洋画(映画)に出て来る様な美人が通れば、うっとりとながめていたものだ。
ここパリも、そうである。街中であるから草花、鳥もほとんどいない。それで人間(人種)の観察である。まず最初に気づいたのは街はケッコウきたない。ゴミやタバコの吸いがらがあちこちに目につく。「きたない」と「自由」はどこかで結びつく、という私の理屈(単なる「リ屈」という人(我妻)もいる)にとってはさほど気にはならない。又くわえタバコ、ハサミタバコ(ひとさし指と中指にはさむ)の人もかなり通り過ぎる。特に女性に多く、スラリとしたスタイル、ハイヒールでさっそうと私の前をハサミタバコで通り過ぎる若い女性もいる。公共のため、健康のためと言い過ぎる日本で肩身の狭い思いをしている私にはそれほど違和感はない。それにしてもフランス(パリ)もいろんな人間(人種)が多い。(フランスは移民の国といわれている)髪の色、目の色、ハダの色、骨格のサイズ、頭のサイズ、下半身のサイズ……「本物のフランス人とは?」と思ってしまう。遠目には絶世の美女と見えたのに近くで見ると、やたらと鼻が大きすぎたり、「モナリザよりこっちの方がきれいだ」と思える顔立ちだが下半身がやたらと大きすぎたりと、私の注文(?)通りにはいかなかった。ただ極々まれに、八頭身でこれぞまさしくモデルです、と思われる女性も私の前を通り過ぎていった。(人間観察といいながら、どうしてもそっちの方に目をうばわれる)自分がもっと若く、もっと度胸があり、もっと金持ちなら(全部がない)、声の一つもかけてみたかった。(出発前、サチコさんから「オジサン(私)、フランスで何か問題?を起こしても私は引き取りに行きませんからね」と釘をさされていた。さらに「フランス女性は日本の女性ほど甘く(?)はない。フランス女性をくどく(愛を告白する)にはありとあらゆる表現力が必要(私の最も苦手)です」と)

わずかの妄想も打ち消し、貝のカラにとじこもった様に無言のままで行きかう人をながめていたが、だんだん疲れてきた。「買物に行った女性達がそんなに早く出てくる訳はないだろう」とぐちを言いながら、どこか座れる所がないか捜したが近くにはない。少し離れた場所に大きな旅行カバンに座っている若者らしき人物が目に入った。彼の目の前には、自分(彼)がかぶっていたとおぼしき帽子が置かれ、その前に三十センチ四方ぐらいの白いダンボール片(フランス語で何か書かれた)が、かろうじて立っていた。私は彼のそばまで行き、しばらく横に立って彼の行動を見ていたが、私の存在を気にする様子もなくただ目の前の帽子とダンボール片をじっとながめていた。時々、通り過ぎる人の靴先か、又、時々吹く風に、そのダンボール片が少しでもズレると、サッともとの位置にもどしていた。私が何げなく帽子の中を見たら、中に五、六枚の硬貨が入っていた。私は深い考えもなく自分のサイフから、なるべく大きな硬貨(いくらなのかわからない)をその帽子の中に投げ入れた。その瞬間、彼はふり返る様にして私を見た。私もその瞬間彼の座っている大きな旅行カバンの一方の空いている場所を指さした。彼は小さくうなずいてその場所をもっと広くしてくれた。「やれやれ、これでやっとゆっくり休める」と、二人が並ぶ格好で私は彼のカバンに腰掛けた。しばらく二人は無言で前を通る人の流れを見つめていた。フト、彼が私に、「英語、話せるか」と小さな声で言ってきた。私「リトル」とだけ答えた。彼「どこから来た」私「日本。お前は」彼「ブルガリア、フランスへ働きに来たが仕事がないので、ブルガリアの祖母の所へ帰ろうと思うが旅費が足りない」私「……(無言)」しばらくして彼「お前の名前は」私「カワサキ」彼「私の名前は……」私にはよく聞こえなかったが、「どうせ忘れてしまうだろう」という思いか、聞き返す事はしなかった。またしばらくして彼「日本はビューティフルな国だ」と。私「……(無言)」彼の言っている事が儀礼として言っているのか本心なのか、そんな事はどうでもいい。二度と会う事もないのだからと、強いて言えば「袖すり合うも何かの縁」ぐらいの事だろう。その後は何の会話もないままだった。たっぷり時間をかけての買物(私にはそう思えた)を終えた連中が店から出て来て私を見つけ近づいてきて、「オジサン(私)、フランスで勝手に仕事したらだめでしょう。でも何の違和感もなかったよ」と。オリビエ君「若者はちゃんと働くべきだ」と。それらには何も答えず、私「ただ疲れていたので座らせてもらっただけだ」と言った。最後にブルガリアから来たという若者に何も言わずにサイフの中のやはり一番大きな硬貨を一枚だけ帽子の中にそっと置いて、ふり返る事もなくその場を去った。
ところで二人でじっと座っていた間に二度帽子の中にコインを入れる光景を見た。その二度ともが若い女の子であったのには少々おどろいた。一度目は足早のままでコインを帽子に投げ入れ、そのまま何事もなかったかの様に去っていき、もう独りは、かなりハデな服装の女(コ)で一度通り過ぎてからもどって、何も言葉は発しなかったがていねいにかがみ込んで帽子にコインをそっと入れて立ち去った。ハデな服装の若い女、帰る旅費のないという若い男、外国から来たしょぼくれた男(私)の三人は一言も言葉をかわす事がなかったが、その光景を内心日本で「中味のない、言葉だけ」の日常にウンザリしている私には、「こんな関係もおもしろい」と楽しんでいたのかもしれない。又、一連の自分の行動(ブルガリアの若者との行動)が自分の心の奥底にある「ひょっとして、自分もいつかあゝなるかもしれない」という思いと重なったからかもしれない。

私だけではないと思うが天気が悪いと、それだけで気分が重たくなる。何十年もここ山間地で同じ仕事をしていても、天候で気分も行動も左右される。特に真冬の日本海側の天気がそうであろう。雪の日はまだ、ましである。自分の感性のどこかの部分を刺激するところがある様だ。さらに月に一度か二度の晴れの日には、その時の雪景色も重なって無条件に喜ぶ事ができる。
  冬の晴れ、過去も、未来もなし。
だがこれが雪でもなく、雪になる一歩手前の冷めたい雨のときは最悪である。行動力(仕事する)気力、思考力、さらに感性までもをまとめて、私のどこかに閉じこめてしまう。
  冬の雨、だれかれなしに、恨みあり。
真冬の冷めたい雨が時おりパラパラと降ってくる、どんよりと曇った空のパリ。そのため、少しガスがかかっている様な町並、行きかう人々の服装も黒が圧倒的に多い。「パリの人間も、センスがないな」と、エラソウな事を思ってしまう。それでも通りのカフェには、しゃれたテーブルとイスが並び空席が目立つものの、向かい合った男女や中には寒さのせい(?)か抱き合った恋人(?)もいた。チラ、と見ただけなのに、サチコさんに、「オジサンには目の毒よ」と言われた。
平日の昼さがりのパリ、行きかうサラリーマン(サラリーウーマン)も、どことなく足早で、街中を通り過ぎる車も日本よりスピードが速い感じがした。「どこの国の都会も同じだな。ならば今度来る時は大金でも持って夜の静かなパリでもくり出そうか」と、なかばあきらめの妄想をしていたら、「オジサン遅れたら迷子になるよ」と言われ、道路わきに駐車している車にぶつかりそうになりながらオリビエ夫婦の後を追った。
ところでフランスの駐車事情にはおどろいた。横道に入るとビッシリと車が駐車している。それも前後の車がほぼピッタリとくっついた状態である。もし時間があったら、どの様にして前後の車から出ていくのか見たかった。「ひょっとしたら車のタイヤが真横に移動できる構造になっているか、又はどこかの国の戦闘機の様に真上に一度に飛び上るのか、とも思ったが日本車もあったので、どうもそうでないらしい。たぶんフランスの自動車学校では、私の苦手な縦列駐車を徹底的に教え込まれるのだろう。日本の様に古い建物を簡単に壊し、都会の一等地にバカでかい駐車場を造り高い料金を取るやり方に比べたら、古くて、あまり高くない建物が並ぶパリではこの方がいい様に思う。「車という物」に対しての考え方が我々(日本人)と異なり、フランス人独自の考えがあるのではないだろうか。時差ボケと天候不順でバテ気味のオジサンに気を遣ってくれたのか、夕暮れのセーヌ川畔はバスで下った。川畔にはしゃれた店もあったが、古くて美しい橋をいくつもバスの中から見ることができた。元気だったら渡ってみたい気がした。第二次大戦でパリを占領していたドイツ軍がパリから撤退する折に「パリを破壊しろ」という本国(ドイツ)の命令に当時のパリ駐留のドイツ軍司令官がそれに従わなかった、という話は聞いた事があったが、戦略的に重要な橋も意図的に残したのだろうか。そうだとしたら、その人物は物の価値のわかる人間だったのだろう。パリには有名な宗教的建造物が多いが、無宗教の私にはこちら(橋)の方が興味深かった。

「パリの地下鉄はスリや強盗が多いから気をつけてください」。これは旅行出発前のオリビエ夫婦からみんな(私を含めて日本人五人)への忠告だった。パリ観光を終えて夕方、ホテルへ帰るため地下鉄を利用するにあたり、再度この事を確認し合った。私以外のみんなの忠告「地下鉄でねらわれるとしたら、オジサンだからね」私は「プロ(スリ)なら私が金を持っているかどうかぐらいわかるだろう」と思ったが、どこかで「そうだろうな」とも納得していたので気を引きしめて電車を待った。駅の構内はかなりきたなく、いくつかの乗客用のイスには前を通っただけで臭ってくる様な男達が寝ていた。夕方の地下鉄電車は仕事帰りのサラリーマンや学生でかなり混んでいた。
車内では自分の事だけ(スリにあわないため)に集中していたが、フト、気づいた事があった。それは若い人でケータイをいじっているのが少ないという事だった。新聞雑誌を読んでいる人、会話をしている人、そしてごくわずかにケータイをいじっている人だった。そう言えば、電車を待っている人、街中を歩いている人、カフェでコーヒーを飲んでいる人、日本より圧倒的にケータイをいじっている人は少なかった。やはりフランスは文化国家(?)である。結局、何事もなく(スリ、強盗に会わず)無事ホテルに帰ることができた。(やはりフランスのスリはプロである)

前日まで訪れてくる人もない山間地で、魚だけをながめ、ボーと生活をしていて、一日経って、パリのド真中で、あちこち歩き回ったのでさすがに疲れた。パリの街にそれほどの感動のなかったのを天候のせいにし、ドジな事をやらかしては、それを時差ボケのせいにして、どうやらパリでの一日は終った。結論としては、「やはり、パリ(都会)が似合わない男」だった。ただ私にとってはいい刺激になったし、年をとってからもこういう事(緊張)も必要なんだろうと思った。日本へ帰ったらみんなに、こう言っておこう。「パリは一時的にせよ、年寄りを若がえらせる」(本当かな)。  明日はオリビエ君の生家のあるリヨンへ行き、その次の日はいよいよ今回の旅行の最大の目的、「アルプス山頂からのスキー」である。  山のあなたの空遠く、幸い住むとヒトの言う。

――後篇につづく




 
   第六十八回へ
第五十回特別編 詩「今」