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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

春が恋しい年ごろ

そろそろ三月だというのに雪国である金沢、その雪が降らない。
一月に一回目の寒波がやってきたが、記録によると金沢市、平野部で8センチ。
二月になり二回目の寒波も予報では「40センチは積もるでしょう」
オッと構えたものだが、なんと一センチ。
一センチでも記録になるのか、とビックリしたものである。

今からそれなりの積雪になるとも思えず、どうやら今年はママさんダンプ(スノーダンプ)の出番はなさそうである。
それに引き換え、山陰は島根県や鳥取、また広島の山間部では大変な雪だったようである。

豪雪というと「サンパチ豪雪」(昭和38年)がある。
先日テレビでその模様を放映していたが、まあ、確かに凄かった。
今のように消雪装置もなく、九州は福岡でも累計180センチ。
金沢市では四日間の間に累計320センチ積もったとの事。
まあ凄いとしか言いようがない。
全国で死者、不明者も含め231人とあった。
その折、武蔵町は横安江町商店街のアーケードは崩壊したのだそうである。

昭和38年というと僕は12歳という事になり、とうぜん鹿児島時代になるが、よ〜く覚えている。
なんせ鹿児島でも30センチ積もったのだ。
わが家から向かいの県道まで細い道を二百メートルくらい歩かねばならない。
それを親父がスコップで道を造っていると「有線放送」がなり、学校は休校という知らせ、僕らは大喜びであった。
近所の連中と雪だるま、雪合戦とまあ、暗くなるまで遊んだものである。ついでに次の日も休校となった。

さて現代に戻るとして今年は雪こそ積もってはいないが、結構寒い日は多かったような気もする。
氷点下の日がそこそこあった。
それに、触れたくないが年のせいだろう、すっかり僕も寒がり屋となった。

むかしは夏はもちろん冬でも、起きるとまずは水道をひねり、冷たい水でタオルを濡らしながら顔をジャブジャブと洗っていたものだが、もう何年も前からそんな事は出来ない。
また寝るときは素足で冷たい布団へ入り、自分の体温でジワリジワリと暖まっていくのが気持ち良かったものであるが、今はというとそのまんまズ〜と冷たいままである。

結果どうなったかというと、顔は暖かい湯で洗うようになり、寝るときは厚めの靴下を履いて寝るようになった。
またズボン下はというと、タイツ(スパッツ)を履くようになったし、外へ出るときは帽子に「耳あて」を付け、首周りは「ネックウォーマー」を巻く。
少し想像してほしい、この格好で、もしサングラスでもかけ銀行でも入ろうものなら、包丁など持たずしても即警察に通報されそうである。

我ながら情けないと思いつつ、まだ二月だ。
三月になっても、毎年一度くらい「なごり雪」がある。
歌だと情緒があっていいものだが、我が身にとっては寒いだけの「なごり雪」である。

さ〜てこれから三寒四温、ゆっくり春を待つ事にしよう。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。