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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

我が家の雑煮

何かときぜわしい12月となった。と同時に一年が早い事。

なんら変わることなく、今までも同じ一年365日であるが、よく言われるように年齢がかさなるにつれ、早く感じるのは不思議といえば不思議である。
ギター漫談の堺すすむ式に「な〜んでか?」というと、これはごく自然な感じ方なのだそうである。
一年365日と年齢による比率の違いらしい。
仮に「感じ指数?」なるものがあるとしてその数字で表してみよう。
たとえば五歳だとすると365÷5=73感じ指数となる。
この指数が年齢が経つにつれ少なくなっていくことになり、少なくなればなるほど一年が短くなり、ゆえに“早く感じる”という事になるらしい。
ちなみに僕の年齢で割ると「6.08」という実にさみしい数字になる。
結局どんどん一年が短くなっていく、という事になる。
何やら根拠があるような?ないような気もするが、妙に「なるほどなぁ」という気がしないでもない。

12月は師走と書く。
普段ドシンと構え、少々の事にはなんら動じない威厳のある師匠でさえ走り回るから師走、と書くらしいのだが、たぶん他に本来の意味があるのだろう。
ともあれきぜわしく感じるのはどうしようもない。
12月になりボーナスが入ったとすると買い物も頭に浮かぶし、忘年会もあるとすれば、ひょっとして何かかくし芸の用意、密かに練習も必要かもしれない。
クリスマスもやってくる。
人によってはイブの作戦など立てなければいけない。
それが終わると大掃除も頭をよぎるし、主婦であれば餅やお節の用意もしなければいけない。
また年賀状も書かなければいけない。(これが一番厄介かもしれない)

その厄介な賀状であるが、いつから始まったのだろうか。
新年の挨拶だとすると、年が明けてから書くのが自然のような気がするのだが。
そろって元旦に付くようにとは、おそらく「皆さん,一斉に出しましょうー」と体よく仕掛けられたとしか思えない。
僕も上手く乗せられ毎年無い頭を悩ます。
とまあ、ばたばたしようがすまいが年は明けていくのである。

明けるとまずは餅が出てくるが、これに関しては個人的に大好きなため大歓迎である。
焼いて醤油もよし、キナコ餅もよし、もちろん雑煮もよしだ。
その雑煮に関し、その土地によって違いがあるようであるが、その中でも地域によっても違うようである。
たとえばこちらでも加賀地区だと意外とあっさりというか澄ましに具は何も入れないと聞くし、能登地区の一部では小豆仕立てで、甘みの無い「ぜんざい」だそうである。
また奥能登だと贅沢に岩ノリなど入れるらしい。(食べたいものだ)
また嫁さんの実家、富山の小杉ではしょうゆ仕立てで具は鶏肉になる。
大阪に居る頃たまたま作ってもらった雑煮がなんと白みそに餅が入っている。
「みそ汁に餅を入れるとはなんだ!」と思ったものであるが、聞くとその人は山陰地方の出身とかで地元の雑煮だそうである。
京都なども白みそ仕立てらしい、と後で知った。

僕の数少ない情報から察すると、豊かな処ほど雑煮は簡素のような気がする。
加賀地区、金沢も含め汁に餅が入っているだけというのは、お節なども含めほかにご馳走があるからではないか?と僕は分析している。
ようするに具だくさんの鍋を食べた後の雑炊のような役目なのであろう。
いわば余裕から来る「雑煮ごとき」というとらえ方なのであろう。

で、我が古里鹿児島の山奥の雑煮はというと、まずカツオ節でダシをとり、下に白菜をしき、しょうゆで味をつけ丸餅を煮る。
具は豆もやし(大豆モヤシ)を入れカマボコを上にのせ、乾燥エビを乗せると出来上がり、とまあ雑煮にしては豪華版である。
山奥の小さい部落、お節といっても今でいうさつま汁程度、刺身が付いたとしても魚など無い、鶏のササミである。
もちろん子供には当たらない。

ようするに年に一度、雑煮ぐらいは豪華に、という事なのだろう。
今の我が家の雑煮でもある。

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